みやじま・えりゅしおん

厳島神社境外摂社&末社

2022-05-11

荒胡子神社の夜景
荒胡子神社の夜景

厳島神社の摂社・末社(広島県廿日市市宮島町ほか)とは?

摂社・末社とは大きな神社の管理下にあったり、附属していたりする小さな神社のことです。厳島神社のような格式が高い大きな神社には、配下に大量の摂社・末社が附随していることが普通です。一つの大きな神社にどのくらいの摂社・末社があるのかは、その神社ごとに違っていますので、だいたいどのくらいあります、という平均値のようなものは出せません。

では、厳島神社にはいったい、どのくらいの摂社・末社があるのでしょうか? 厳島神社の公式ホームページで確認すると、「境外摂末社」として合計二十五社が紹介されています(ここには境内摂末社は含まれていないことにご注意くださいませ)。このうち、地御前神社のみは、対岸の廿日市市地御前にありますが、そのほかの神社はすべて、宮島の島内にございます。

厳島神社の摂社と末社・歴史と概観

厳島神社には数多くの摂社と末社がある、ということはわかったけれど、そもそも、摂社とか末社って何なの? という疑問があると思います。

摂社と末社とは?

摂社とは:ものすごく簡単にいえば、本社に「ゆかりのある神」(参照:『神社のいろは』)のことです。ゆかりがあるという場合、本社にお祀りされている神さまを基準として、そのお身内にあたる神さまなどを指します。たとえば、お妃さまにあたる神さま、お子様にあたる神さまなどがそれにあたります。もうひとつは、これとはまったく異なる「ゆかり」となります。「その土地に古くから鎮座していた地主神を祀るもの」(同上)および「ご祭神が現在の地に祀られる前にご鎮座していた旧跡にある神社」(同上)です。

末社とは:「神社に附属する小神社」(参照:『日本史広辞典』)のことです。要するに、摂社にあてはまらない「ゆかり」ある神社となります。また、格式からみると、摂社のほうが末社より上となります。

境内社と境外社:摂社・末社が境内にあれば、境内社。外にあれば境外社です。

別宮:「特に本社ご祭神と関係の深い社」(参照:『神社のいろは』)のことで、これはどの神社にもあるものではないです。伊勢神宮など大きくて格式の高すぎる神社ならあります。ちなみに、厳島神社にも「別宮」は存在し、地御前神社がそれにあたります。

なにやら、わかったようなわからないような気がしますが、摂社 = 本社とゆかりが深い、と考えておけば間違っていません。上述の主な摂社と末社合計二十五のうち、ほとんどが末社であることから、ゆかりは薄いけれど、厳島神社の管轄下にある神社が大量に存在する、といったイメージになろうかと思います。

厳島神社の摂社と末社一覧

以下が、厳島神社さまの公式アナウンスによる二十五の摂社と末社です。この中には、すでにほかの場所でご案内しているものもありますので、それについてはリンクを貼ります。リンクのないものだけを、コチラの項目で説明していくことにいたしますので、ご了承くださいませ(※なお、まだご参拝が終わっていないためにリンクが貼られていない、というケースもございます)。

1.大元神社(摂社)⇒ 関連記事:大元公園
2.清盛神社(末社)
3.金刀比羅神社(末社)⇒ 関連記事:滝小路・柳小路
4.滝宮神社(末社)
5.粟島神社(末社)⇒ 関連記事:滝小路・柳小路
6.四宮神社(末社)⇒ 関連記事:紅葉谷公園
7.祖霊社(末社)未見
8.三翁神社(摂社)
9.荒胡子神社(末社)
10.豊国神社(末社)執筆中
11.道祖神社(幸神社)(末社)⇒ 関連記事:町家通り
12.北之神社(末社)⇒ 関連記事:山辺の古径
13.今伊勢神社(末社)⇒ 関連記事:宮尾城
14.長浜神社(末社)⇒ 関連記事:包ヶ浦
15.御山神社(摂社)
16.杉之浦神社(末社)⇒ 関連記事:浦々の神社
17.包ヶ浦神社(末社)⇒ (同上)
18.鷹巣浦神社(末社)⇒ (同上)
19.腰少浦神社(末社)⇒ (同上)
20.青海苔浦神社(末社)⇒ (同上)
21.養父崎神社(末社)⇒ (同上)
22.山白浜神社(末社)⇒ (同上)
23.須屋浦神社(末社)⇒ (同上)
24.御床神社(末社)⇒ (同上)
25.地御前神社(摂社)

こうしてみていくと、ほとんどが「末社」で「摂社」は二十五のうち、わずかに四つしかないことがわかります。ここで、上の「摂社と末社」の区別についての説明文を思い出してみると、摂社は厳島神社とゆかりの深い神様、あるいは、元々の地主神などの神様をお祀りした神社でした。

元々の地主神なる神様が、厳島におられたのかどうか調べていないのでわかりませんが、「ゆかりある」という点で考えて見た時、弥山にあった御床神社と本州にある地御前神社は、そもそも厳島神社の御祭神である宗像三女神をお祀りしていました。そして、三翁神社と大元神社の共通点は、いずれも佐伯鞍職が祀られているということです。

佐伯鞍職さんといえば、市杵島姫命さまの、社殿を造ってくださいとのお願いを叶えて差し上げた方です。いわば、厳島神社の創建者であり、それゆえに後に神格化されました。お身内の神様ではないですが、これほどゆかりの深い方もおられないであろう、という神様となります。両神社が摂社となっているのはそれゆえになのかな? と思いました。

ほとんどが「ご鎮座年代不詳」

残念なことに、これらの摂社や末社は、そのほとんどに「ご鎮座年代不詳」というご由緒が書かれています。はっきりと年代がわかっているのは豊国神社、清盛神社だけです。地御前神社と御山神社については、平清盛が厳島神社の本社を現在の姿に建築したのと同じ時、それぞれ「外宮」「奥宮」とした、という言い伝えがありますが、史料による裏付けがないためか、地御前神社の御由緒看板には「ご鎮座年代不詳」とあります。ただし、地御前神社については、神主・佐伯景弘の社殿造営の申請書が残されているため、言い伝えを信用してかまわないのではないかと思います。御山神社のほうは、もともと三鬼堂であったものを、明治初期に御山神社に改めた、という真新しい事実がわかっています。それ以前に、もとの三鬼堂とともに、御山神社も存在したのかどうか、由緒看板などにも説明はありません。

つまりは、豊国神社と清盛神社以外のすべての摂社と末社については、その歴史も正確なところは不明ということになってしまいます。ですが、「不詳」であるだけで、実際にはおおよその年代はそれこそ「言い伝え」などによってわかっているのではなかろうかと推測します。たとえば、滝宮神社など、高倉上皇が御幸なさったことはほかの文字史料から明らかなので、少なくともその時点では存在していたわけです。

厳島神社本社もここ数年来、ずっと補修事業が行なわれています。摂社や末社も同様で、台風によって倒壊したり、流されてしまったケースなどもありますので、社殿そのものが創建当時から今に至るまでそのままというわけにはいきません。けれども、いずれも劣らぬ悠久の歴史を持った神社であることは間違えないと思われます。むしろ、ご鎮座年代がはっきりしている神社のほうが、最近建立されたものであるゆえに、記録が正確なのです(もちろん、創建年代が新しいゆえに、由緒正しくない神社という意味ではございません)。要は全国の「○○国一宮」などが「創建年代は古すぎて不明」「ご鎮座年代がわからないほど古い」となっているのと同じことです。

厳島神社の摂社と末社・みどころ

これだけたくさんの摂社と末社があるのですから、みどころは神社の数だけ存在するといっても過言ではありません。ですが、ほとんどの神社については、その存在する場所によって分類し、それぞれご案内しております。コチラでご案内する神社は、厳島神社周辺に位置する摂社・末社となります(『厳島神社周辺』という項目で分類しようとも考えたのですが、わずかに二社だと文字ボリュームが足りなかったことと、摂社と末社のまとめページも欲しかったのでこうなりました)。

荒胡子神社

荒胡子神社

厳島神社の入口からほど近い所にある厳島神社末社のひとつです。裏手には五重塔があります。

「重要文化財
荒胡子神社
御祭神 素戔嗚尊
事代主神
例祭日 十一月二十日
御由緒 御鎮座の年月不詳
現在の本殿は嘉吉元年
(一四四一)に造営されたものである」
(説明看板)

一見すると、どこにでもある普通の神社建築ですが、いくつか、この神社独特の特徴があります。

一、本漆朱塗りの本殿
二、極彩色の蟇股
三、千木と勝男木

という三つの特徴です。順番に見ていきましょう。

本殿

荒胡子神社・本殿(横から見た図)

例によって、脇から拝見すると、ご本殿とのつながりがよくわかるのですが、「本漆朱塗り」についても、よくわかりました。厳島神社ゆかりの建物は大鳥居から五重塔まで、なんでも朱色ですが、こちらの本殿だけは朱色ではないのです。とはいっても、朱色っぽい色には見えますので、違いが見分けにくいのですが、経年劣化で色が変ったなどという無礼なことではなく、最初から色が違うのです。

『宮島本』によりますと、「漆に朱色をまぜた本朱漆塗り」というのだそうです。そういえば、神社の本殿の色など、あまり気にかけていませんでした。というより、ご本殿はそもそも正面から見えるわけではないので、脇からチラリとお姿が見えるだけの建物です。にしても、この神社以外はすべて朱色(丹塗り)だらけの厳島神社なので、ちょっと珍しいことです。

蟇股

荒胡子神社・蟇股

緑枠内が極彩色の蟇股です。極彩色の火焰宝珠を唐草で包んである、ということなんですが、これ以上の拡大はできないので、今ひとつはっきりとはわかりません。望遠鏡をもっていない方は、『宮島本』などでご覧くださいませ。

千木と勝男木

荒胡子神社の千木と勝男木

千木と勝男木。いずれも、神社建築には珍しくないものです。緑枠内の黄色い部分が勝男木でそれではなく、X字型に交差しているものが千木です。そういや、こういうの、神社の屋根についていたっけ、と思うのですが、その通りです。ですけど、なんと、厳島神社の中で、屋根にこれらがついている社殿はこの荒胡子神社だけなのです。なんとも貴重な存在の神社さまでした。

三翁神社

三翁神社

荒胡子神社と同じく、厳島神社入口付近にある神社です。御由緒にもありますが、明治時代までは「山王社」と呼ばれ、比叡山から勧請されたものであったようです。清盛神社ができるまでは、中央に平清盛も祀られていました。⇒ 関連記事:清盛神社

「三翁神社
御祭神 中央 佐伯鞍職 安徳天皇
所翁 二位尼
岩木翁 大綿津見命
左殿 大己貴神 猿田彦神
(向かって右)
右殿 御子内侍 竹林内侍
(向かって左)徳寿内侍各祖神
例祭日 十月二十三日
御由緒 御鎮座の年月不詳
治承元年(一一七七)
「伊都岐島社千僧供養日記」に
比叡御社壇とあるのが
現在の三翁神社と考えられる
明治以前は山王社と称されていた」
(説明看板)

鳥居

三翁神社・鳥居

山王神社の鳥居は「銅製の明神鳥居」で宮島ではこの神社だけのものです。ご本殿に近付くことはできませんが、三つの社殿が並んでいることがはっきりわかりますね。

厳島神社の摂社と末社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP

荒胡子神社と三翁神社
ご鎮座地はいずれも「廿日市市宮島町」となっています
(※Googlemap に載っていた住所です)

アクセス

※ここでは、荒胡子神社と三翁神社へのアクセス方法だけを載せています。そのほかの摂社・末社については、リンク先をごらんくださいませ。
厳島神社へ向かう参道を進み、入口から神社には入らずにそのまま進むと左手に荒胡子神社が見えてきます(厳島神社御文庫の隣です)。道なりにさらに進んで行きますと、やはり左手に三翁神社があります。いずれの神社も、厳島神社に参拝する時、普通に目にしているはずですが、ぼんやりしていると見落としもあるので、ちょっとだけ注意してみてください。

すべての摂社と末社参拝の手引き

神社へのご参拝は、スタンプコンプリートではないので、すべての摂社と末社に参拝する必要はありません。ですけど、全国何十何カ所札所巡りとか、御朱印集めとか色々で、一覧表を見るとすべてに足を運びたくなるのが世の常です。それも、信仰心ゆえならば、とても素晴らしいことです。

厳島神社の摂社と末社を巡ることはじつは、そんなに大変ではありません。宮島島外に、厳島神社のホームページに出ていないような何かしらのゆかりのある神社まで探し始めたら恐らくは絶望的ですが、厳島神社さま公式ホームページにある神社でしたら、すべて問題はありません。いくつかのポイントがありますので、ご参考までに。

一、地御前神社は宮島島内にはない。⇒ 対岸の地御前にあります。広島電鉄の「地御前」駅からすぐですので、参拝は容易です。
二、御山神社は弥山の山頂にあります。ですので、ロープウエーもしくは登山ルートで弥山を観光した際に、見落とすことなくきちんと参拝する必要があります。けっこう後から気が付く方がおられますので、要注意です。
三、浦々の神社九社については、毎年四回の応募機会がある宮島観光協会さまの観光船に申し込みをします。このうち、杉之浦神社、鷹巣浦神社、腰少浦神社、青海苔浦神社には歩いて行くこともできますが、あまりにも遠いためおすすめできません。ただし、腰少浦神社までは車道があるので、タクシーにお願いすることも可能ではあります。ですが、結局のところ、海上しか行けないところを諦めざるを得なくなるため、観光協会さまの船一択です。一度にすべて行けます。
三、上三つの神社(合計十一社)以外は町中にあり、桟橋からすべて徒歩圏です。とは申せ、それぞれ方角が違っていたりしますので、一日ですべて参拝するのはたいへんかもしれません。
※いずれにしても、一泊二日のような旅程では到底すべて訪れることは無理です。よほどのリピーターでない限り、厳島神社だけで精一杯かと思います。本社にて丁寧にお参りすれば、各神社の神さま方にもきっと気持ちが通じるはずです。

参考文献:『宮島本』、厳島神社さま HP

厳島神社の摂社と末社(廿日市市宮島町)について:まとめ&感想

厳島神社の摂社と末社・まとめ

  1. 厳島神社には外宮と奥宮を含めて二十五もの境外摂社と末社がある
  2. 外宮・地御前神社以外はすべて宮島島内にある
  3. 摂社は本社とゆかりが深い御祭神をお祀りする神社をいい、厳島神社の摂社は、地御前神社、御山神社、三翁神社、大元神社の四社のみ。あとはすべて摂社となる
  4. 三翁神社は厳島神社を創建したとされる佐伯鞍職ほかを御祭神とする摂社で、銅製の明神鳥居は宮島では唯一のもの
  5. 荒胡子神社は厳島神社ゆかりの神社で唯一「丹塗り」ではなく「本漆朱塗り」の社殿をもち、また、屋根に千木と勝男木がついているのもここだけである

厳島神社にはじつに多くの摂社と末社があります。神社周辺にご鎮座しているお社、やや離れているお社、弥山の山頂付近にあるお社、はては海を渡って対岸の本州にあるお社など場所も様々です。宮島観光、特に厳島神社メインでいらした方は、御山神社まで登っていったり、対岸の地御前神社に立ち寄る時間的余裕はないかもしれません。また、浦々に点在する七浦神社などは、船がなければ辿り着けません。

そのように考えると、一般の観光客がすべての神社にご参拝するのはきわめて難しいと言えます。けれども、それぞれに趣が違うお社なので、時間の許す限り、ぜひとも多くの神社に足を運んでくだされば、と思います。

毎年厳島神社を訪れるようになって四年経ちますが、未だにすべての摂社と末社を参拝できてはいません。そりゃそうらろう、浦々の神社とか大変だもん、と思われるかもですが、そちらはすべてお参り済みです。でも一箇所だけ、なぜか未だに辿り着けていない場所があるんです。浦々の神社については、ほとんど神がかり的な出逢いから夢が叶ってお参りできましたが、基本はすべての神社にお参りしようなどとは考えていませんでした。何度も通っているうちに、すこしずつ参拝した神社が増えていった感じです。基本はそれが理想的なんだろうと思っています。

なので、あとひとつ残っている神社さまも、ある日突然に前を通りかかったりすることになるんだろうなぁ、と思います。宮島の旅はまだまだ続きますが、来るたびに新しい発見があります。皆さまにとっても素敵な出遭いと幸せな一時がありますように、心よりお祈りいたします。

こんな方におすすめ

  • 神社巡りが大好きです。とにかくたくさんお参りしたい
  • 厳島神社を極めたいです。だからゆかりの神社も当然すべてに参詣したい

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

鶴ちゃんイメージ画像
鶴ちゃん

まだ行けていない一箇所というのはどこなのだ?

ミルイメージ画像(涙)
ミル

ええと、それは聞かないで欲しいです。当然サイトのどこにも記事がない場所です。

五郎イメージ画像(笑顔)
五郎

別に全部行く必要もないし、お気に入りの神社にきちんとお参りすればいいだけだよ。

腰少浦神社付近での記念写真
廿日市・宮島旅日記(含広島市内)

五郎とミル(サイトのキャラクター)が広島県内を観光した旅日記総合案内所(要するに目次ページです)。「みやじまえりゅしおん」(宮島観光日誌)、「はつかいち町歩き」(廿日市とたまに広島市内の観光日誌)内それぞれの記事へのリンクが貼ってあります。

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