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長寿寺(山口市)

2020年10月8日

入り口の写真

長寿寺・基本情報

住所 山口市本町1丁目2−15
電話 083-922-1740
山号・寺号・本尊 霊瑞山・長寿寺・阿弥陀如来
宗派 浄土宗西山禅林寺派
最寄り駅 上山口駅から徒歩15分

長寿寺・歴史

元々、この寺院は特留山・慈観堂という千躰仏の有る伽藍で、かねてから凌雲寺さまの信仰深い寺院であった。
大永二年(1522)、病のため戦に出ることもままならず悶々と楽しめなかった凌雲寺さまは、この寺院に病気平癒の願書をお納めになった。祈願の甲斐あって、お元気になられたことから、寺院は御礼状を賜った。御礼状に「長き寿」という文字があったことから、寺院の名を、霊瑞山「長寿」寺と改めた。融稟慶俊上人(凌雲寺さまにご祈禱を行なったお坊さま)を開山上人とし、浄土宗西山禅林寺派として現在に至る。

凌雲寺さまイメージイラスト

凌雲寺さま

と、ここまでが、由緒説明看板に書かれていること。必要十分な内容だけれども、記事ボリュームが足りないため、書籍類で調べた。すると、『趣味の山口』および『山口県寺院沿革史』から以下のようなことがわかった。

永禄年間(1558~1570)、毛利輝元は父・隆元の位牌をこの寺に移し、天正七年(1579)に、十七回忌を執り行った。のちに、この寺院は無住となったので、一空夜欣を住持職に任じた。輝元が萩に入った時、夜欣も付き従い、慶長十九年(1614)、萩にも寺院を建立し、隠居所とした(『山口県寺院沿革史』には、山口の長寿寺の記述がない。『趣味の山口』では夜欣が求欣となっていて、どちらが正しいのかわからない)。

ミル

なんでこのお寺で毛利輝元が隆元の十七回忌をやったんだろ? 安芸国でやらず、常栄寺でやらず、なんで?

次郎

本に書いてあるからそうなんじゃないの? 俺、そーいうのいちいち気にしないし、そもそも本読まないから。

書物の類ではこれ以上の説明がなく、山口市HPで調べて初めてわかったのが、この寺院が「明治維新の時、井上馨が率いる鴻城隊の駐屯場だった」こと。といよりも、むしろ、そちらのほうが有名な寺院だと思われる。(以上、参照:説明看板、『山口県寺社沿革史』、『趣味の山口』、山口市HP)

長寿寺・みどころ

ロケーションが、山口市中心商店街西側入り口付近という庶民生活に密接した寺院となっており、あれこれの由緒がある寺院だということに気付かずに通過してしまう可能性が高い。山口市内には、そこら辺の普通すぎる寺院がとんでもない由来をもっていたりするから、とにかく山門を見かけたら入ってみたほうがいい。

山門、本堂、手水舎……とこじんまりとした中にすべてが揃っている。

山門

山門の写真

本堂

本堂の写真

手水舎

手水舎の写真

長寿寺写真集

次郎

駐屯場跡地とか、残ってないの?

ミル

晩ご飯のコンビニ探していて偶然見付けたお寺で、山門の由緒に新介さまのお名前があったから感動して写真撮っただけだから。

五郎

Googlemapで検索したら、駐屯地跡の説明看板を見付けた……。やっぱりミルが見もしないで帰ってしまったんだ。入り口の看板だけで。

新介

最近、観光資源の整備がめざましいから、二年前にはなかった新しい看板が設置された可能性もあるよ。あまり責めないであげてね。

アクセス

最寄り駅が上山口となっていますが、山口駅から歩いていて、普通に通りすがりました。

次郎

まあさ、晩飯買うことが、何よりも大事だよな。つぎの日歩くためにも。駐屯所にこだわるのなら、新しいドメインでファンクラブとかやれば? いちおうさ、俺とか於児丸とかも調査対象になってるわけよ、ここ。トロい頭でこれ以上無理だわな。

参照文献:『山口県寺社沿革史』、『趣味の山口』、説明看板、山口市様HP

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