- HOME >
- ミル@周防山口館
ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2023/11/1
大内氏と戦った敵たちを紹介する「敵を知る講座」第一回は、凌雲寺さま(義興公)と張り合った山陰の大物・尼子経久が出雲国に腰を据えるまでのお話。宇治川の先陣で有名な佐々木高綱、婆娑羅大名として知られる佐々木道誉などが尼子氏の先祖とはビックリ。
2023/9/18
大内氏の始祖・琳聖太子について、『陰徳太平記』での記述をご紹介。史実とは異なるところも多々あるが、これも書物が書かれた時代の、人々の大内氏に対する認識と考えると興味深い。無味乾燥な事実の羅列ではなく、ストーリーとして楽しめる脚色も楽しい。
2024/1/19
毛利元就で有名な安芸国人毛利家の居城。城跡は非常に広大だが、整備が行き届いており、見学しやすい。毛利元就と隆元、およびそれ以前の一族の墓所、青山光井尼子陣所跡などの史跡が有名。付近には重臣たちの居城跡などもあり、毛利家一色に染まれる。
2024/7/21
大内氏安芸東西条の拠点だった山城。大永年間、尼子経久によって鏡山城が陥落。陶興房は城を奪還したが、そのまま放棄。敵の動向を探るのにより相応しい曾場ヶ城を築いた。状勢の変化により、拠点はさらに槌山城に移転。曾場ヶ城は短期間でその役割を終えた。
2023/10/6
座禅して悟りを開く宗派で、特に武家を中心に信仰された。いわゆる禅寺ってものは各地にあり、鎌倉・室町幕府に保護されたりして栄え、五山版とか五山文学とか、漢文だらけの学問が盛んに。参考書+α で禅宗って何? の基本をわかりやすく説明します。
2024/1/18
大内義隆の養子・晴持を祀る神社。月山富田城攻めに敗北して当地で亡くなったので、出雲国(島根県)にある。小さいながら立派な神号碑、鳥居、社殿、境内祠まで揃っている。遠い異国で大内氏ゆかりの人が大切にお祀りされていることに感動を覚える場所。
2024/1/18
土佐一条家から大内家に養子に入った。三十一代当主・義隆は跡継として大切に養育していたが、尼子家との合戦(月山富田城遠征)に敗れて逃げる途中溺死した。軍記物は容姿端麗で詩歌・管弦・蹴鞠に勝れ、武芸にも秀でていたのに、とその若死にを悼んでいる。
2024/8/24
二つの岩が重なり合った巨大な奇石「鰐石の重岩」ある大内時代の景勝地。趙秩が詠んだ「山口十境詩」のうち、「鰐石生雲」はこの場所。ついでに「象山積雪」が詠まれた象頭山も近い。鰐石川、鰐石橋、鰐石町と鰐石だらけ。なかなかに見てビックリの大岩です。
2024/9/2
元は大内氏氏寺興隆寺の坊のひとつが移築された建造物で、木造聖観音立像を安置した観音堂。像は平安時代の作品で県指定文化財。付近に木喰上人の立木仏、奇兵隊軍監・福田侠平氏の遺髪塚。
2024/1/19
大内弘幸を開基、高峰顕日を開山として建立され、中興は春屋妙葩。夢窓疎石造庭の枯山水庭園もあったというものすごい臨済宗寺院。大内氏の滅亡で破却の憂き目に遭い、のちに再興された。規模は縮小され、往時の堂宇は一つもないが、歴史はしっかりと受け継がれている。