『足利直冬』

昨日から今日にかけて本を二冊読んだ。
於児丸が僕の名前で勝手に本を「大量に」購入しちゃったからね。
見たところ、伝記にこっているらしいが。
読んで何をするつもりなのか……。
せっかく買った本を僕の家に置いて行ってしまったから、しばらくこれらで楽しませてもらうよ。

正直、足利直冬なんて人、僕はよく知らないよ。
これ、「ただふゆ」って読むのね。初めて知りました。
南北朝、観応の擾乱……こんな時代に生まれてないもん。

ところが、実はこの人、庭園に関係あるのね。
だから於児丸が買い集めてるんだ。

そう言えば……。
南北朝のなんたら親王の伝記を読んだことがあったなぁ。
それこそ、「身についてない」から忘れてしまったが。
当時、九州では南朝勢力が優勢で、なかなか壊滅しなかった。
北朝(幕府)、南朝ともう一つ、三つ巴の勢力図となっていた時期があり、その第三の勢力がこの足利直冬だった。

庭園の先祖は元南朝勢力だから、南北朝の頃は凶徒だったわけ。
ま、別に、南朝をサポートしたいと望んでいたわけではなく、
対立していた厚東氏が北朝だったから、それとは反対のほうについたのだろう。
そんなところから、ちらほらと庭園の人たちの名前が歴史の中で太文字になっていったのがこの動乱期だよ。

直冬という人が、足利尊氏の息子だということは有名だけど、どういうわけかどうしても父親に「認知」してもらえなかったんだね。
かわりに、叔父である直義さんの養子になったんだけど。

於児丸の父上の従兄も、同じく「出自の分らない女」の息子なのに「認知」されてるのにね。
将軍ともなるとダメなのかい? それとも奥さんがおっかない人だったの?

ま、そんなわけで、生涯父親から認めてもらえなかった彼だけど、叔父さんに優しくしてもらえたのなら、それでいいんじゃない?
でも、その叔父さんが実の父親と争って殺されちゃって(史実はどうなのかわからないけど、限りなく真っ黒)。
どこまで悲惨なんだろうねぇ。

この本を読んで正直、なんだかなぁという思いが最後まで拭い去れなかったね。
ま、歴史ってこんなものなんだよね。

直冬さんは「長門探題」なんて名ばかりの偉そうな役職を押しつけられて体よく京を追い出されたわけだけど、その後は主に九州で活動し、途中「鎮西探題」なんて名前に変わったりしつつ、最後は石見国で亡くなった。

そんなわけで、西国と縁がある人なんだよね。
さっきも言ったように、九州は三つ巴。
南朝:征西将軍宮懐良親王
幕府(北朝):九州管領・一色道猷(範氏)
って対立していたところに、直冬が逃れて来た。

最初は長門探題ってくらいだから中国にいたわけだけど、ここら京でのあれこれの政争で討伐対象指定になって命を狙われたから、九州に逃げたんだよ( 。-_-。)

そして、相容れない三勢力はそれぞれが優位に立つために、九州の在地勢力を味方につけようとした。
そこらへんが、とんでもなくいやらしい。
思い出すのは安芸の国人衆だけど、ここも同じ。
昨日は南、今日は北。
日和見主義で勢力が少しでも強そうなところに味方する。
ただし、彼らにとってもこれは死活問題なので、そのことで非難するのはよくないんだけど。
なかには、身内同士で別々の勢力に与力して戦うことになった一族もいるけど、これは元々彼ら自身も矛盾を抱えていていがみ合っていた場合ももちろんある。
でも、そういう事実はなくても、あえて別々の勢力につくケースはあった。最後に勝ち残るのが誰であれ、一門のうちの誰かはその勢力と共に生存することになるからね。

さて、彼らを味方につけるためにはどうするか?

恩賞と所領安堵だ。

だから三勢力が、それぞれ力を貸してくれたのなら、恩賞は思いのままとばかりに誘いをかけてくる。そして、誘いに乗って手柄を立てたならば、敵対勢力から切り取った土地を給付したり、申し出のあった土地を安堵してやったりする。
ところが、弱小で「浮動的」な国人層は、ころころと主人を変えるし、土地を奪われるくらいならば……と降参してしまったりする。
すると、なーーんだAを倒したらその土地をBに給付しようと思っていたのに、Aが味方になってしまった……。仕方ないのでBに渡す約束だったA所有地はAに戻して、Cの土地を渡すこととする。の様な感じ。
これとは真逆で、味方だったBに寝返られてしまったから、Bに土地を渡したことはなかったことにする。Cにあげるよーーー、と。
もう目茶苦茶だよ。

勢力の強さは、京の政変などに左右されてこれまたころころ変わるし、弱小浮動国人層ならぬ大名クラスでも、それぞれの利害関係などで、誰につくかは流動的。

この頃、九州にいたデカい大名は
少弐、大友、島津、菊池ってトコ。
ほかに、「国大将」として日向・大隅に派遣された畠山直顕って人がいた。
さて、誰が誰についたんだろう?

まず、肥後の菊池は南朝勢力の親分。
それ以外は北朝側だった。
しかし、大勢いる北朝勢力の側には微妙な利害関係による亀裂が……。

そもそも直冬さんには誰が味方したんだろうか?
彼の側近と言われているのは、仁科盛宗という人で、ずっと傍にいたみたいね。
それから、畠山直顕さんも与党になった。

そして、ここでもまた「悪さ」をしているのが少弐だ。
もう太宰府が命より大事なこの連中は、こと太宰府がらみになると驚異的なこだわりを見せる。
九州の中心は大宰府だから、南北両方そこを目指す。しかし、少弐家の当主・頼尚は自分が「九州管領・一色道猷」の指図を受けている状況を「何か違う」と感じていた。太宰府の主は我々ではないか?
つまらないことから、不満を蓄積させていた彼は、ついに一色と袂を分かち、直冬の配下(こんなに自己中だから、『配下』だなんて思ってたか疑問だけど)となり、さらに、娘婿になってもらうほどのゴマすりぶり。

だが、せっかく少弐を味方につけたものの、彼の居場所はやはり九州にはなかった。一色道猷の総攻撃に遭った彼は長門に逃れてしまったのだ。
助けてくれたのは南朝側勢力の、豊田氏。
当時、大内、厚東、豊田が「防長の三名族」と言われていたのだ。大内弘世さんも彼の脱出劇を助けたらしい。

その後暫くは、長門の豊田氏の城にいたらしいけど、やがて石見に。
そして、上洛までしたんだけど、結局、父にも弟にも勝つ事はできず、最後は石見で亡くなった。
その後、七十代になるまで長生きをして、息子や孫もできたらしいけど、詳しい事は分からないそうな。
息子は偉いお坊さんとなり、孫は後に、嘉吉の変で赤松家に担ぎ出されることになる。

でも、僕にはもはやこの人の最後なんてどうでも良くなった。
ここらの歴史で一番面白いのは、やっぱり大内家が南から北へ鞍替えしたところだよね(笑)。
しかし、もっとすごいのがやっぱり、少弐。

直冬は太宰府で一色道猷と死闘を繰り広げている少弐を置き去りにして逃げたらしいんだけど、ここは詳細を語る史料がなく、先生方も「そうなんじゃないか」って思ってるレベル。だとしたら敵前逃亡も甚だしく、恥ずかしいことだみたいな話だったかな?

ま、読書感想文だからどうでもいいでしょ?

で、少弐家はもはや風前の灯火となったとき、なりふり構わず「宿敵」菊池家に助けを求めた。
南北は対立しているわけだから、すくなくとも「北」と戦っている少弐は、当面の敵ではない。南朝の雄・菊池氏は相談の上、少弐に味方することにした。
さしもの一色道猷も、菊池を味方につけた少弐の息の根を止めることまではできず、少弐家はなんとか持ち堪えることができた。
ほっとした少弐頼尚は大喜びで、今後七代にわたり、絶対に菊池氏と敵対することはない、と誓ったという。
だけど、「七代はおろか」「六年後」には、もう戦争になったそうな。
ほら吹きもここまでくると哀れを催す。

結局、主人公の直冬くんにも、感動することもなく、そこはかとなく哀れなだけだった。これは、ご本をお書きになった先生ご自身が、彼の事を「名将と称することができない」とはしがきから述べているくらいだから……。
とはいえ、そのような人物にも、こうやって一冊の伝記が書かれている、そのことが貴重であると思った。

以上、とりとめなくてごめんね。
そのうち、書き直す日がくるかも。
ま、足利尊氏とかの伝記を読むよりは面白かっただろう、とは思う。

読んだ本:瀬野精一郎『足利直冬』吉川弘文館