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長寿寺(山口市本町)

2020年10月8日

長寿寺・入口

山口県山口市元町の長寿寺とは?

もともと大内義興に深く信仰されている寺院でした。あるとき、義興が病にかかり、回復のために祈願を行なったところ、病は癒えました。そこで、寺院宛に礼状をしたためたところ、文言の中に「長寿」の二文字がありました。そこで、寺院は「長寿寺」と改名して現在に至ります。

なお、明治維新の時、井上馨が率いる鴻城隊の駐屯場だったことでも知られています。

長寿寺・基本情報

住所 山口市本町1丁目2−15
山号・寺号・本尊 霊瑞山・長寿寺・阿弥陀如来
宗派 浄土宗西山禅林寺派

長寿寺・歴史

元々、この寺院は特留山・慈観堂という千躰仏の有る伽藍で、かねてから凌雲寺さまの信仰深い寺院であった。
大永二年(1522)、病のため戦に出ることもままならず悶々と楽しめなかった凌雲寺さまは、この寺院に病気平癒の願書をお納めになった。祈願の甲斐あって、お元気になられたことから、寺院は御礼状を賜った。御礼状に「長き寿」という文字があったことから、寺院の名を、霊瑞山「長寿」寺と改めた。融稟慶俊上人(凌雲寺さまにご祈禱を行なったお坊さま)を開山上人とし、浄土宗西山禅林寺派として現在に至る。

凌雲寺さまイメージイラスト

凌雲寺さま

と、ここまでが、由緒説明看板に書かれていること。必要十分な内容だけれども、記事ボリュームが足りないため、書籍類で調べた。すると、『趣味の山口』および『山口県寺院沿革史』から以下のようなことがわかった。

永禄年間(1558~1570)、毛利輝元は父・隆元の位牌をこの寺に移し、天正七年(1579)に、十七回忌を執り行った。のちに、この寺院は無住となったので、一空夜欣を住持職に任じた。輝元が萩に入った時、夜欣も付き従い、慶長十九年(1614)、萩にも寺院を建立し、隠居所とした(『山口県寺院沿革史』には、山口の長寿寺の記述がない。『趣味の山口』では夜欣が求欣となっていて、どちらが正しいのかわからない)。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

なんでこのお寺で毛利輝元が隆元の十七回忌をやったんだろ? 安芸国でやらず、常栄寺でやらず、なんで?

畠山義豊イメージ画像
次郎

本に書いてあるからそうなんじゃないの? 俺、そーいうのいちいち気にしないし、そもそも本読まないから。

書物の類ではこれ以上の説明がなく、山口市HPで調べて初めてわかったのが、この寺院が「明治維新の時、井上馨が率いる鴻城隊の駐屯場だった」こと。といよりも、むしろ、そちらのほうが有名な寺院だと思われる。(以上、参照:説明看板、『山口県寺社沿革史』、『趣味の山口』、山口市HP)

長寿寺・みどころ

ロケーションが、山口市中心商店街西側入り口付近という庶民生活に密接した寺院となっており、あれこれの由緒がある寺院だということに気付かずに通過してしまう可能性が高い。山口市内には、そこら辺の普通すぎる寺院がとんでもない由来をもっていたりするから、とにかく山門を見かけたら入ってみたほうがいい。

山門、本堂、手水舎……とこじんまりとした中にすべてが揃っている。

寺号碑

長寿寺・寺号碑

山門

長寿寺・山門

本堂

長寿寺・本堂

手水舎

長寿寺・手水舎

畠山義豊イメージ画像
次郎

駐屯場跡地とか、残ってないの?

ミル涙イメージ画像
ミル

晩ご飯のコンビニ探していて偶然見付けたお寺で、山門の由緒に新介さまのお名前があったから感動して写真撮っただけだから。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

Googlemapで検索したら、駐屯地跡の説明看板を見付けた……。やっぱりミルが見もしないで帰ってしまったんだ。入り口の看板だけで。

新介涙イメージ画像
新介

最近、観光資源の整備がめざましいから、二年前にはなかった新しい看板が設置された可能性もあるよ。あまり責めないであげてね。

畠山義豊イメージ画像
次郎

まあさ、晩飯買うことが、何よりも大事だよな。つぎの日歩くためにも。駐屯所にこだわるのなら、新しいドメインでファンクラブとかやれば? いちおうさ、俺とか於児丸とかも調査対象になってるわけよ、ここ。トロい頭でこれ以上無理だわな。

長寿寺(山口市本街)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 山口市本町1丁目2−15

アクセス

最寄り駅が上山口となっていますが、山口駅から歩いていて、普通に通りすがりました。公式アナウンスでは、上山口駅から徒歩15分です。

参照文献:『山口県寺社沿革史』、『趣味の山口』、説明看板、山口市HP

長寿寺(山口市本街)について:まとめ & 感想

長寿寺(山口市本街)・まとめ

  1. もとは特留山・慈観堂という千躰仏のある寺院であった
  2. 大内義興に信仰され、病にかかったとき、回復祈願の祈祷を頼まれた
  3. 祈祷の結果、病は治ったことから、義興から寺院宛に礼状が送られた。その礼状に「長寿」の二文字があったことから、「長寿寺」と改名し、現在に至る
  4. 毛利輝元は父・隆元の十七回忌をこの寺院で執り行ったという
  5. 明治維新の頃、駐屯地となった

普通に歩いていて、なんか寺院あるなぁと思いましたが、ごく普通の地元密着型寺院さまという印象でした。観光客がウロウロするところではないと思い通り過ぎましたが、ふと見ると、凌雲寺さまの病平癒云々の案内看板が。こんなところにものすごいゆかりの寺院が……と思いびっくりでした。今でこそ資料も多少増えましたので、こちらが知る人ぞしる寺院さまであることは分っていましたが、当時は山口大神宮のような歴史書にばーーんと載っているものしか分らなかったのです。

ものすごい大発見をしたと思い立ち寄らせていただいた次第です。ご覧の通り、きちんと改築された立派な寺院さまですので、当時の面影はないと思います。しかし、普通に晩ご飯を買いに行った先にとてつもない由緒のある寺院さまがそんな素振りは欠片も見せずに、静かに佇んでおられるお姿に感激した次第です。

山口はのちに、毛利氏が入ってきたという経緯もあり、運命が変ってしまった寺院さまも数多くあります。けれども、やはりこのようにして、そこここに、古き良き時代の名残があるのだなぁと感じました。日本全国適当シャッフルの犠牲になったので、何も毛利家の人々が山口に来たのが悪いとか、そのような意図は微塵もございません。そもそも、引き続き信仰の対象となり、より発展した寺院さまも少なくないでしょうし。

しかし、街を歩けば凌雲寺さまにぶち当たるって感じで、目茶苦茶ラッキーな思いをしたのでした。残念ながら、大内氏関連寺社一覧表みたいな資料を手に入れてしまった現在は、このような偶然はもうないと思いますが。万が一にも、先生方が書かれた一覧表から抜け落ちていた寺院さまを発見したら、同じ気分になれそうですが、抜け落ちなどないはずですからね。

こんな方におすすめ

  • あれこれ謂れのある寺院に行くのが好きな人
  • 寺社巡りしていますという人

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

ミルってさ、旅に出るとコンビニの人になるんだよ。世話される俺の身にもなれって言いたい。

ミル涙イメージ画像
ミル

だって、旅費そのものが膨大な支出だし、減らせるのは食べ物くらいだよ、君。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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