2022年9月5日~9日、山口市内に滞在しあれこれ見学しました。今回は地元のガイドさん方にお願いをして、たくさんの貴重なお話を拝聴することができました。前回の山口訪問ではわからなかったところ、見れなかったところも今回は出来る限り回り、理解しようとつとめました。せっかくご教授くださったことも、あっと言う間に忘れてしまうので、半分も頭に残っていないことが残念無念です……。記憶に残っている範囲でこれまでの記事を修正するとともに、新しい訪問場所についてご紹介いたします。
周南市のほうから来ました!
500年後の山口を探訪するぞ!
予定表
一日目:街歩き一日目。法泉寺のシンパク、香山公園、雲谷庵など
二日目:街歩き二日目。大内氏館跡、築山跡、サビエル記念聖堂など
三日目:バス旅&街歩き三日目
四日目:一日中貸し切りタクシー
五日目:街歩き四日目。自由行動
予定はこんな感じだったんだけど、実際にはあれやこれやわがままなオプションが付き、さらにミルたちだけで復習がてら何度も同じ場所を歩いたりしたので、ものすごいことになったよ。
ミルのやつ、平然と何万歩も歩き回るからさ。俺、疲れ果てた……。
まあまあ。時間は有効に使わないとね。ここは単なる予定表ページみたいなもの。それぞれの訪問場所についてはリンク先を見てね。
一日目
パークロード
この大通りはパークロードといいまして、「日本の道百選」にも選ばれた道です。ご覧のように奥ゆかしい趣がある通りは、両脇に植えられた木々が花開く時期、秋の紅葉の時期には目も覚めるような美しさ。今回撮影時は、花も紅葉もございませんが、緑鮮やかなこの時期にも風情はあります。
付近には博物館、美術館、図書館などの学芸施設がいっぱい。元々はこの辺りに、山口大学があったそうです。手狭になったため、現在は他所に移転。その跡地にこのような施設を建てました。お好みは人それぞれなので、博物館と美術館と図書館を一時に訪問する人も稀かも知れないけど、無目的に次々中に入って見るのも良さげ。ここだけで、学問の世界にどっぷりと浸かれます。
山口市内には至る所に公園があり、トイレなどの施設も整備されていることが特徴。亀山公園にはパークロードから行けました(二日目参照)。
ここパークロードにも地下道がありますが、山口市内の地下道は特別。すべてがそうってわけじゃないかもですが、何の変哲もない地下道の中に、絵画がたくさんあります。パークロードの地下道には祇園祭りが、雲谷庵付近の地下道には雪舟の「四季山水図」が描かれていました。
山口県庁
えーー!? 県庁なんかが、観光資源になるの? と失礼なことを考えてしまった方はおられるかな? 山口県庁はじめ、県警本部や県議会など県政にかかわる建物は一つところにまとまっており、中にはそれ自体が由緒ある建築物という場合も。しかも高嶺の麓にあるという最高のロケーション。こんなところで働けるなんて羨ましいな、って思ってしまいます。
各庁舎内には食堂もあり、これはお役人の方々でなくとも飲食可能。付近にはレストラン街のようなものがないため、観光途中でお腹がすいてしまったら、こちらに駆け込むのもあり。美味しい上に良心的な価格です。ただし、お昼の12時をすぎたら県庁の方々がお食事に来られるため混雑します。お昼時ちょい前くらいに入りましょう。
定食最高!
食べるだけではなく、お土産物も買えますよ。地元の特産品の販売コーナーもありました。
というようなことは、すべてガイドさんに教わりました。フツーは通り過ぎてしまうお役所群ですが、みなさんもたまには地元の県庁を覗いてみたら楽しいかも。山口市内の民ではないので、庁舎と庁舎のつながり方とか、穴場スポット(後で書きます)などがわからず難しい。でも、山口市は県庁はもちろん、市役所や県立施設(博物館、美術館、図書館など)が一箇所にまとまっていて圧巻です。まとまっていると言っても当然、多くの施設があるわけなので、あわせたらとんでもない広さになります。それだけ広範囲にわたっているので、仮に役所にも博物館などにも興味ない。五重塔や山口大神宮にまっしぐら、という方でも、これらの建造物の側を通ることになるはずです。
あまりに素晴らしい場所に陣取っているがゆえに、県庁内から見る外の景色がすごい。周囲ガラス張りで展望を楽しめるフロアがありますので、県庁に行って市内を一望できてしまいます。県民のために開放されているとはいえ、観光客が展望タワー的に利用する目的で造ったわけではないと思われ(山口県に問い合わせていないので不明ですが)、何棟の何階が見晴らしがいい場所なのかはわかりません。また、市街を眺めやったところで、見えている山が何山なのか、あの建物は何なのか、というような説明看板もありません。なので、地元の方とご一緒しなければ満喫することは難しかろうと思われます。
しかししかし、地元のガイドさんとご一緒させていただいていたミルたちにとって、県庁はとんでもない穴場スポットとなりました。
シンパク
パークロードを通り、県庁街に行ったのは法泉寺のシンパクを見るためでした。県警本部の脇を通って行くのです。シンパクを見るだけならば、ちょこっと山道を入るだけですが、奥まで行くとダムや有名な湧き水があるらしい。法泉寺さまの墓所はシンパクよりさらに上です。ガイドさんとはお墓まで行きませんでしたが、ミルたちはのちほどお墓とダムまで上ってしまいました。これらについては、法泉寺記事をリライトします。⇒ 関連記事:法泉寺跡
この日はほかに、洞春寺、香山公園、雲谷庵、野田神社&豊栄神社、能楽堂、今八幡宮を見学。今八幡宮は残念ながら、補修工事中でした。補修工事中にぶち当たるのって、そんな……と絶句ですが、ちょこっと考えを変えると、とっても珍しい時に見ることができたな、ってなります。補修工事はだいたい何十年かに一度くらいのスパンなわけでして。とは言うものの、やっぱり残念ですね。⇒ 関連記事:洞春寺、香山公園、雲谷庵、野田神社&豊栄神社、今八幡宮
ちなみに、五重塔も補修工事が予定されており、来年以降はしばらく見ることができなくなります。工事がいつからいつまでなのか、詳しくはお尋ねしませんでしたが、はっきりしているのは完了時期は未定、ということ。2~3年かかる、というような曖昧な数値しか出ません。あれだけのものを修理するのですから、時間がかかるのは当然。それに、着手してみたら、あれこれ問題も起るでしょうし、工事の専門家の方々にもはっきりどのくらいとは言い難いのでしょう。厳島神社の大鳥居だって、いつまでたっても工事中ですからね。
そんなに長い期間、見ることができなくなるなんて……。
お色直しが終わったらまた来ればいいよ。
補修工事との関連性は不明ですが、五重塔に放水なさってるところに行き合いました(二日目)。大切な国宝ですから、万が一の時に備えて放水設備は完備されています。時折、それらの設備がきちんと使える状態になっているか確認するようです。作業中は近付くこともできませんが、これもまた、レアな一コマではあります。
二日目
亀山公園
こちらは、サビエル記念聖堂から繋がっていたようでして、いつの間にか入っておりました。山頂には毛利敬親公の騎馬像が建っているのですが、この日ご案内くださったガイドさんは、敬親公のファンなのではないかな。お話にとても熱がこもっておられました。毛利家にはいくつかのお家がありましたが、元々はそのそれぞれのお殿様の銅像が、すべて建っていたのだそうです。しかし、戦争中に供出されてしまい、それらの銅像はなくなってしまいました。現在の敬親公像も再建されたものです。
これは前の日に、野田神社&豊栄神社を訪問した時のガイドさんから教えていただいたのですが、毛利家の家紋って、家ごとに微妙に違うようでして。一番上の横棒が、それぞれの家で違う。瑠璃光寺資料館の入り口付近に、それぞれの家ごとの家紋を説明した図を貼ってくださっており、なるほど、本当だ! となりました。
詳しく知りたい方は瑠璃光寺資料館へ。説明図版の類はすべて購入できるので、必死に暗記しなくても大丈夫です。
[st-kaiwa-31163]無礼な。きちんと覚えろ。
ミルたち、毛利家臣じゃないもの。
ここが、専門性とやらがあるサイトとは、到底思えませんが、あまり毛利さんのことを書いていると、あんたらは何が書きたいわけ? となってしまうので(検索エンジン的に)すべてをお伝えできないのが残念です(というか、書いておかないとすぐ忘れてしまって『お伝えする』も何もなくなってしまうだろうけど……)。
館跡 & まもなく公園に生まれ変わる築山跡
前回駆け足で回り、時間不足、見落とし、何なのか不明……と、残念なことになってしまった館跡と築山跡。今回はガイドさんの懇切丁寧な説明で疑問解消。滞在中は毎日通っていました。というようなことで、古い記事をリライトして完成させようと思います。⇒ 関連記事:大内氏館跡、築山跡
なんと、築山跡は公園として整備され、今年中にオープン(公園が)予定なのだそう。オープン当日はイベントで蹴鞠も行なわれるということです(菜香亭の学芸員さんが教えてくださいました)。これからは観光客ウジャウジャの人気スポットになるのでしょうか。
でも、なんで蹴鞠なんだ?
だって、築山跡だよ? 宴を開いていた場所じゃない。雅だったんだよ。君とは違ってね。
ちっ……。
ほかにも色々なイベントがあるようでして。帰宅の日からは、ガチャが始まりました。一種のスタンプラリーなんですが、すべて集めるとガチャに挑戦できるというもの。スタンプではなくて、シールを集めて台紙に貼っていきます。ガチャはガチャでもカプセル(?)におまけが入っているようなものではありません。カプセルには番号札のような紙が入っていました。そこに書かれた景品がもらえるのでしょう。これから家に帰るというタイミングだったので、残念ながら、時間不足で集められず(どこも何回も行った場所だったので、それこそ何度でも挑戦できそうだったのに……)。シールは大内家当主のキャラクターみたいで、一枚だけもらえたのが凌雲寺さまでした。
?
一の坂川
大内弘世が山口に拠点を移して、京都に似せた街づくりが始まったとき、この川を京都の鴨川になぞらえたとか。春の桜、夏の蛍と美しすぎる川です。これまた、現在は桜も蛍もない時期ですが。
この川が偉大であるのは、ホタルに配慮した護岸工事がなされているところ。かつて川が氾濫したとき、人命を第一に工事をしよう、という意見もあったそうです。しかし、それだとホタルが住みにくくなってしまいます。人々は知恵を出し合ってホタルの生活を守ることもできる工事の方法を考え出しました。川の流れ方、水の早さなどもすべて、ホタルが住みやすいように計算して設計、制御されています。人にもホタルにも優しい川なのです。
錦の御旗製作所跡
これは明治維新系のスポットとなります。どんなところなのかは、看板説明文のとおりですが、ガイドさんから、も一つとても面白いお話を伺いました。二枚目の写真の橋についてです。
この橋は「ひとつばし」といいます。一つ橋があるのだから、二つ橋、三つ橋……と続くのだろう、と思いますね。続きません。一つ橋しかないんです。ひとつばし=一橋、つまり、幕府最後の将軍の姓(徳川慶喜、一橋家出身)なのです。ということは……。
ふはは。俺、一橋を踏んづけてやったぜ。
……というようなことになるわけです。一日にどのくらいの通行量があるのかわかりませんが、毎日毎日人々が橋を渡るのですから、そのたびに踏まれていますね。
何なんだ? 一橋って誰なんだよ? 足利の一門なのか?
君たちの頃とは、将軍の家も変ってるんだよ。目茶苦茶簡単に言えば、山口県の人たちと敵対していた側の親玉だね。
へへへ。俺も踏んづけた!
この日は、明治維新関連のお話が多かった気がします。山口市は大内文化で町づくりを推進していると同時に、明治維新の街でもあるわけでして。あれこれと奥が深いのでした。もちろん、明治維新関連の貴重なお話も復習しながらご紹介したいと思います。⇒ 関連記事:山口城
三日目
この日はバスを使って移動。以前はなにゆえにか交通系ICが使えない山口県でしたが、バスはすでに普通に使えますし(※すべてのバス会社さまで使用可能かどうかは未確認です)、電車も来春から使えるようになるみたいですね。やっとなのかよ……と思います。逆に言うと、山口県の欠点は交通系ICが使えないことくらいだったので、今後は無敵ということに。
歩いて回る町歩きは本当に楽しいけれど、関連史跡の中には徒歩で行くのは難しいところもあります。禅昌寺と泰雲寺に行きましたが、これ、歩いたらとんでもないことになっただろうな。そしてそして、鳴滝を渡り(つまり水の中を歩いて)、上から泰雲寺に入るという凄まじい体験をしました!
鳴滝
ひゃー、冷たくて気持ちいい! 冒険最高!
まさに冒険だね。ガイドさんも君も若いね……。濡れちゃったよ(涙)
山羊
本文には書かないけど、泰雲寺には山羊がいるんだよね(洞春寺にもいた)。山羊は草を食べてくれるからみたいなんだけど。こちらの山羊は踊る(踊るように飛び跳ねる)らしい。残念ながら、この日は踊ってくれなかった。⇒ 関連記事:泰雲寺、禅昌寺
菜香亭
野田神社&豊坂神社の近くにあります。初めて洋食を出したレストランでもありますが、お部屋は和室。大広間が広いのなんのって。何畳あったのかちょい忘れましたが、パンフレットを見れば書いてあるはず。歴代総理(全員ではない)の手になる書がずらーっと並んでいました。それらも含めて、写真撮影すべて自由という至れり尽くせりの空間(ほかのお客様の映り込みを避ける、などのマナーは必要)。入館料はたった100円です。
ミルたちはここで、あれこれの買い物をし、ちょうど開催中であった企画もしっかり見てきました。
四日目
歩いては行けない、バスもたいへん。そんなところをぜいたくにお車で観光。行先はまだ秘密だけど、保留になっていた五社詣を二年越しにコンプリートできたことはご報告しておきます。
この日はタクシーで大量に回ったよ!
貸し切りで快適だー!
五日目
五日の過ぐるは夢なれや。名残惜しいけど、今回の旅はこれで終了。五日間の集大成として復習しながら山口市内を回りました。今回勉強できたことはそれぞれの観光資源説明記事に書き込むので、ここは現状、つまらない旅日記みたいになっているけど、リンクがどんどん広がっていき、最終的に情報発信基地みたいなページになるといいな。
俺が思うに、家臣たちって皆、結局は山口に住むことになるだろ? 高い地位についているほど、領地に引っ込んでのんびりしてられるような時間なんてないんだよ。つまり、山口も俺の家みたいなものになる、ってこと。
というようなわけで、古地図に載っている「陶氏屋敷」ってのを探したけれど、見つけられなかったよ。ガイドさんとご一緒しているうちに伺っておくべきだった……。ここが内藤氏の屋敷があった場所です~とか、仰っていたから。きっとご存じだったと思うの。これが今回の旅最大のミス。