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塔の岡(広島県廿日市市宮島町)

2022-04-30

「塔の岡」看板前にて
塔の岡看板前にて

塔の岡(広島県廿日市市宮島町)とは?

塔の岡とは、宮島の厳島神社・五重塔が建っている小高い丘のことを指します。もとは「宮崎」と呼ばれていましたが、五重塔が建てられてから、「塔の岡」と呼ばれるようになりました。厳島合戦の際に、大内軍の本陣が置かれた所として有名ですが、それだけではなく、古来より「眼下に厳島神社を望む」重要な場所として五重塔や納経堂などが建てられました。近世には豊臣秀吉が千畳閣を建立したところでもあります。

五重塔、永遠に完成することない千畳閣のほか、樹齢二二〇年もの龍髯の松、力もちが美味しい塔の岡茶屋さんなど、みどころと美味しさ満点の場所です。

塔の岡・基本情報

所在地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町1−1
※ Googlemap に載っている住所です。

だいたいの位置感覚としては下の地図を参考にしてください(塔の岡に上がっていくところの案内看板地図をお借りしています)。

塔の岡・地図

赤い枠で囲ったところが塔の岡にあたる部分です。参考までに、厳島合戦関連史跡として見た場合、青枠が要害山で、両者の間隔はだいたい500メートルくらいあります。緑色に塗ったのがかつての要害山(宮尾城)および塔の岡のだいたいの範囲で(多分)、千畳閣は当時存在しなかったので、塗りつぶしてしまっています。

塔の岡・歴史

塔の岡という名前の由来

「塔の岡」といえば、厳島合戦で大内(陶)軍が本陣を置いたところで、毛利元就が神がかり的な奇襲を成功させ、大内方は総崩れとなった……。というような誰でも知っていることは放っておきましょう。

この場所がなぜ、塔の岡と呼ばれているか、という理由。それが、五重塔がある岡だから、だということを知らない人はいないかも。ただし、この場所の歴史は意外にも古く、何も厳島の合戦で大内軍が崩れたところが五重塔があった岡だったからだ! というわけではありません。

『宮島本』によれば、平安時代には「宮崎」と呼ばれていました。その後、五重塔が建てられたのち、塔の岡と呼ばれるようになったのです。とすれば、五重塔がいつ頃建てられたのか、によって命名時期もだいたい確定できるわけです。

応永14(1407)年の創建で、その後天文2(1533)年に修理された。本尊は釈迦如来で、脇士は普賢・文殊菩薩を祀っていたが、これらの仏像は明治初期に撤去され、大願寺に遷された。
出典:『宮島本』第三版 104ページ 

応永十四年といえば、本家の当主は義弘公。ちょうど朝鮮に一切経を求めた年です。そして、天文二年は大内義隆が家督を継いで間もない頃で、九州の兇徒退治で忙しかった時期にあたります。

厳島神社五重塔

『宮島本』は具体的に何年から「塔の岡」と呼ばれるようになったのかについては書いていないけれども、五重塔が建てられたのはかなり昔のことなので、「塔の岡」という呼び名にもかなりの歴史があると考えていいでしょう。

古来より重要な場所だった?

眼下に厳島神社を望むこの地は、社殿を風波から防御する重要な役割を果たし、頂には納経堂や五重塔などが建てられた。
出典:『同上』24ページ

というようなわけで、単に五重塔云々だけではなく、地理的にもとても大切な場所だったのです。五重塔があるから塔の岡として有名になったわけではなく、重要な土地だったからこそ、そこに、五重塔が建てられたのです。先に岡ありきだったのです。

さて、五重塔と紛らわしいのが大内氏の勝山館があったとされる多宝塔がある岡。いずれも「塔」なので、リピーターでない人は混乱してしまうかもしれません。厳島合戦時、大内軍は最初、多宝塔のほうに陣を配置し、その後、塔の岡に移ったといわれています。館跡があったということから、多宝塔の岡は大内氏にとって、宮島における拠点みたいな場所だったわけで、自然とそこに入ったんでしょう。そんなこともあり、「塔の岡」ってことで、多宝塔がある岡と間違えてしまう方がおられるかもしれませんのでご注意ください。⇒ 関連記事:多宝塔『厳島神社○○』となっている建築物)、勝山城跡

塔の岡・みどころ

当たり前ですが、五重塔となります。大内(陶)軍本陣跡地とか Googlemap などに書いてあったりしますが、何一つ往時を偲ぶものはありません。看板があるだけです。史跡指定なども一切ありません。あとは千畳閣ですが、これも未完成に終わってしまい、完成してたらどうなっていただろうか、と思う残念なことになっています。

五重塔

塔の岡・厳島神社五重塔

五重塔は塔の岡から見上げると写真撮影もたいへん(入りきらない)で、むしろ、遠くから仰ぎ見るもの、といった印象です。近くまで行ったところで中に入れるわけでもありませんし。高い建物ゆえ、どこからでも見えるという特徴があり、そこここに、五重塔を撮影できる展望良好なスポットがあります。夜はライトアップされてとても幻想的です。

厳島神社五重塔・ライトアップ(2)

五重塔ライトアップ

五重塔についての説明はコチラをご覧くださいませ。⇒ 関連記事:五重塔『厳島神社○○』となっている建築物

千畳閣

塔の岡・千畳閣

千畳閣についてはここでは触れませんが、現状、この建物があることから、厳島合戦当時を偲ぶのは無理と思われます。このように巨大な建物が建ってしまったら、かつての塔の岡は途端に面積が狭くなってしまいます。とてもじゃないけど、大軍が入ることは無理です。

宮島の町はかなり埋め立てられておりまして、現在みなさんが住んでおられるところが、昔は海だったりしました。つまりは、現在塔の岡に行ってもピンときませんが、当時はなにもない神聖な神社の島が海に浮かんでいる感覚が今よりもっと強烈だったことでしょう(しかも、千畳閣はなかった)。

それはともかく、豊臣秀吉がこの場所に千畳閣を建てたのも、塔の岡が前述引用文のような地理的重要拠点だったからかもしれませんね。

龍髯の松

塔の岡・龍髯の松

塔の岡に登って行く階段の下に、樹齢二二〇年という案内看板がありました。看板が立てられて何年経つのかわからないので、実際には +α 年経っているはずです。たいへんに見事な松でして、通る人々が常に溜息となっています。撮影技術に問題があること、大きすぎて画面に入らないこと、などからその立派さをお伝えできなくて残念です。

現地に行くと、ポストカードが販売されていますので、スマホなんかじゃ上手く写せない、という方はぜひ購入しましょう。

塔の岡茶屋さん

塔の岡・塔の岡茶屋さん

地元のガイドさんがご教授くださったイチオシのお店です。心優しい奥さまが、おかわりの麦茶をそっと出してくださったりして、ほっこりひと息つきながら、心地良い一時を過ごせます。何でも美味しいけど、特にコチラの力もちは最高です!

塔の岡(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について

所在地 & MAP

所在地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町1−1

アクセス

桟橋方面から行くと、厳島神社の手前にあります。五重塔を目印にすれば、どこからでも辿り着けます。登り口は何カ所かあるので、準備ができしだいご案内いたします。高台なので、階段がけっこうキツかったりしますので、足元お気を付けくださいませ。

参考文献:『宮島本』

塔の岡(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想

塔の岡(宮島)・まとめ

  1. 厳島合戦で大内軍が本陣を置いたところというのは正しいが、それだけの場所ではない
  2. 厳島神社を眼下に望める高台は、古来より重要な場所とされ、それゆえに、この場所に五重塔が建てられた
  3. 五重塔が建てられて以降、五重塔がある岡という意味で「塔の岡」と呼ばれるようになった
  4. 豊臣秀吉はこの場所に千畳閣を作り始めたが、完成しないまま亡くなった
  5. 千畳閣を作るために働く人々をねぎらうために出された餅が、太閤の力餅で、現在でも塔の岡茶屋さんで食べることができる

マップを見れば一目瞭然ですが、塔の岡から宮尾城は目と鼻の先です。あんなボロ城、一撃と思っただろうなぁ。人生何が起こるかわからないけれど、毛利元就は単に運が良かっただけだよ。奇襲ってのは、成功したから歴史に名を残せるのであって、タッチの差で宮尾城がぶっ壊れ、小早川隆景が村上水軍連れて来るの間に合わず、決行の日に暴風雨吹かなければ、上手くいかなかったかも?

毛利元就というお方は、本当に運がいいお人ですね。しかし、運を味方につける、ということもまた、彼が人格者であったゆえにです。われらの陶入道さまには何がたりなかったのでしょうか……。

美しい五重塔を見ても心癒されないのは、ここがかつて、敗軍の将となったみなさまの本陣跡だったためです。行ってみたところで、現状からは昔を思い浮かべることはまったくできず、そもそも「陣」があっただけなので、何一つ遺跡めいたものがあるわけでもありません。アイキャッチの立て看板が唯一のものです。

それでも、ここに来ると、何とも言えない胸を締め付けられるような感覚に襲われるのでした。何度も何度も来ているにも拘わらず。来るたびに。

こんな方におすすめ

  • 五重塔とか、大きくて麗しい建物が大好き
  • 風情あるお茶屋さんで美味しい和菓子を食べたい(塔の岡茶屋さん、超オススメ)

オススメ度


あるものが邪魔なので -1、塔の岡茶屋さんの力もちで +1、相殺されて±0
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

ミルイメージ画像(笑顔)
ミル

ソフトクリームもいいけどさ、ここの力もち美味しいよね。何度来ても必ず立ち寄ってしまう。

鶴ちゃんイメージ画像(怒)
鶴ちゃん

常に食い物のことばかりだな。感慨に耽っているようにはまるで見えん。

五郎イメージ画像
五郎

それは力もちを食ったことのない奴の台詞だ。陶入道にも食わせてやりたいね。

ミルイメージ画像(涙)
ミル

(はっ……)

腰少浦神社付近での記念写真
廿日市・宮島旅日記(含広島市内)

五郎とミル(サイトのキャラクター)が広島県内を観光した旅日記総合案内所(要するに目次ページです)。「みやじまえりゅしおん」(宮島観光日誌)、「はつかいち町歩き」(廿日市とたまに広島市内の観光日誌)内それぞれの記事へのリンクが貼ってあります。

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