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ミル@周防山口館
大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2024/1/25
下関市長府に鎮座する長門国二の宮。仲哀天皇と神功皇后が熊襲討伐のために九州に下ったさいに滞在し、政務を執った豊浦宮が起源といわれる。祭神は天皇ご夫妻のほか、お子様である応神天皇。「鬼石」や「さか松」など、天皇夫妻にまつわるゆかりの史跡がある。
2024/1/25
創建は平城天皇の頃といわれ、山口盆地最古の寺院とされる。元は天台宗で、政弘期に真言宗となった。大内氏、毛利氏歴代によって、修繕、再建が繰り返されてきた。観音堂・山王社本殿・木造金剛力士像は、山口県指定文化財。山口十境詩「清水晩鐘」の詩碑も。
2024/1/26
山口市中心商店街西側入り口付近にある。もともと大内義興に信仰されていた寺院だったが、義興が病にかかった際、病気平癒の祈祷を行なって効果があったことから、礼状を下賜された。寺号はその書状中の文字からとられている。明治維新関連史跡でもある。
2024/1/26
山口市吉敷にある寺院。役小角や行基ゆかりの寺といわれ、有名な「皷の滝」は今も修行の場所でもある。国指定文化財の大日如来があるほか、周防国三十三観音霊場の十七番札所ともなっている。
2024/1/26
奈良時代に、総本社・宇佐神宮から勧請された八幡宮。かつては多くの社坊をもつ大規模な神社で、特に戦国期、大内義隆や豊臣秀吉といった著名人に深く信仰された。境内にある多宝塔が有名だが、これは神仏習合していた時代の名残り。閼伽井坊の所有となる。
2024/1/26
大内氏の氏寺・氷上山興隆寺にある妙見社は、こちらの北辰妙見社から勧請された。つまり、大内氏の氏神の本家本元にあたる神聖なお社。かつては、鷲頭山に上宮、中宮、下宮があったが、下宮は現在、若宮として参拝しやすい現在地に鎮座されている。
2024/1/26
大内氏の氏神・妙見大菩薩の勧請元となった本家本元の妙見社。かつては、七つもの社坊があったが、滅亡後は廃れてしまった。大火災の後、唯一再建されたは社坊はこの鷲頭寺のみ。神仏分離で、若宮と分離されたが、なおも神仏混淆した姿を維持した稀有な寺院。
2024/1/26
北辰が降臨した松の木『鼎の松』があった場所。現在もその松の子孫が繁茂している。この松の木を「鼎大明神」として祀る神社が金輪神社。星が降った松、降松、下松となったことが町の名の由来。ゆえに、松の木、神社を含め一帯を金輪公園として整備している。
2024/9/5
大内氏の氏寺として有名。一族の滅亡後は衰退の一途を辿りますが、そのかつての繁栄ぶりについて考察。古図をたよりに郷土史研究の先生とともにかつての参道を歩きました。
2024/6/20
大内義弘の菩提寺・香積寺の跡地。現在は仁保にあった陶弘房の菩提寺・瑠璃光寺が移築されて来ている。五重塔は、義弘が応永の乱で敗死したのち、弟・盛見が兄の菩提を弔うためにつくったもので、大内文化、山口市のシンボル。