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ミル@周防山口館
大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2024/1/25
大内盛見の菩提寺・国清寺跡地に建てられた毛利元就・菩提寺。山門、観音堂が国指定重要文化財。盛見の墓と一切経蔵礎石もある。
2024/1/25
下関市長府の曹洞宗寺院。元は長福寺といい、後醍醐天皇時代の創建。仏殿が国宝。長府毛利家の菩提寺となり、寺名と宗派が変った。大内家最後の当主・義長が亡くなった場所で、墓と伝えられる石塔がある。高杉晋作が挙兵したところとしてのほうが有名。
2023/10/8
大内家の「先祖伝説」といわれるものは、最近の研究では否定されている部分もある。けれども、歴代当主たちが懸命に「先祖伝説」まとめ、完成させていった姿は、やらせやインチキではなく、祖先のルーツを探り出そうとした汗と涙の結晶のように思える。
2024/11/30
大内家氏寺と歴代当主の菩提寺と墓所についてのまとめ。二十一代・弘家~三十一代・義隆(+三十二代・義長)すべての所在地と現状についてご紹介してます(山口県外にある義弘墓以外すべて現地に赴いてお参りしました)。※墓所はあくまで「伝承」地です。
2024/9/5
大内義隆の菩提寺。毛利隆元が大内氏館跡地に建立。残念ながら明治時代に火災で焼失し、再建物となる。興隆寺から本堂が移築されていたり、大寧寺義隆墓碑の模造品が置かれていたり、ゆかりある品が見渡せる仕組み。展示品が充実した資料館もある。
2025/1/11
戦国初期に滅亡し、系図を保管し伝えて行く子孫が途絶えたことで、大内氏の系図には完全なものがない。不完全な断片や、信憑性に欠ける言い伝えなどから研究者の方々が整理、修正したものが現在の「定説」。なおもかなりの伝承的な部分があり、不完全。
2023/2/12
下関観光のアウトライン。
2022/10/17
足利義材と対立した十一代・将軍。細川政元の傀儡だったが、やがて対立し、自立を目指していた。その最中に、義材が復職し、亡命地近江で客死。
2024/11/8
琳聖太子は大内家の始祖。日本に仏教をもたらしたとされる、百済の聖明王の王子。聖徳太子に会うために来朝したと伝えられている。琳聖太子なる人物は存在しなかったというのが現在の定説だが、麗しい先祖伝説に浪漫を求めたい人は学者の意見など無視推奨。
2025/1/24
文武の名将ばかり輩出してきた大内氏歴代の中に、突然変異で生まれ出たとしか思えない当主。夜毎公家の宴会に現を抜かし、家臣たちの叛乱に遭って自殺。亡命公家を家庭教師にあれこれ学んだけれど、武家の当主として、もっとも必要な武芸はからきしだった。