イマドキやまぐち

桜山神社(下関)

2020年12月1日

拝殿の写真

桜山神社・基本情報

住所 〒750-0061 山口県下関市上新地町2丁目6-22
電話  083-222-6735
主な御祭神 吉田松陰の神霊、長州奇兵隊士256柱、豊浦藩報国隊士96柱、鷹徴隊・八幡隊・遊撃隊・整武隊・育英隊等諸隊士38柱(御祭神は391柱)
主な祭典 春季大祭(四月第一日曜日)、秋季大祭(十月第三日曜日)
社殿 本殿・幣殿・拝殿
主な建物 鳥居、燈籠、手水所、社務所、神徳碑、明治天皇勅宣碑、七卿史碑後、相撲場、由緒板
最寄り駅 下関駅から車で5分、厚生病院前バス停から徒歩5分
公式サイト http://sakurayamajinja.com/

桜山神社・歴史

高杉晋作の提案で、維新の志士たちの霊をお祀りするために「招魂場」がつくられたのが始まり。招魂場は慶応元年(1865)に落成。下関戦争・小倉戦争・戊辰戦争などの戦死者の神霊が祀られた。その後、県内にあった招魂場すべての神霊が合祀された。最初は桜山招魂社と呼ばれていたが、昭和時代になって桜山神社と改称された。

本殿裏には、国事に殉じた人々一人一標、合計396本の石碑があり、吉田松陰の左右に松陰の門下双璧と称された久坂玄瑞・高杉晋作の石碑がある。

「桜山」の名は、桜の木が植えられたことに由来する。毎年四月の大祭の頃には、満開の桜に覆われる。

「下関市内の数多い維新史跡の中でも、ことに重要な意味をもつ聖地」(桜山神社HP)と位置付けられている。

新介

ところで、高杉晋作さんってどんな偉人なの? 僕たちイマドキ近くの人たちをよく存じ上げていないんだよ。

メモ

高杉晋作:たかすぎしんさく、1839~1867、幕末期の志士、萩藩士。
吉田松陰に師事。幕艦で上海に渡航。奇兵隊を組織。四国連合艦隊下関砲撃事件では藩の正使となった。藩内の権力を保守派が握ると一時脱藩、下関で挙兵して保守派を倒す。下関で病死した。(参照:『日本史広辞典』)

桜山神社略年表

文久三年(1863)、高杉東行(晋作)の発議により、殉国の志士の神霊を祀る招魂場を築くことになる。
元治元年(1864)、桜山を斎場として山本勘助が隊長となり開墾が始められる。
慶応元年(1865)、招魂場が落成。奇兵隊総管・山内梅三郎が祭主となり、招魂の儀を執り行う。
明治五年(1871)、県下各所の招魂場の神霊すべてと、下関旭山陵にあった豊浦藩報国隊士の霊を合祀。
昭和十四年(1939)、桜山招魂社を桜山護国神社と改称する。
昭和二十一年(1959)、桜山護国神社を桜山神社と改称。
昭和三十四年(1959)、吉田松陰没後一〇〇年祭にあたり、山縣有朋等23柱を追祀。祭神が391柱となる。
(参照:『山口県神社誌』)

桜山神社・みどころ

拝殿

本殿の写真

入母屋造。

高杉東行狂生書の碑

高杉晋作書碑の写真

社殿の前にある。招魂場が落成した折、高杉晋作はその時の思いを筆にした。その書を刻印してつくったものが、この碑。実物そのままに、高杉晋作の筆跡を鮮明に見ることができる。

招魂場霊標

招魂場慰霊碑の写真

下関市指定記念物 (史跡)となっている。「幕末から近代にかけての死者の慰霊・追悼・ 顕彰のあり方などを明らかにするうえでも、大きな意味を持つ」との説明看板があるから、そのまま説明文を載せておく。なお、招魂祭は文久二年(1862) に「京都霊山で在京各藩有志により行われたこと」が起源で、「尊皇のもとに戦死した者を慰霊し、変革成就を誓う祭祀」という注釈がついている。

桜山招魂場は、 奇兵隊の嘆願により、元治元年(1864) 5月に尊皇攘夷に倒れた 隊士らを身分の区別なく慰霊する施設として創設され、翌年の慶応元年8月に招魂祭が挙行された。のちに全国に設けられる招魂社の先がけであり、幕末維新における奇兵隊、ひいては長州藩の思想理念を象徴する史跡である。
現在の招魂場には、吉田松陰をはじめ391基の招魂碑が整然と立ち並ぶ。 その初期の姿は、招魂碑が社殿をコの字状に囲む形態であったが、明治40年代前半には神社拝殿裏に整然と集約配置された。その後も数度の改変を経て今に至っており、現在の配置形態からは、史料や石碑の色合いにより一つ前の配置形態(昭和34年) を読み解くことができる。 また、吉田松陰の碑は戦前のある時点で、他と区別すべく一段高く最前列中央に据えられ、その左右には松下村塾四天王と称される高杉音作、久坂玄瑞、入江九一、吉田稔麿が配置され、吉田松陰に対する当時の時代背景が映し出される。
「桜山招魂場」説明看板 下関市教育委員会

付記:付近の維新関連みどころ

高杉晋作終焉の地

高杉晋作墓の写真

高杉晋作は志半ばにして、二十代後半で亡くなっている。病名は結核。当時は不治の病だった。あまりにも早過ぎる死。もっと長生きしていたら、世の中はどんなふうに変わっていただろうか。

白石正一郎旧宅跡

白石正一郎屋敷跡の写真

白石正一郎氏は、商人。多くの維新の志士たちを財政面でバックアップしたことで知られている。高杉晋作もその恩恵を受けた一人。ここはその屋敷跡地。高杉晋作と言えば「奇兵隊」だが、結成されたのはこの地だとされる。だから、白石正一郎氏屋敷跡地であると同時に「奇兵隊結成の地」ともなっている。

桜山神社写真集

アクセス

下関駅からタクシーを使いました。下関でタクシー貸し切り観光をお願いすると高杉晋作関連史跡はもれなく組み込まれることが普通ですので、すべて回りたい人にはオススメです。
最寄り駅は「厚生病院前バス停」で、徒歩5分という公式アナウンスです。駅から車でも5分くらいですので、交通費と相談でバスを使うのもよいと思います。

参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』、桜山神社様HP、「しものせき旅のコンシェルジェ 楽しも!」様HP、史跡説明看板、『日本史広辞典』高杉晋作項目
このページを書いた時(2020)、「しものせき旅のコンシェルジェ 楽しも!」に「しものせき物語」という特集ページがありました。下関に関わりある人々について、関連史跡とともに、分かりやすくまとめられていてとても素晴らしい内容でした。現在も掲載されているかわかりませんが、ぜひ覗いて見てください。

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