みやじま・えりゅしおん

「厳島神社○○」となっている建築物まとめ

2022-05-09

今回は「厳島神社○○」となっている建築物をまとめました。宝物館のように、厳島神社宝物館、と普通に呼んでいるものはもちろんのこと、単に、五重塔、多宝塔と呼ばれ、それ単体が著名建築物になっているものも、正式には「厳島神社」がつくのですね。

ただ、へぇ、あれもこれも、厳島神社のものだったんだ! と簡単にはいかない複雑な背景があります。そこには明治期の廃仏毀釈とかデリケートな問題が絡んでいるからです。宗教的な内容に私見を挟むことは差し控えたいため、その辺りの記述につきましては、極力引用で対応します。

だったら、「厳島神社○○」で一括りにしなければよかったのでは? と思いますが、厳島神社宝物館だけで数千文字を埋めることは不可能ですので、このような形となりました。

気持ち的には、大内(陶)時代の面影を求める中身にしたいと思います。

なお、建築物の形状などについての基本情報は『宮島本』によりました。いつもありがとうございます。

多宝塔

基本情報

明治34(1901)年8月2日、 特別保護建造物。
昭和27 (1952)年3月29日、国指定重要文化財。
建立時期:永正3(1523)年
三間多宝塔、柿葺き
和様、 大仏様、 禅宗様折衷。
梵字をくりぬいた装飾性の高い蟇股が特徴。

歴史

かつての本尊:薬師如来
この付近に大内氏の「勝山城」があった。厳島合戦で陶軍が最初に本陣を置いたところでもある。

明治維新後 ⇒ 宝山神社
本尊:大願寺に移動。
祭神:加藤清正(明治 13 (1880) 年)⇒ 大正7 (1918)年、豊国神社に合祀.
※建物は 厳島神社帰属となる。

現在
 桜の花の植樹により、花見の名所となる。

参考記事:勝山城

五重塔

基本情報

明治33(1900)年4月7日、特別保護建造物。
昭和25 (1950)年5月30日、国指定重要文化財。
建立時期:応永 14 (1407)年、 天文2 (1533)年修理。
3間5重塔婆、 桧皮葺き
和様、禅宗様 (唐様) 折衷。
梵字をくりぬいた装飾性の高い蟇股が特徴。

歴史

かつての本尊:釈迦如来
かつての脇士:普賢文殊菩薩

明治維新後 
本尊、脇士は明治初期に撤去され、大願寺に移動。

特徴
 美しい朱塗りの塔がトレードマークとなっているが、この歴史は新しく、昭和20年代の修理の際に塗装された。
塔内には様々な壁画があるが、中を見ることはできない。
たいがいの五重塔は柱が最上階まで達しているが、この塔は二層どまり。なので、三層より上は押すと揺れ動いてしまうが、逆にこのしなやかな作りが台風などの被害に強いのだという。

厳島神社宝蔵

基本情報

昭和27 (1952) 年3月29日
国指定重要文化財。
建築年代:仁安3 (1168)年造営記録に初見あり。現在の建物は室町時代初期のもの。
桁行2間、梁間1間、 校倉、寄棟造り、桧皮葺き
御手洗川南岸にある、厳島神社の宝蔵

校倉造り

 

歴史

平安末期以来約800年間、のちに国宝、重要文化財指定された、数多くの美術工芸品を保存していた。
(平安時代「平家納経」、「古神宝類」、鎌倉時代の甲冑や太刀、江戸時代の絵馬など)
建長2 (1250) 年、泥棒が侵入。床板を焼いて入るという手口だった。
江戸時代に「拝見所」が作られ、中の宝物を参詣者に開放していた。
拝見所は昭和27 (1952) 年の解体修理で撤去。現在は創建当時の姿に復元されている。

厳島神社御文庫

御文庫

基本情報

土蔵造り、入母屋、本瓦葺き
建築年代:寛政年間 (1790年代)

歴史光明院の僧・学信の発起により建立。蔵書とともに神社に奉納された。
「名山蔵」と呼ばれた。孔子を祀り、 「二十一史」 「十三経」 などの貴重書が納められた。

厳島神社宝物館

基本情報

国指定登録文化財。
鉄筋コンクリート造、平屋建、入母屋造、妻入り、銅板葺
建築年代:昭和9(1934) 年
設計者:大江新太郎
扁額: 明治38(1905) 年、九鬼隆一

歴史

明治維新以後、貴重な文化財を保護し伝えていく仕組みがまだなかった頃、多くの貴重な品々が海外に流出するなどして失われてしまった。
明治 30 (1897) 年、「古社寺保存法」が公布され、嚴島神社の貴重な美術工芸品も特別保護建造物や国宝に指定された。
かつて厳島神社宝蔵に納められていたものも、今はコチラに移されている。

参考文献:『宮島本』

-みやじま・えりゅしおん