陶のくに風土記

大幻院(現妙寿院・山口市徳地)

2022-09-15

ミルイメージ画像
ミル

山口市徳地にある大幻院さまゆかりの寺院です。

妙寿院・基本情報

住所 山口市徳地八坂 1242
電話 0835-56-0026 
最寄り駅 山口駅から車
山号・寺号・本尊 竜宝山・妙寿院・釈迦牟尼仏
宗派 曹洞宗

妙寿院・歴史

天文年間、陶興房によって創建され、寺号を大幻院といった。開山は瑠璃光寺十世・享岩宗貞和尚。陶氏ゆかりの寺院として、新南陽郷土史会様の『周防国と陶氏』で紹介されている。興房の法名が「大幻院殿」なのだから、どれだけゆかりの深い寺なのか知れようというもの。陶氏滅亡後も、寺院は存続しているが、あれこれと変遷し、現在は妙寿院となっている。瑠璃光寺の末寺である。以下のような流れ。

陶興房開基の大幻院 ⇒ 内藤隆春が姉の位牌所・妙寿院と改める ⇒ 三浦元精が兄・元忠を供養するため性乾寺と改める ⇒ 再び妙寿院に戻る

こうなってしまうともう、陶氏とのかかわりなど地元の方もご存じない。ご案内くださった山口市のガイド様は「三重宝塔版木」を調査に来た研究者の方に同道なさった経験がおありだったが、タクシーの運転手様ともども、地元の方に道を尋ねつつやっとのことで到着。お二人とも市内観光の専門家中の専門家であられ、山口市内の事情に精通しておられる。それでも念のため確認しながら向かう。そのくらいこの目的地がレアな場所なのである。

寺院内には、「三重宝塔版木」の説明看板以外、由来説明文の類は一切ない。寺院の方にお話を伺うことができればもちろん、様々な由来をご教授くださると思うものの、そのようなお願いができる身分ではないので目に見えるものを見て帰るしかなかった。

妙寿院・みどころ

県指定有形文化財「三重宝塔版木」:三重塔、仏舎利、仏像などが彫られた版木で、重源上人自作といわれている。鎌倉時代のものと推定されていて、たいへんに貴重なものである。(参照:説明看板)

陶興房の宝篋印塔。

五郎イメージ画像(涙)
五郎

何なのこれ? 父上の墓石ってこと?

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ミル

宝篋印塔は色々ある石塔の一種類。亡くなった後に供養のために造ることもあったし、生前に造ることもあったよ。

山門

このように、のどかな場所にそっと佇んでいる寺院。周囲の風景に完全に溶け込んでいるし、宝篋印塔目当てに彷徨う謎の旅行者が無事に辿り着くのは至難の業。ちなみに、地元の方といっても、少しでも距離が離れるとご存じないのが普通。そもそも、先祖代々この地に住んでおられる方々ばかりとは限らないのである。今回はプロのご案内の方がついてくださっていたからよかったものの、一人歩きならば無理だったろう。

本堂

陶興房の宝篋印塔

陶興房宝篋印塔の写真

五郎イメージ画像(涙)
五郎

父上……。

ミルイメージ画像(涙)
ミル

これを見付けるのがまた、一苦労だったよ(矢印など一切なし)。

寺院裏手の墓地に紛れ込んで存在。「陶尾張守興房公之墓」と書かれた石碑が隣に置かれている。脇にも文字が刻されていたが、これ以上は近付けなかった。周辺にも似たような石塔が何基かあるが、一門の誰かのものだったりしないのであろうか? 

20221026 追記:『陶村史』によれば、やはりこれらの石塔は一門のものらしい。ただし、研究が進んでいる龍文寺でさえ、それぞれの石塔が誰を供養したものなのか不明なのであるから、残念ながら特定は難しいと思われる。

妙寿院写真集

アクセス

歩いて行くことは無理だと考えられます。山口駅からタクシーもしくは、レンタカーが無難かと思います。場所はわかりづらいです。目印となる建物はサッカー広場かと。地元の方は、小学校の裏手にある、と教えてくださいました。

参照文献:新南陽郷土史会様編『中世周防国と陶氏』、『陶村史』

龍文寺山門(常楽門)前記念撮影
周南旅日記(陶氏ゆかりの地)

陶のくに関連史跡総合案内。要するに目次ページです。

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