※この記事は 20240810 に一部加筆修正されました。
この記事を読んでわかること
- 厳島大明神とは何か?
- 市杵島姫命とはどんな神さまなのか?
- 弁天さまと厳島神社の関係は?
- 「日本三大弁財天」って?
初心者にもわかりやすいように、最低限必要なことだけをコンパクトにまとめています。これを機会に、市杵島姫命さまと厳島神社について、皆さまの興味・関心がより深くなるきっかけとなれば幸いです。
厳島神社は、ミルの「崇敬神社」です。一人でも多くの方に、厳島神社に対する信仰が広まっていけばと願っています。
厳島大明神とは?
今回は「厳島大明神」のお話です。厳島神社と呼ばれる神社は全国各地にありますが、「大明神」って何でしょうか?『日本の神様読み解き事典』には、以下のように書かれています。
厳島大明神とは、厳島神社の尊称である
出典:『日本の神様読み解き事典』
ということは、特にことわりがない限り、古文書や古典文学に「厳島大明神」と書かれているのは、厳島神社のことなんですね。
神様というのは勧請できることから、全国各地にそのネットワークが広まっていきます。そして、神様のパワーというのは、分霊されたものであるから弱いとか、逆に、いろいろな場所に勧請されたから元の神様の力が弱ってしまうとかいうことはないのだ、と習いました。その意味では、全国にある同じ神様をお祀りしている神社は皆、まったく同じといえます。
そうはいってもやはり、勧請された本家本元、総本社とか総本宮とかいう神社がもっとも篤い信仰を集めたことは否めません。だとしたら、全国各地にある数えきれないほどの「厳島神社」の本家本元はどこか? もちろん、安芸国一の宮・厳島神社です。
となれば、昔の人々が「厳島大明神」と唱えていたとき、その脳裡にあったのは、宮島の厳島神社のことであったでしょう。
大内氏三十代ご当主・凌雲寺さまのお館に祀られていた「厳島大明神」ももちろん、宮島の厳島神社に対する信仰というわけです。とはいえ、宮島ごとお館内に運ぶことはできませんから、勧請されたものにはなりますが。
厳島神社と宮島の歴史については、それらの記事を参考にしていただくとして、信仰の対象としての「厳島大明神」について考えていきましょう。⇒ 関連記事:宮島の歴史・入門編、厳島神社(ともにリライト中ですが、いちおう読めます)
市杵島姫命と宗像三女神
世界遺産・宗像神社に祀られた三柱の女神さま方。すべての方々をご存じですか?
長女 沖津島比売命(田心姫神)
次女 市杵島比売命(市杵島姫神)
三女 多岐津比売命(湍津姫神)
これら三人の女神さまは、天照大神と素戔嗚尊が「誓い」の儀式を行ったときに生れ出ました。具体的には、天照大神が弟・素戔嗚尊の十拳剣を嚙み砕いて吹き出した息吹の中から生まれたのです。最初に生まれたのが、沖津島比売命、つぎが市杵島比売命、最後が多岐津比売命でした。神様に姉、妹とかあるかわからないけど。お生まれになった順番で勝手に姉妹にしちゃいました(※神さまのお名前の記述、姉妹の順番には諸説あり、必ずしもこの通りになっていない解説書や案内看板などもあります)。
これら三柱の女神さまたちは、それぞれ宗像大社の沖津宮、辺津宮、中津宮にお祀りされていることから宗像三女神と呼ばれ、それこそ、全国の神社に勧請されて篤く信仰されています。
それらの神社は、宗方、棟方、胸方とか微妙に名前が違っていたりすることもあるけれど、三人の女神さまがおいでになれば、どこから勧請されたのかは明らか。
宗像三女神に対する信仰を、「宗像信仰」といい、その総本社は福岡の宗像大社。そのことを忘れずに。
宗像三女神、宗像三女神と呼んでいるし、三柱一緒にお祀りされていることが多いのに、なんで、「厳島大明神」なんて呼ばれて、市杵島姫神だけが独り歩きしているんだろうか?(※ほか二柱の女神さまも、お祀りはされています)。
それは、この女神さまがいちばんの美女だったからです!
へぇえ(⋈◍>◡<◍)。✧♡
そこに注目するんじゃない!
ちっ、俺が一番お気に入りの厳島神社の神様が一番の美人だっていうからうれしかっただけなのにさ。
最初に断っておくと、何も市杵島姫命以外の二人の女神さまの人気がまるでなかったわけではありません。厳島神社があまりにも有名になってしまったため、ちょっぴりかすんでしまったかもしれないけれど、ほかの女神さまを中心としてお祀りしているお社も多々あります(『事典』類にも載っていますが、お参りしたことがない神社なので書かないでおきます)。
まとめ
沖津島比売命(田心姫神)、市杵島比売命(市杵島姫神)、多岐津比売命(湍津姫神)を「宗像三女神」という。
「宗像三女神」への信仰を「宗像信仰」と呼び、全国各地に勧請されたが、その総本宮は福岡の「宗像大社」
市杵島姫命と弁財天
じつは、市杵島姫命と七福神で有名な美女・弁天さまは習合しています。『記紀神話』にも出てくる宗像三女神は、どこをどうみても、日本古来の神さま。ですが、弁天さまは違いますよね。
弁天さまは弁財天、もしくは弁才天と呼ばれ、日本古来の神さまではありません。かといって、阿弥陀如来さまや観世音菩薩さまのような、いかにも仏教しています、という神さまでもありません。しかし、神仏習合の歴史の中では、仏教系の神さまという認識です。それが、市杵島姫命という日本固有の女神さまと、結びつけられてしまっています。
弁天さまを弁才天とも、弁財天とも書くのは、おそらくこの神様が、芸術の神さまであることと、福をもたらす神さまであることからきています(と思います)。
弁天さまが琵琶をもった姿で造形されていることが多いのは周知のことですが、楽器を持っていることからわかるように、芸術の神さまです。なので、芸能人とか、芸術家の方々がお参りにやって来ます。それと同時に、お金も儲けさせてくれるようで。それを「福」と喜ぶのも、お金さえあればいいのか? ってお叱りを受けそうですが、だって弁「財」天ですから。
鎌倉(神奈川県)にある「銭洗い弁天」など、お金を洗えば増える、という文字通りのご利益の神社さまです。
弁天さまへの信仰が大流行すると、市杵島姫命の人気も鰻登りで、なんとなく、宗像三女神の中で一番の有名人になってしまったようです。それと同時に、市杵島姫命をお祀りする厳島神社への信仰もたいへんに篤いものとなっていきました。
まとめ
宗像三女神中一番の美女、市杵島姫命は弁財天(弁才天)と習合した。
厳島神社は「厳島大明神」と尊称され、弁財天信仰とともに、厳島大明神の信仰もたいへんに盛んとなった。
厳島神社と大願寺
神仏習合していた神さまと仏さまはのちにわかたれてしまいます。ということは、弁財天と市杵島姫命とも今は別々の神様になっているということです。神社には市杵島姫命が、お寺には弁天さまがおられます。
厳島神社に行くと、ご祭神は市杵島姫命とほか二人の宗像三女神のお名前が書いてあります。弁天さまはどこに行ってしまったんだろう? と心配になりますが、厳島神社の向かい、大願寺に行ったら、ちゃんと弁財天のお守りが売られておりました。
ふは。これで大金持ち(⋈◍>◡<◍)。✧♡
(俗物め)
弁財天には「福徳財宝」を司る神様としての御利益もあるのです。つまりは、財宝を得るためにお参りすることも、もちろんありなんです!
まとめ
神と仏が分かたれても、市杵島姫命は厳島神社で、弁財天は大願寺で宮島の中でともにお参りできる。お守りもそれぞれ売っている。
市杵島姫命と弁才天はともに芸術の神さま。さらに、弁才天は弁財天とも書き、福徳財宝の御利益もある。
日本三大弁天
市杵島姫命と弁財天はわかたれてしまった、と書いた後から、「日本三大弁財天」なんて書いているとなんだかとても奇妙な気分ですが、厳島大明神への信仰が篤かった当時、弁財天信仰もそれはすごいものでした。神仏習合の時代、市杵島姫命と弁財天とは同一視されていたので、神さまと仏さまが混ざっているなんて不審に思う人なんていなかったわけですし。
八幡宮の時は「日本三大八幡」だったので、今でもそのまま使えそうですが、弁財天は明らかに厳島神社とは関係なくなってしまった現在、この呼称が使えるのかどうか。何しろ、○○弁財天社はすべて、厳島神社になってしまいましたので。そこらの事情は、祇園社が八坂神社となり、牛頭天王がいなくなって、素戔嗚尊が残ったのとまったく同じです。⇒ 関連記事:八坂神社の前身・祇園社と牛頭天王
三大弁財天
厳島神社、江島神社、都久夫須麻神社(竹生島)
江島神社には行ったことがあるのですが、不思議なことに、人々はフツーに弁天さまの神社としてお参りしているようでした。そもそも、市杵島姫命とか、宗像三女神なんて言っている人はあまりいなかった気がします(神社公式ではそうなっているけれども)。だって、「江ノ島弁才天」というのが通称のようです(弁財天かも知れません)し、弁才天の像もあるのですよ。
五郎&ミル@相模国江ノ島
江島神社・辺津宮
江島神社には恋人同士で行ってはならないというジンクスがあり、その理由は美女の神さまである弁天さまが妬いてしまい、その祟り(?)で、カップルは分かれることになっちゃうから。冗談だと思っていたら、この話、『神様事典』にもきちんと載っていました。
七福神の中の弁天さま
弁天さまが出てきたついでに、七福神のお話もしておこうと思います。現在、七福神といわれている神様はつぎの人々。
恵比寿
大黒天
弁財天
福禄寿
寿老人
毘沙門天
布袋和尚
じつは、この七人の神さまが「七福神」として「固定した」のは江戸時代のことでした(『日本神さま事典』)。七福神というものが信仰されるようになったのは室町時代くらいからだというけれど、最初は恵比寿、大国の二人の神さまを中心に、天宇受売命、毘沙門天。そこに、布袋、寿老人、福禄寿あたりを加えるようになっていきました。
ところが、竹生島の弁財天信仰がものすごく流行するようになったため、天宇受売命は弁財天に置き換えられてしまったといいます。
あああ、『平家物語巻八』に「竹生島詣」があったね!
そうなんだけど……。
琵琶の名手、平経正は合戦に赴く途中だというのに、雅な心が起こって竹生島に詣でた。そこには、弁財天が祀られているのだけど、神仏習合しているその弁天様は、仏様でもあり、神様でもある、なんとも霊験あらたかなお方。
同じく琵琶の名手であられる弁天様の前で、経正が一曲奏でると、なんと楽の音に感激した竹生島大明神がそのお姿を現した。経正は感激のあまり、歌を詠んだ:
ちはやふる神のいのりのかなへばやしるくも色のあらはれにける
(合戦に赴く途中ってことは、演奏には当然、戦勝祈願の祈りが込められていたのですね)
でもここの大明神は「浅井比咩命」という神様で、市杵島姫命ではないの。だけど、弁才天の垂迹だって……。
すいじゃく、って?
本地の反対。市杵島姫命が弁財天という仏神のお姿をお借りしているとき、市杵島姫命の「本地」は弁財天である、っていうけど、弁財天の側からみると、市杵島姫命は弁財天の「垂迹」だっていうの。
……。
※竹生島は神仏分離後、稀有な運命を辿りました。経正さまがお歌を詠まれた場所として、絶対に外せない行きたい場所なので、詳細は現地に赴いてから。
さて、七福神の話まで引きずってきたのは理由があり、福禄寿、寿老人というのは北極星を神格化したものである、ということが言いたかったから。つまりその意味では、妙見菩薩さまと同じだね、ってことです。この二人の神様はキャラが被ってしまっているため、寿老人を吉祥天と置き換える場合もあるそうです。
まとめ
弁天様は七福神の中にも入っている。
神仏習合の時代は終わったが、いまなお、弁天さまの面影を色濃く残している神社も多い。
追記:厳島神社から大聖院に移された本地仏
宮島・厳島神社において、市杵島姫命の本地仏は十一面観音だったとされており、神仏分離に際して大聖院に引き取られました。現在も大聖院の観音堂に、たいせつに安置されています。⇒ 関連記事:大聖院
どの神さまがどの仏さまとペアになっているか、ということについては、何となく「決まり」のようなものがあった半面、諸説あるケースもあり、本当に様々です。「習合」という言葉自体は、相手がなんであれ可能ですし、何も日本だけの特殊な事例でもありませんでした。中国でも道教の神と異国由来の神が習合していたケースはありましたし、アジアはおろか、全世界で見られた現象です。市杵島姫命と弁才天の習合は両者に共通点があり、ともに美しい女神であることから、人々に広く受け入れられていましたが、前述のように、弁才天自身はどちらかというと仏教系? とでもいうべき神さまなので、「仏が日本の神の姿を借りて皆の前に姿を現した」という意味では、十一面観音などと結びつけられるほうがそれらしく感じられます。でもこれ、市杵島姫命=弁才天に比べると説得力がないというか、あまり知られていない組み合わせのように思えますね。
参照文献:『日本の神様読み解き事典』、『日本の神さま事典』
究極これだけは暗記
厳島大明神は厳島神社の尊称。よって、ほかにもさまざまな「大明神」が存在する。
市杵島姫命は弁才天(弁財天)と習合しているケースが多く、近世弁天信仰が盛んとなると、庶民の厳島詣でも広がった。
「日本三大弁財天」は厳島神社、江ノ島、竹生島を指す。神仏分離令ののち、弁財天と市杵島姫命は引き離されたが、今も弁財天の寺院・神社として有名な場所は多い(※特に、竹生島は特殊なケース)。