桜山神社(下関)

「高杉晋作」に興味津々の亀が、ゆかりの神社に行くと言ってきかない。
けっこう頑固だから困るんだよね。

コトバンクさんの説明によると、高杉氏というのは、こんな方だよ。

幕末の尊攘(そんじょう)倒幕派の志士。長州萩藩士。名は春風。号は東行。変名は谷梅之助。松下村塾に入り久坂玄瑞とともに吉田松陰門下の俊英といわれた。1862年上海に渡航,帰国後尊攘運動に参加,1863年外国船の下関砲撃に際し奇兵隊を編制した。馬関戦争では連合艦隊との和議にあたった。1865年藩内を改革し藩論を倒幕に向かわせたが,維新直前に病死。

コトバンク

高杉さんの提案で、維新の志士という方々の霊をお祀りするために「招魂場」というものがつくられた。それがこの下関の地だったんだけど、後から、周防長門そこら中にあった同様の「招魂場」がすべてここにまとめられたんだって。
そして、明治時代にこの場所に、桜山神社が建立された、ってわけ。

社殿


明治時代に造られたということは……わりと新しい神社ということになるよね。
でも、ほかの神社も、改築や修繕を繰り返しているので、ここより新しいところもきっとたくさんあるはず。
人気のある人だから、お参りに来る人も多いよね。

高杉東行狂生書の碑


社殿の前にあるんだけど。これはすごいお宝です。
招魂場が落成した折、高杉さんはその時の思いを筆にしました。それを、刻印してつくったものが、この碑なんだ。実物そのままに、彼の筆跡を鮮明に見ることができるよ。

招魂場霊標


こちらが、招魂場。ずらっと並ぶ石碑に圧倒される……。高杉さんと、同じく維新マニアの人たちに慕われている吉田松陰先生の石碑とが並び合っていたよ。

高杉晋作終焉の地


高杉さんは志半ばにして、二十代後半で亡くなっている。病名は結核。当時は不治の病だったからね。

弘護叔父上も、二十八歳で亡くなっている。
将来有望の若者の早過ぎる死……。本当に胸が痛むね。
もっと長生きしていたら、世の中はどんなふうに変わっていただろうか。

白石正一郎旧宅跡


白石正一郎さんという人は、商人。多くの維新の志士たちを財政面でバックアップしたことで知られている。高杉さんもその恩恵を受けた一人。ここはその白石さんのお屋敷跡地。
高杉さんと言えば「騎兵隊」だけど、結成されたのはこの地だとされる。だから、白石さんのお屋敷跡地と同時に「奇兵隊結成の地」ともなっている。

この回を書くにあたって、「下関市公式観光サイト 楽しも」様を参考にさせていただきました。
なお、こちらのサイトにある「しものせき物語」は下関に関わりある人々について、関連史跡とともに、分かりやすくまとめられていてとてもおススメ。高杉晋作さんのほか、金子みすゞさん、巌流島と源平合戦についてのストーリーがあるよ。さらに「下関とくじら」というものも。
ここは一見の価値がある素晴らしい内容なので、ぜひとも目を通してみてください。

〒750-0061 山口県下関市上新地町2丁目6