みやじま・えりゅしおん

大聖院(廿日市市宮島町)

2024-05-18

大聖院・入口

広島県廿日市市宮島町の大聖院とは?

弥山の麓にある、真言宗御室派の寺院です。宮島の「総本山」とされ、開基は空海、806年の創建と言われています。皇族方ゆかりの仁和寺から、任助法親王さまが布教に訪れ滞在されて以来、御室派の大本山として篤く信仰されています。多くの伽藍や、貴重な仏像など、数え切れない見所があります。

厳島神社の参詣を終えたら、必ず立ち寄るべき寺院さまです。

大聖院・基本情報

住所 〒739-0592 廿日市市宮島町滝町 210
山号・寺号・本尊 大喜山・水精寺大聖院
宗派 真言宗御室派
HP https://daisho-in.com/

大聖院所在地地図

今回ご案内する、大聖院のだいたいの位置は上図の通りです(現地案内看板をお借りしています)。宮島観光の目玉である厳島神社(そのことを強調したいがゆえにか、地図でも赤色表示となっている)と、同じくらいの面積を占めていることが、お分かりかと思います。

募集型および受注型企画旅行(パッケージツアー、後者は修学旅行など)ですと、厳島神社だけで終了してしまう確率が非常に高いです。宮島最大のみどころが厳島神社であることは否定しません。ですけど、島全体がみどころの山です。この地図からははみ出しているところも大量にあります。

上述のようなパッケージツアーですと、最悪、時間の関係で弥山も入っていないことがあります。弥山まで行くと、それなり時間がかかりますからねぇ。それでも、そこまでで終わってしまう人がかなり多いように感じます。大聖院が観光客で混雑していることから、スルーしてしまう人はそうはいないのだとも思われますが、厳島神社とロープーウェイだけでお終いではないですので、必ず足を運んでください。

ロープーウェイの時間がない方でも、せめて大聖院さまにはご参詣をお願いします。

お詫び

この記事は書きかけです。調査が間に合っていないところは、書いていません。完成はいつのことか分りませんが、アップしておかないと、自らの旅行で参照できないので敢えて公開しました。20240518 現在。書き終えたら、このメモは消します。

大聖院・歴史

厳島神社の別当職

神仏習合していた時代。当寺院は厳島神社の別当職をつとめていたようです。このことは『高倉天皇厳島御幸記』なる書物に「厳島の座主」と記されていることから明かとされています。僧侶の方々が、神社で読経するという、信じられない光景が当たり前だった時代の話です。多数のお坊さんたちが、厳島神社に奉仕しており、それを取り締まる「別当」という任務を司っていたのが、当寺院だったというわけです。

島内で最も、格式の高い寺院さまだったと言えるでしょう。

大聖院と任助法親王と仁和寺

任助法親王は、京都・仁和寺の第二十世です。九州で布教活動をするために下向しましたが、途中、大聖院に立ち寄り、そのまま滞在なさったそうです(九州での布教はどうなった?)。地元の方々は、法親王さまを「厳島御室」とお呼びし、お慕い申し上げたそうです。

さて、「法親王」って何? 「御室」? ということになりそうですし、任助法親王さまについてもどのようなお方なのかわからない、ということで、『日本史広事典』などを使って調べました結果をまとめておきます(なお、『事典』には任助法親王さまについての項目はなく、そちらは郷土史のご本を読みました)。

まず、京都にございます「仁和寺」。これはたいへん有名な寺院さまなので、名前を聞いたことがないという方はおいでにならないと思います。京都市右京区嵯峨にあります真言宗の寺院です。この仁和寺というのは、光孝天皇の御願寺となります。 仁和二年( 886) 光孝天皇勅願により造営開始、 仁和四年(888)の金堂完成を以て仁和寺と呼ばれるようになりました。その後、昌泰二年(899)、宇多天皇は出家なさり、位を醍醐天皇に譲られました。それ以後は、仁和寺の中に「御室」を造り、そこにお住まいになられました。「御室御所」と呼ばれたそうです(説明ないですが、天皇が住まわれるお部屋なので『御室』なのかな、と思います)。

仁和寺の門跡は代々、皇室ゆかりの法親王が務めることとなり、やがてお住まいだけではなく、門跡である法親王さまを「御室」とお呼びするようになりました。当然のことながら、たいへんに格式高い寺院という扱いでして、寺領なども多く、非常に栄えました。しかしながら、応仁の乱では仁和寺すらも平然と兵火にかけられ、なんと焼失してしまったのです。ゆえに、現在の仁和寺は江戸時代に再建された建物となります。

つぎに、「法親王」とはどのような方々なのか、と申しますと、これはもともと親王の位にある皇族が出家された場合、法親王とお呼びする、というきまりでした。ところが、康和元年(1099)白河上皇第三皇子覚行という人は、もともとは親王ではなく、僧籍にある皇族というお方でしたが、その後親王となりました。なので、親王が出家したケースは「入道親王」と呼び、出家してから親王となったケースを「法親王」と呼ぶようになりました。ところが、あれこれのややこしいケース(『事典』の例には、僧籍にあった『孫王』があとから親王になったものを『法親王』と呼んだという『特殊な』ケースについての言及あり)が出てきて混乱し、やがて「入道親王」と「法親王」との区別は曖昧となりました。ですので、親王クラスの皇族で出家された人、というような認識であっているかと思われます。

法親王さまは、よほど厳島がお気に召したご様子。九州には行かずに大聖院に落ち着いてしまわれたのですね。生涯を厳島で過ごされ、御廟所も宮島口にございます(後述)。

著名人の歌会

雅なことはさっぱりで、歌など解さないないため、歌会の話題など興味ありません。しかし、受験参考書にも載っている有名人が歌会を開いたことは、無視できません。当然のことながら、歌会の舞台となるには、寺院の格式が高いことや、座主さまが風流を解する人でなければなりません。その意味で歌会云々が行なわれた舞台となったことは非常に意味があるのです。ゆえに、寺院さま案内看板にも書かれておりますね。

『宮島本』によれば、天正十五年(1587)、座主が細川幽斎に発句を所望。天正十八年(1590)には、里村紹巴(参考書赤字の連歌師)と連歌会を開催したそうです。看板には、文禄元年(1592)に豊臣秀吉が歌会を開いたとあります。まあ、最後のお方については、雅とは無関係なので、権力者が金をばらまいて権勢を誇るために行なったと思われますが。その舞台として、最も相応しい場所として選ばれたことは当然、大聖院の格式の高さと雅な佇まいを証明するものです。

境内には、秀吉が愛した庭園(歌会もそこで行われた)もございます。見落としましたが。

大聖院・みどころ

みどころがあり過ぎて、とても一度では回りきれません。すでに数回参詣させていただいておりますが、まだまだすべてにお参りできていません。

仁王門

大聖院・仁王門

入口では、堂々とした仁王さまがお出迎えくださいます。

寺号碑

大聖院・寺号碑

「大本山」の文字を拝見し、身が引き締まる思いです。

重要

寺院さまに入る時は、脱帽。合掌して一礼し、右足から入るそうです。敷居を踏むなどもってのほか。なお、お参りが終わって立ち去る際にも、同じく一礼します。また、お賽銭は必ず入れてください。まずは賽銭、それから願い事です。これら詳細については、寺院さまの HP に書かれておりますので、必ず目を通してマナーを守りましょう。

水掛不動

大聖院・水掛不動

こちらのお堂は、境内案内図に従えば、水掛不動さまなのですが、ちょっと自信がありません。次回要確認。

石段

大聖院・石段

仁王門の後ろは長い長い石段が続いています。中央部分は、大般若経経筒です。有難い経筒を手摺りにしていいのでしょうか? そう考えると、かなり長い上に、足元が覚束ないとそれなり慎重にいかなくてはなりません。

霊宝館

大聖院・霊宝館

この建物、ずっと何なのかわかりませんでした。やっとお名前がわかりましたが、やはり何なのかわかりません。

鐘楼堂

大聖院・鐘楼堂

「京都妙心寺の黄橦調を模して再鋳造した二百貫の大梵鐘」(寺院さま HP)

御成門

大聖院・御成門

仁王門をくぐり、長い階段を抜けた先に、もう一つの門が。HPに「勅使門」と書かれていました。勅使さま以外は、脇から入るのが正解かもしれません。しっかり潜ってしまいましたが……。

勅願堂

大聖院・勅願堂

この写真からは見えにくいですが、「鳥羽天皇勅願道場」と書かれております。中には波切不動明王が安置されています。この不動明王さまは、何しろ「波を切って」進むので、海上を行く人々にとっては何とも心強い存在。朝鮮出兵の時、豊臣秀吉が持って行ったとか聞いた気がしますが、うろ覚えです。いずれにせよ、秀吉念持仏だか、奉納品のようです。

他国の民を侵略するようなことをする人物が、尊い不動明王さまに祈願するとは、なってこった(※個人的意見です)。

観音堂

大聖院・観音堂

この中に安置されている十一面観音像は、もとは厳島神社の本地仏であったものとか。神仏習合時代のものが、のちの神仏分離で寺院さまに移された。いい加減、神仏習合についても理解できてきましたが、神社と寺院が一体化していた時代って、何度きいても理解に苦しみますね。今はこうして、大聖院さまに移され、大切にされていることに安堵するのでした。

星供曼荼羅堂

大聖院・星供曼荼羅堂

観音堂向かって左手にあります。手前には池があり、ちょっとした庭園の風情。寺院さま HP の境内図にも「庭園」とありました。

極楽観音堂

大聖院・極楽観音堂

摩尼車

大聖院・摩尼車

またしても石段が。登り切ったところに、三鬼大権現さまをお祀りする御祈祷所、摩尼殿がございます。よって、天狗さまがお出迎え。階段中央にあるのは「摩尼車」です。手で触れると回転し、回しながら登っていくと、なんと、お経を唱えたと同じ功徳が得られるとか。しかし、これも手摺りではないですので、足元にはご注意を。

摩尼殿

大聖院・摩尼殿

三鬼大権現さまの祈祷所。この写真からはわかりにくいのですが、奥行きがあり、二階までございます。

重要

大聖院さまは寺院さまです。しかし、三鬼大権現さまは「神さま」です。なので、ここでのお参りの仕方は「神社式」にせねばなりません。これも、HP に書かれているので、その通りに。

大聖院・摩尼殿二階からの眺望

摩尼殿二階からの、眺望が素晴らしいです。

包丁塚

大聖院・包丁塚

なんでこんなところに、包丁が!? これ、もう嫌と言うほど見ているのですが、いつまでも長い解説文を読まずに放置しているため、謎が解けません。今度こそ文字起こしを。

まあ要するに、使い古した包丁を供養してくださるものですね。ほかの寺院さま、神社さまにも、筆とか針とかあれこれご供養してくださるものがございますよね。

釈迦涅槃堂

大聖院・釈迦涅槃堂

なんと、金ピカのお釈迦さま。なんともご利益がありそうなので、授与所で金運のお守を……。と思うのですが、なぜか、そっち系は大巌寺で購入してしまうんですよね。弁財天で金儲け(失礼)。

ちなみに、お釈迦さま生誕の地はルンビニ(ネパール)、悟りを開いた成道の道はブッタガヤー、悟りを開いた後、最初に説教をした地はサールナート(バラナシの北)、入滅の地はクシナガラ(同左)です。下に貼られた写真にルンビニがあったものですから。

お釈迦さまの像背後に並んでいるのは、十六羅漢だそうです。また、このお堂の下には「仏足石」が置いてあり、そこに載ってお参りをします。

大聖院・仏足石

太師堂

大聖院・大師堂

本坊最古の建物だそうです。周辺にあれこれの〇〇大師さまがお祀りされております。

大聖院・稚児大師稚児大師

大聖院・一願大師

一願大師

八角満福堂

大聖院・八角満福堂

中には七福神がずらり勢揃い。それぞれの神さまの由来についての説明も詳しく、とても勉強になりました。

阿弥陀堂

大聖院

金ピカの阿弥陀さま三体がお祀りされています。

愛染堂

大聖院

その名の通り、愛染明王さまがお祀りされています。

薬師堂

大聖院

薬師如来さまと十二神将を祀っています。

大聖院(広島県廿日市市宮島町)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒739-0592 廿日市市宮島町滝町 210

アクセス

滝小路が行き着く先が、大聖院となります。また、弥山から「大聖院コース」使って下りてきた際に辿り着く先も大聖院となります。そんなこと言われても、滝小路も弥山も分らないしという方の LP となっている可能性もあるので、念のため。⇒ 関連記事:滝小路・柳小路弥山

基本は、厳島神社参詣後(満潮時に対応するためなどの理由で、参詣前に大聖院という方ももちろん OK)、その裏手の道を行く感じです。厳島神社出口から少し戻り、筋違橋で右折すると、滝小路です。そこから先は、まっすぐ大聖院まで繋がっています。

参考文献:大聖院さま HP、『宮島本』ほか

大聖院(広島県廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想

大聖院(廿日市市宮島)・まとめ

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感想文・執筆中

こんな方におすすめ

  • 厳島神社の参詣は終えました。次はどこに行くべきですか?
  • 由緒ある寺院巡りを趣味としています

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

次郎次郎
次郎

何かさ、お参りの方法とか、色々書いてあって面倒なのな……。俺、怖いからこういう寺には入れない……。

五郎イメージ画像(怒)
五郎

恥ずかしい奴だな。そもそもお前など、拝観お断りだ。

ミルイメージ画像(涙)
ミル

由緒ある寺院さまの拝観はとても厳しいよ。京都なんか、もう入るのやめとこうと思う怖い文言が書かれている寺院だらけ。東下りした時も、円×寺は怖いから入らなかった。服装まで正装じゃないとダメだとか。弥山登山の帰りに入ることになる、大聖院さまに正装で入ることは無理だけど、そんなことは但書されていません。要は、きちんとお参りしましょう、ってこと(西洋人なんて、とても酷い服装で普通に入ってるからね)。マナーを守れば問題ないです。寺院の方(授与所でお話をお伺い)もとても親切ですよ。

五郎イメージ画像(涙)
五郎

酷い人は、山門でのご挨拶もなし、お賽銭も入れないからね。だけど、まだすべて掲載しきれていない状態で、これだけの賽銭箱があるので、すべてにお賽銭を入れるのが難しい場合は、いくつかの建物は拝観しないほうがいいかも。今は一円を集めるのが困難になっているので、大聖院だけで、破産しちゃうよ。

次郎次郎
次郎

俺が言いたいのもそこなのよ。全部に 100 円いれたら、どうなんの!?

附・任助法親王墓

任助法親王墓

仁助法親王は仁和寺の二十世門跡でした。伏見宮貞敦親王第四子で、お母上は太政大臣・藤原定香のご息女。後奈良天皇の猶子となられました。天文八年に出家し、最初は寛法といいましたが、のちに仁和寺の門跡となりました。天正十四年(1584)、宮島で亡くなりました。60歳でした。なお、『宮島本』によれば、極楽寺に位牌が、円明寺境内に墓であるとされる宝篋印塔が伝わっているそうです(未見)。

古い郷土史のご本によりますと、この陵墓がある山はかつて「御室山」と呼ばれ、法親王の墓には「厳島御室」の文字があるそうです。円明寺のものは(その本だと円『好』寺となっていますが、そのような寺院はないので、誤植かお名前が変ったのだと思います)「追慕塔」だろうとしていますが、形は陵墓のものとまったく同じであるそうなので、お墓をご覧になりたい方は、円明寺に向かわれても良いかも知れません。

ところで、この法親王さまの陵墓なんですが、少し古い SITEOWNER さんの記事などには、中を見学された記事が載っています。しかし、現状、入ることができません。下のように、常にゲートが閉まっていて鍵がかかっております。

任助法親王墓

現在、この陵墓は、宮内庁の管轄下にございます。それゆえに、やんごとないお方の陵墓として、下々の者が立ち入ることが禁じられてしまった、というようなことは、決してございません。皇族方の陵墓は、基本、貴重な文化財として見学が許されております(古いもの。〇〇天皇陵のような)。つまり、任助法親王さまの陵墓も参詣は可能なのです。

地元の方にお伺いしたところ、皆さまが自由に見学なさっていた頃と違い、現在管理者が常駐なさってはおられないようなのです。運良く、メンテナンス作業などの際に通りかかれば、お声かけすれば入れるようです。しかし、毎週何曜日にメンテナンス、のような貼り紙はないため、運頼みとなります。それこそ、宮内庁に問い合わせすれば、何かわかるかもしれません。現在までのところ、一度も開扉時に行き逢ったことがないため、残念ながら遠方からお参りさせていただいております。

参考文献:『日本史広事典』、『宮島本』、『厳島大合戦』、宮内庁様HP

所在地 & MAP

所在地 〒739-0411 広島県廿日市市宮島口2丁目1−1

アクセス

宮島口駅から徒歩です。線路から見える場所にありますので、迷うことはありません。ですが、大きな看板が立っていたり、経路案内図のようなものが駅からついていたりはしませんので、Googlemapのナビを立ち上げて行かなくてはなりません。

全体像を知るには、外から見るのがいいのですが、線路を挟んでしか見ることができないので、やや遠くなります。また、線路から見た感じはただの小山ですので、ピンポイントで探して行かないと、普通に歩いていて偶然にもスゴいものを発見した、ということにはなりにくいかと思います。

五郎イメージ画像(涙)
五郎

ほかの人の書き込みを見ても、鍵なんてかかってない、ってあるのに、なんで俺たち入れなかったんだろう……。

ミルイメージ画像(涙)
ミル

た、たまに、定休日とか、お掃除の日とかあれこれあるらしい(天皇陵の場合)から、そういう日だったんだよ。

五郎イメージ画像(怒)
五郎

違うな。『本日定休日』の札も、掃除している人たちもいなかった。

ミルイメージ画像
ミル

あああ、天皇陵の場合だけど、「開門時間」があるっぽいよ。

五郎イメージ画像(怒)
五郎

俺たち、そんな変な時間帯に来たんだっけ?

ミルイメージ画像
ミル

いずれにしても、ミルたちが入れなかったことは事実です(写真に鍵も見えてます)ので、絶対にお参りしたい! という人は、事前に確認してくださいね(思うに9時前に来てたっぽい)。

-みやじま・えりゅしおん
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