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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2024/10/20
大内氏の氏寺・氷上山興隆寺にある妙見社は、こちらの北辰妙見社から勧請された。つまり、大内氏の氏神の本家本元にあたる神聖なお社。かつては、鷲頭山に上宮、中宮、下宮があったが、下宮は現在、若宮として参拝しやすい現在地に鎮座されている。
2024/1/26
北辰が降臨した松の木『鼎の松』があった場所。現在もその松の子孫が繁茂している。この松の木を「鼎大明神」として祀る神社が金輪神社。星が降った松、降松、下松となったことが町の名の由来。ゆえに、松の木、神社を含め一帯を金輪公園として整備している。
2024/9/22
大内氏の氏寺として有名。一族の滅亡後は衰退の一途を辿りますが、そのかつての繁栄ぶりについて考察。古図をたよりに郷土史研究の先生とともにかつての参道を歩きました。
2025/2/2
大内義弘の菩提寺・香積寺の跡地。現在は仁保にあった陶弘房の菩提寺・瑠璃光寺が移築されて来ている。五重塔は、義弘が応永の乱で敗死したのち、弟・盛見が兄の菩提を弔うためにつくったもので、大内文化、山口市のシンボル。
2024/8/24
応仁の乱で西軍に味方して上洛した甥・政弘の留守中、東軍の細川勝元に味方して叛乱を起こした大内教幸の菩提寺。元々は古熊の地にあったが、明治時代、元この地にあった香泉寺が廃寺となった跡地に移転した。元香泉寺のものだった貴重な文化財が多い。
2024/1/25
大内弘幸の弟・弘直菩提寺で供養塔がある。寺院は改名、改宗などの末、義隆代の政変で焼失。義隆菩提寺として大内館跡に建てられている龍福寺がその移転先。旧寺地にも、江戸時代に最初の普門寺の名で再興され、大村益次郎が兵学を教授した「普門塾」が有名。
2022/10/18
八代将軍・義政の弟、九代将軍・義尚の叔父、十代将軍・義材の父。隠居願望が強かった兄・義政の我儘に振り回された人生だったが、最後は息子が将軍職に就くことで、すべてが報われた。
2022/10/18
細川政元の三人の養子の一人。細川澄元と組んで澄之を倒したが、のちに不仲となり、足利義材の将軍復職を助けた。義材政権下で管領となり、その後は義材と不仲となって、足利義澄の遺児・義晴を担ぎ上げた。
2024/9/3
周防国初の臨済宗寺院として重んじられた。代々の住持はすべて著名な名僧ばかりで、歴代当主たちはここで五山文化に触れた。数度の火災で大伽藍は焼失。大内氏の祈願所でなくなってからは衰退。弘世の菩提寺だった塔頭・正寿院を残すのみとなっている。
2024/7/6
大内盛見が応永年間に創建した曹洞宗の名刹。盛見の子・教弘の菩提寺・闢雲寺となった。のちに、小早川隆景の菩提寺となり、泰雲寺と改名される。江戸時代の火災によって全焼したため、ゆかりの品々は焼失したが、隆景、隆景夫人、教弘の供養塔などがある。