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ミル@周防山口館
大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
2024/1/25 寺院
大内弘幸の弟・弘直菩提寺で供養塔がある。寺院は改名、改宗などの末、義隆代の政変で焼失。義隆菩提寺として大内館跡に建てられている龍福寺がその移転先。旧寺地にも、江戸時代に最初の普門寺の名で再興され、大村益次郎が兵学を教授した「普門塾」が有名。
2022/10/18
八代将軍・義政の弟、九代将軍・義尚の叔父、十代将軍・義材の父。隠居願望が強かった兄・義政の我儘に振り回された人生だったが、最後は息子が将軍職に就くことで、すべてが報われた。
2022/10/18
細川政元の三人の養子の一人。細川澄元と組んで澄之を倒したが、のちに不仲となり、足利義材の将軍復職を助けた。義材政権下で管領となり、その後は義材と不仲となって、足利義澄の遺児・義晴を担ぎ上げた。
2024/1/25 寺院
琳聖太子供養塔&大内重弘、弘世公墓。山口十境「南明秋興」、上田鳳陽先生墓所。おまけで立木仏。
※リライト中です。
2024/1/25 寺院
大内盛見が応永年間に創建した曹洞宗の名刹。盛見の子・教弘の菩提寺・闢雲寺となった。のちに、小早川隆景の菩提寺となり、泰雲寺と改名される。江戸時代の火災によって全焼したため、ゆかりの品々は焼失したが、隆景、隆景夫人、教弘の供養塔などがある。
2024/1/25 寺院
大内盛見の菩提寺・国清寺跡地に建てられた毛利元就・菩提寺。山門、観音堂が国指定重要文化財。盛見の墓と一切経蔵礎石もある。
2024/1/25 寺院
下関市長府の曹洞宗寺院。元は長福寺といい、後醍醐天皇時代の創建。仏殿が国宝。長府毛利家の菩提寺となり、寺名と宗派が変った。大内家最後の当主・義長が亡くなった場所で、墓と伝えられる石塔がある。高杉晋作が挙兵したところとしてのほうが有名。
2023/10/8
大内家の「先祖伝説」といわれるものは、最近の研究では否定されている部分もある。けれども、歴代当主たちが懸命に「先祖伝説」まとめ、完成させていった姿は、やらせやインチキではなく、祖先のルーツを探り出そうとした汗と涙の結晶のように思える。
2023/9/18
大内家氏寺と歴代当主の菩提寺と墓所についてのまとめ。二十一代・弘家~三十一代・義隆(+三十二代・義長)すべての所在地と現状についてご紹介してます(山口県外にある義弘墓以外すべて現地に赴いてお参りしました)。※墓所はあくまで「伝承」地です。
2024/1/25 寺院
大内義隆の菩提寺。毛利隆元が大内氏館跡地に建立。残念ながら明治時代に火災で焼失し、再建物となる。興隆寺から本堂が移築されていたり、大寧寺義隆墓碑の模造品が置かれていたり、ゆかりある品が見渡せる仕組み。展示品が充実した資料館もある。