みやじま・えりゅしおん

大元公園

2022-05-06

大元公園案内看板

広島県廿日市市宮島町の大元公園とは?

宮島にいくつかある公園の一つです。宮島の西端に位置しており、大元川が流れている辺りです。閑静で奥ゆかしい風情のある公園です。園内には由緒ある大元神社が鎮座しています。大元川の川岸は「厳島八景」の一つ「大元桜花」として、古くから桜の名所となっているほか、海岸付近としてはきわめて珍しい「モミの原生林」があることでも知られています。

大内軍の上陸地点となった大元浦、戦死者を供養するために建てられた血仏などの厳島合戦関連史跡もあるほか、弥山への登山ルートの起点でもあります。

大元公園・概観

今回ご紹介する大元公園の位置は、およそつぎのような範囲です。大元公園(地図)

緑枠で囲ったところが、大元公園のある周辺地域です。もちろん、はっきりとこの枠内という意味ではなく、おおよそこの辺り、といったところです。

いつものように五重塔に登っていく入り口の案内看板をお借りしています。この案内看板では、桟橋が下側に書かれています。宮島にある地図類では、ほとんどがこの配置で書かれており、したがって宮島が上、本州側が下という「向き」になることが普通ですが、つねに何か反対だな……と感じております。

一般の日本全図のような地図を見たとき、山口県は向かって左側、広島県は右側となっています。そして、宮島は本州の下に書かれています。なので、桟橋は本州側、つまり上のほうに来るのでは? と感じてしまうのです。けれども、島内の案内図では桟橋が下のほうに来ているので、混乱してしまいます。ご無礼ながらひっくり返したくなることが……。

何が言いたいかと言えば、大元浦は厳島合戦で大内軍が上陸した地点です。普通に考えれば、山口県に近いところに上陸するのが自然であり、実際そのような位置関係になっています。ですが、この地図だと、桟橋が下になっている関係上、大元浦がある大元公園は右側にあります。なんでこうなるの?

とりあえず、「向き」の問題は置いておくとして、厳島合戦関連史跡として見た場合、

一、大内軍は大元浦から上陸
二、多宝塔の岡に陣を置く
三、塔の岡に移る

という流れですので、地図上、多宝塔と五重塔(塔の岡)にもマークしておきました(三箇所を結んだ直線は単に、このような順番で移ったってだけで、移動ルートじゃありません。こんなとこ通ったら、神社に無礼だし、そもそも海に落ちちゃうよね)。⇒ 関連記事:多宝塔厳島神社○○となっている建築物)、塔の岡

大元公園・みどころ

大元浦

大元公園「厳島合戦史跡」説明看板大元浦は、厳島合戦関史跡の一つです。大内軍はここから上陸したといわれ、その旨記した説明看板が立っております。たまたま奇襲に成功したからという理由で、看板には毛利家の家紋がついています。合戦関連史跡説明看板は島じゅうの関連箇所にあるので、ミルたちにとっては目に入る度に何とも言えない気分となります。

別に毛利元就さん嫌いとは言ってません。広島県の人とお友達になって、毛利元就さんの悪口言ったらぶん殴られるというか、色々教えてもらって、立派な人だなと思うに至ったからです。でもせめて、両方の家紋を書くとか、そういう配慮があったらこんなに悲しくないのにな、と思います(まさか、単にその程度で癒やされるわけないけどね)。⇒ 関連記事:大元浦「厳島合戦跡」全看板

大元浦(2)

大元公園に向かう道から見える海はこんな感じです。大内(陶)軍の方々がご覧になったときと、だいぶ様子はかわっているだろうけど、同じ海です。大元浦(2)

大元川と大元橋

大元公園・大元川「土石流危険渓流看板」

大元川の流れは穏やかで美しいのですが、例によって注意喚起看板が。しかも「土石流危険渓流」という信じられない名称がついております……。なんだか、宮島の川のほとんどが危険みたいなんですけど、どこも普段は水が涸れたみたいになっているので、ますますもって謎です。自然の力の恐ろしさ、ってことでしょうか。

大元公園・大元川

こんな感じの流れです。綺麗ですよね。そこに架かっている橋が大元橋となります。もう少し上流のほうに歩いて行くと、ちょっと年代モノっぽく思える橋もあります。

大元公園・大元川に架かる橋

なお、大元川の川岸には多くの桜の木が植えられていて、桜の名所となっています。「厳島八景」にも「大元桜花」として選ばれていたほどなので、昔から有名だったのでしょう。桜の季節に訪れたことがまだないのですが、いずれは見てみたいと思います。

広大植物園入り口

大元公園・大元隧道

大元橋を渡った先には、トンネルのようなものが見えています。これは「大元隧道」と呼ばれる文字通りのトンネルです。

大元隧道入り口「広大植物園」説明看板

大元隧道を抜けても、道はまだまだ先に続いて行きます。その先には、「広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所」があるようでして、トンネル手前に看板が立っていました。このとても長い名称の施設は、通称「広大植物園」として地元の方々に知られています。所在地は大元公園から 4㎞ 先とのことです(参照:『宮島本』)。

看板にある禁止事項のような悪いことをせずに、マナーを守っていれば、一般観光客もこの先に進んで宮島の豊かな自然を観察することができるそうです。今のところ、時間の関係でこれより奥に進んだことはありません。

大元神社

大元公園・大元神社

大元公園の中心は、この大元神社であるようです。この神社の歴史は相当に古く、厳島神社の摂末社の中で一番古いかもしれないね、と心優しい地元の方がおっしゃっていた言葉を思い出しました。

「重要文化財
大元神社
御祭神 国常立尊
大山祇神
保食神
相殿神 佐伯鞍職
例祭日 一月二十日(百手祭)
御由緒 御鎮座の年月不詳
仁安三年(一一六八)
「伊都岐島社神主佐伯景弘解」に
大伴社と記述があるのが
現在の大元神社と考えられる
現在の本殿は大永三年(一五二三)
に再建されたものである」
(由緒看板)

仁安三年(1168)と言ったら、平清盛が現在の厳島神社を造営した年です。ということは、「ご鎮座の年月不明」とありますが、史料で確認がとれる年代としては、厳島神社の本殿と同じ時に建てられた、となります。現在の本殿も大永三年の再建ということですから、これまた大内氏時代の建物となり、たいへんに貴重な神社さまとなります。⇒ 関連記事:みやじまの歴史入門編

大元神社本殿(横から見た図)

このほかにも、大元神社には数々の特記事項がございます。『宮島本』で勉強したことからまとめておくと、以下の四点です。

一、本殿の屋根が他に類を見ない特別な工法を用いている
二、百手祭
三、御島巡りで一番最後に参拝する神社である
四、管弦祭の時に、御座船は大元神社前の海で楽を奏でた後、厳島神社に帰る

以下順番に見ていきます。

本殿の屋根の葺方は「大元葺」と呼ばれ、 「六段重三段葺」で全国に例を見ない工法で葺かれている。
出典:『宮島本』

これはもう、ナントカ葺とか言われてもわからないので、そのまま暗記です。重要なのは、「全国に例を見ない」という点です。

御島巡りも管弦祭も、宮島のたいへん有名なイベントですが、それらにあたり、大元神社も大きな役割を果たしていることが重要です。

御島巡りは周知のごとく、浦々の神社を参拝していく行事ですが、「最後に参拝する神社」であるということは、一周回ってお疲れ様でした、となるのがココってなります。ゆえに、無事に御島巡りを終えることができた人々は、大元神社に参拝すると同時に、確かに全行程を終了しましたよ、って自らの名前を記した記念の額を奉納しました。ご覧の通りです。

大元公園・拝殿

達成感半端ないだろうなぁ。本当に羨ましい限りです。

百手祭というのは、御由緒看板にも書いてある大元神社の例祭ですが、『宮島本』によれば、「騎射」と「直会」が行なわれるとあります。騎射はよいとして、「直会」って何ぞ? ってなりますが、神さまにおそなえした食べ物をいただくことのようです。

古代から続くいにしえの宮で、現在に至るまで様々な重要イベントの舞台となっているというものスゴい神社さまですね。観光客の方々が群がる厳島神社と比べて、閑静で荘厳な趣のあるところです。それゆえにか、鹿たちにとっても楽園となっています。

大元公園・大元神社付近の鹿の群れ

五郎イメージ画像(笑顔)
五郎

たくさんいるね。なんだかのんびりしてて、楽しそうだね。

ミルイメージ画像
ミル

そうだねぇ。宮島はどこも鹿だらけだけど、厳島神社の参道とかは鹿に感激した観光客の人たちに囲まれて、鹿たちもたいへんなことになってるもんね。

五郎イメージ画像(怒)
五郎

どっかの公園ではせんべいを食べに来る鹿に、観光客が襲われたりするってきいたけど。信じられない。宮島には鹿に食べさせるものなんて売ってないしな。

鶴ちゃんイメージ画像(怒)
鶴ちゃん

売ってないからといって、勝手にソフトクリームなんぞを食べさせたら絶対にダメだぞ。鹿はあくまでも野生動物。そっと見守るのが基本だ。

国民宿舎「杜の宿」さん

国民宿舎「杜の宿」

大元公園の中にあるというロケーション最高の国民宿舎。常に本州側のお気に入りのホテルに宿泊するミルたちには泊まる機会はなさそうだけど、島内に泊まってしまう、というのもちょっぴり羨ましい。

この宿舎は元「宮島ホテル」があった場所に建っているそうです。「宮島ホテル」って色々なところに名前がよく出てくるので、どっかで聞いたと思っていたら、ホテルを設計したのが原爆ドームとなった建物を設計したお方でした。ヤン・レツルさんという、チェコ人の方です。

なにゆえにホテルがなくなって、国民宿舎になっているのかといえば、火災によって焼失したゆえにです。「宮島ホテル跡」として、『宮島本』に解説項目がたてられているのですが、「跡地」看板のようなものは見付けられませんでした。

大元浦石段

国民宿舎裏から続く長い長い石段……。大元公園からあせび歩道に接続します。コレ、本当に長い上、とても歩きにくいです。

血仏

大元公園・血仏

大元浦は厳島合戦史跡の一つだと前述しました。それは単なる「上陸地点」であったはずです。しかし、毛利元就の奇襲が成功したために、混乱した大内軍の人たちは撤退を余儀なくされます。奇襲は多くの人員を動員できない弱小勢力なんかが、敵の大軍を混乱させてわけわからない状態にさせて敗北に追い込むものなので、上手くいけば大混乱となった相手は逃げるよりほかなくなります。

源義経の鵯越とかが有名ですが、嘘、こんなところから!? てのが功を奏し、敵は文字通りの大混乱になって敗走しました。コレ、最近になって軍事評論家なる先生が、迂回して奇襲とか馬鹿がやることだとか、義経は愚将だとか書いておられるのを見かけましたが、全国の判官贔屓を敵に回したその先生がその後もご無事かどうか、安否が気遣われます(電子書籍のサンプルだけ見て買わなかったので、作者とタイトル忘れました。ごめんなさい)。

源氏は好きじゃないので義経とかどーでもいいのですが(ああ、自らの安否も気遣われる……)、毛利元就を「愚」将などと言う人は先の先生まで含めて一人もいないので、厳島合戦のコレと、源義経のソレとを同じにしていいものか悩ましいところです。けれども博奕尾に博奕は「打つ」もの = 「討つ」だからこの戦勝ったも同然とか書いてあったけど(現地説明看板)、これもなんか源義経がたまたま「勝浦」に着いて戦勝っちゃったって話とそっくりだし、ココの奇襲も「二番煎じ」で全然面白くない(『応仁記』にある相国寺での畠山政長の話が事実なら、『三番煎じ』)。

平家は大軍だけど「借り武者」だらけなので、ヤバいと思ったら我先に逃げる。それでも、海には「助け船」がたくさんあって、とりあえず一ノ谷からは逃げおおせた人もいたわけです。なのに、どうして厳島合戦では探せども探せども船が見付からなかった云々になってしまったのか。その理由が未だにわからない。『陰徳太平記』に旗色が悪くなった途端に船で逃げてしまった人たちが「陶入道を置いて来ちゃった」「どうしよう?」って気が付いて呆然となるアホみたいな話があったんですけど(今何巻のどこだったか典拠確認中)、さすがに馬鹿にされすぎている感じがして信じられません。

で、とりあえず、大混乱の中、その場では命を落とさなかった人たちが取った行動は当然ながら「逃げる」ことです。コレ、人間の本能ですから、もうしかたない。それにおそらくは平家同様、「借り武者」ばかりなので。どこへ逃げるかと行ったら当然、船があるところです。というようなわけで、塔の岡から上陸地点の大元浦まで逃げてきた、っていうのが定説です。

逃げなければならないのは、追い掛けてくるからで、道すがらも所々で戦闘がありました。それらはここでは置いておくとして、大元浦までも追いすがってきたのでしょうか(そもそもここまで無事に辿り着いた人スゴいよね)。ここでは激しい戦闘があり(ココ、典拠とかないです)、それゆえに、しばらくの間、その戦闘で犠牲になった人々の血が流れてとまらなかったといいます。

そこで、その供養のために、石塔が建てられました。それが「血仏」です。明暦 四年 (1658)建立(参照:『宮島本』)といいますから、厳島合戦からかれこれ百年近く後です。まさか、そんなに長いこと血流成河の状態のままだったとは、とうてい思えませんが……(建てるなら、もっと早く建てれればいいじゃんね)。

※写真の中で緑色に囲ってある石塔が「血仏」です。

ところで……。ガイドブックに「血仏池」なるものが掲載されていました。下の写真とはやや違うのですが、上の血仏石塔付近の写真が載っています(その写真には池なんかありませんでした)。池というからには、水がたまっていなくてはおかしな話なので、恐らくはその写真からちょい脇のこれのことを言っているのではないかと思われます。

大元公園・血仏池

五郎イメージ画像(涙)
五郎

これって、ただの「水溜まり」だよね?

ミルイメージ画像
ミル

まさかと思うけど、ビビってるわけ?

五郎イメージ画像(涙)
五郎

そんなはずないだろ。でも、こんな風に身内の人たちの血が流れて池になったなんて考えたくないから……。

ミルイメージ画像(涙)
ミル

優しい子だね、君は。こんなアホな水溜まりが血だまりなんかであろうはずがないよ。ミルたちは、中世の人々がまだ知り得なかった、最新の科学技術を吸収して生きている。おどろおどろしい言い伝えは現代の感覚ではインチキでしかないんだよ。

そもそもですが、「血仏」って名称がじつにヘンテコだと思われてならず、「観光資源」的にはそれこそ血仏池のほうがマシではないかと感じます。血だまりが百年も消えなかったから供養をした、その結果建てられたのが上の石塔。それが「血仏」という、って話でしたが。せっかくの供養塔が血仏なんておどろおどろしい名前とか、普通の感覚では受け入れがたいです。○○合戦犠牲者供養塔みたいな名称は現代的すぎるにせよ、血仏なんて名前をつけたら、なんか血にまみれたままみたいで気持ち悪いんですよ。

だったらいっそ、「伝承・血の池跡」とその「供養塔(名称任意)」がいいと思います。まあ、そのような名前がついたのが、それを建設した当時ということであれば、その名称じたいにすでに長い歴史があります。部外者がとやかくいうことは差し控えるべきという自覚はございます。単に、犠牲者の関係者として、素直な思いを一言申し上げました。ご無礼お詫び申し上げます。⇒ 関連記事:血佛「厳島合戦跡」全看板

モミの原生林

大元公園・「モミの原生林」説明看板

大元公園のもう一つのみどころが「モミの原生林」です。植物よくわからなくて、花も木も、どれが何の花、何の木なのか、さっぱりなんですが。説明看板によると、モミの木じたいは、そう珍しいものではないようですが、「海岸に」あるってことがきわめて珍しいことなのだそうです。そういや、海辺にモミの木なんて、いくら植物に疎くても、聞いたことないです。

宮島のモミの木

これが宮島のモミの木です。

「牛岩」

大元公園「牛岩」

大元公園の向かい、宮島水族館の隣にある「奇石」です。特に説明看板の類などはないですが、とてもびっくりなかたちをしていることと、周囲をぐるりと池のように小石を積んで囲んであるので見付けられるはずです。でも、牛に似ているのかどうかは疑問でした……。

附・宮島水族館

宮島水族館

大元公園の中にあるわけではありませんが、近いので順路的にまとめましょう。宮島は島ですから、当然のことながら海の生物に恵まれています。珍しいラッコやスナメリなどにも会えるみたいです。常にあれこれと放送流れているので、何か面白そうなイベントをやっていそうなら、入って見るのもいいかもしれません。

ところで、水族館から道路を挟んだ向かい側に岩風呂だか石風呂だかの跡地があるそうです。必死になって探しましたが、これがそうである、という看板のようなものがなく、見付けられませんでした。次回また探します。さらに、「牛石」なる岩も有名らしいのですが、存在そのものを知らなかったので、やはり見落としました。何度来ても必ず何かを見落とす、これも、宮島にもう一度来てください、という市杵島姫命さまの思し召しなのでしょうか。ありがたいことと思います。

市杵島姫命イメージ画像市杵島姫命さま

弥山登山道「大元ルート」

大元公園は弥山への登山口のひとつとなっています。ロープウエーを使わず歩いて弥山に向かいたい方々のために、現在三つのルートが整備されていますが、そのうちのひとつとなります。中途には多くの奇石や岩屋大師と呼ばれる洞窟など、みどころがたくさんございます。⇒ 関連記事:弥山

弥山登山「大元ルート」(地図)全行程は二時間半ほどかかる(所要時間には個人差があります)とされていて、かなりの健脚向けです。この道を上っていくのはかなりキツいですので、できれば行きはロープウエーを使い、帰路にこちらを歩くことがおすすめです。下りは登りよりも楽ですし、所要時間も短くなります。

舗装された道路は一切なく、整備された山道もほとんどありません。途切れ途切れに付けられている石段を目印に下って行く進み方となります。道中岩が大量にあることや、石段がわかりづらい箇所があることから、道に迷いやすいです。階段を見失わないように、十分注意する必要があります。階段は一瞬途切れても、必ずまた現われますので、石段を行くというルールを守ってください。

弥山登山道「大元ルート」

このような階段がついています。階段は頂上から山頂までずっと一続きではなく、途中に道を挟みながら断続的に続いている感じです。階段と階段の間隔が長いところがあることに注意。階段がまったくないところはルートではないので、迷い込まないように。

それでも一箇所、続きの石段がどうしても見付けられないところがあり、完全に道を誤ったことがあります。周囲は岩の海にようになっており、道らしきものはどこにもなく、どうしたらよいのか途方に暮れました。ここだけは階段が途切れてしまっていたのか、見落としたのかは定かではありませんが、わかりにくい箇所があることは確かなので、じゅうぶんにお気を付けくださいませ。

なお、注意していても道からそれてしまった場合ですが、スマートフォンの GPS 機能から現在地は調べられます。たいてい、ちょっと横路にそれてしまったくらいですので、迷ったと気付いた時点で速やかに山道へ戻るようにしてください。下山しているのだから、ひたすら下へ行けばそのうち麓につくだろう、という思い込みは通用しません。スマートフォンでも自らの現在地と正しい山道の位置を確認することしかできませんが、山道からさらに離れて行くことがないよう、山道になるべく近付いて行くよう軌道修正することは可能です。たいてい、視界に正しい道が入ってくるので、元に戻れると思います。

階段が完全に途切れてしまったら、登山道のように見えてもそれは正しい道ではない、ということに心がけていれば問題はないと思います。⇒ 関連記事:弥山

弥山登山道・大元ルート

メリット:岩屋大師などのみどころがある
デメリット:道に迷いやすい

岩屋大師

大元公園・岩屋大師

弥山の山頂にほど近い辺りにあります。岩の中に石仏などが安置されており、かつてここで弘法大師が修行をしたところだとされています。写真は入口から中を望んだ感じです(フラッシュなどは焚いていません)。

大元公園・岩屋大師の弘法大師像

中には弘法大師さまもおられます。

大元公園「岩屋大師」順路看板

場所はそれなりわかりにくく、この看板がなければ通り過ぎてしまうかも知れません。順路矢印に注意しましょう。また、大元ルートを使って下山中の場合、岩屋大師はちょっと寄り道といった感じで、一瞬ルートから外れます。参拝後は、元のルートに戻らなければなりませんので、道に迷わないようにお気を付けくださいませ。

付近は岩が大量にあり、歩きづらい上に、元のルートがわからなくなりやすいです。

風吹き岩

大元公園・風吹き岩

冷たい風がなかから吹いてくることで有名な大岩です。左手のほうがそうなのですが、大きすぎて写真に入りきらず……。脇に弘法大師をお祀りした祠があるのが目印です。

「弥山原始林碑」

大元公園・弥山原生林碑

至る所に同じものがある「弥山原始林碑」。これは大元公園から弥山に続く弥山登山道「大元ルート」にあるものです。現在弥山の原始林の中にいる、ということが確認できる石碑ですが、下から上に登山道を行く人に対しては、この先道がだんだんキツくなっていきますよ、という合図の石碑でもあります。

弥山登山道入口

大元公園・弥山登山道入口看板

登山せずに下ってきたので、ここが最終地点となりました。たまたま「注意書き」看板だけを撮影していましたが、ここに登山ルートの案内看板などが置かれていて、ここから登山道が始まるのだな、ということがわかります。

重要

登山ルートの使用にあたっては、上の看板に書いてあることに注意することはもちろん、観光案内所などで必ず最新情報を確認してください。その日は晴天でも、旅行前に自然災害などがあり、道が荒れているなどのイレギュラーなことが起っている可能性があります。

大元公園(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について

所在地 & MAP

所在地 〒739-0534 廿日市市宮島町
なんと、Googlemap の所在地には所番地がありませんでした。公園だから?

アクセス

厳島神社の出口を出て、宝物館を左手に見ながら真っ直ぐ続いている道を行きます。宮島歴史民俗資料館を過ぎた付近で道が二つに分れます(資料館手前にも交差する道があるけどそこは関係ないので注意)。結論からいうと、左右どちらの道に進んでも宮島水族館に行けます。ただ、右に行くと行き止まりで左折する必要があること、左の道から行けば途中に「清盛塚」へ上がる道があり、一緒に見学できることから、左推奨です。

宮島水族館は道路に面して横に長い建物ですが、水族館を右手に見ながらひたすら真っ直ぐ行くと、やがて左手に国民宿舎が現われます。そのすぐ先に「あせび歩道」が接続しており、道なりに登っていくと大元神社があります。Googlemap によれば、大元公園のマークは大元神社の裏手になっていますが、これはピンポイントで場所を示す必要があるからで、神社も国民宿舎も含めて、ここら辺一帯が大元公園という認識でいいと思います。

なお、「あせび歩道」は多宝塔がある岡から延々と続いており(そもそも起点がどこなのかよくわからないんですが)、神社や水族館を通ることなく大元神社に行くことも可能です。

参考文献:『宮島本』、『平家物語全訳注』、『陰徳太平記』、『応仁記』

大元公園(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想

大元公園(宮島)・まとめ

  1. 世界遺産宮島にある都市公園の一つ
  2. 厳島神社の摂社・末社の中でも最も歴史がある神社のひとつ、大元神社が鎮座している。
  3. 穏やかに流れる大元川は「土石流危険渓流」指定を受けている。川岸に植えられた桜が美しく、「大元桜花」として厳島八景に選ばれている
  4. 大元川に架かる大元橋を渡り、大元隧道を抜けて行くと、広島大学の大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所に至る
  5. 園内には国民宿舎「杜の宿」があるが、この地は元々、原爆ドームとなった建物を設計したことで知られるチェコ人の建築家・レツルによって設計された「宮島ホテル」の跡地だった
  6. 大元浦は厳島合戦で、大内軍が上陸した地点である。合戦で命を落とした人々の霊を慰めるために建てられた石塔を「血仏」というが、これは流れ出る血が池となって、いつまでも消えることがなかったという言い伝えから来ている
  7. 公園内にはモミの原生林があるが、海岸付近にモミが植生することはきわめてまれで、宮島だけにみられる貴重な事例である
  8. 大元公園は現在公式に認められている弥山への登山道のひとつ「大元ルート」の出発地点でもある

宮島には包ヶ浦自然公園、紅葉谷公園など、有名な公園がたくさんあります。紅葉谷公園はロープーウエーの乗り場になっているので知らない方はおられないかと。宮島は厳島神社と時間が許すならばロープーウエーで弥山って人がほとんどなので、それ以外の場所まで行っている方々はかなりのリピーターかと思われます。親しくさせていただいている方に、日本全国四十八都道府県すべて回るのだ! という猛者がいます。けれども、そうなると、一箇所をリピートしている余裕はないので、宮島も厳島神社だけだったそうです。

大元公園は包ヶ浦自然公園よりはずっと神社に近いですし、国民宿舎もあることから行きやすい場所であり、自然公園のようにレジャーを楽しむための場所というよりは景観を楽しむため(包ヶ浦の景観も美しいのでそこは誤解なさらぬようにお願い申し上げます)の場所です。公園というよりは、大元神社単体を信仰の対象として参拝に訪れたりするケースのほうが多いのではないでしょうか。あるいは、地元の方ならば、それこそ「大元桜花」でお花見もできますね。

ただし、ミルたちにとってはココは、ゆかりが深すぎて何と表現したらよいのか難しい場所です。大元神社の奥ゆかしくも荘厳なお姿を拝むにつけ、かつてここに上陸した方々もこの神社にお参りしたであろうと考え、同じ空気に触れている感動に包まれると同時に、その後の展開を思うと悲しくなります。上陸はしたけれど、ついに生きて島を出ることはできなかった。どれだけ無念だったことでしょうか。

『宮島本』にも載っているくらいなので、デタラメの怪奇趣味ではけっしてないのですが、日が暮れてから山に入ると厳島合戦で敗れた陶一族の霊に遭うと。別にそれで命を落とすとか、そういう話ではないのですが(そんな酷い事、絶対にしないよ)、それらの死者の霊らしき人に行き逢い、気が付いたら道に迷っていたとか、そういう言い伝えです。一度やってみたくて仕方ないのですが、山には明かりがまったくないですから、ヘッドランプなどの装備が必要。だって、霊に遭う前に、己が暗がりで滑落してしまいます……。だけど、ギラギラに明かりを付けていたら、その手の方々に行き逢いそうもないですよね。

ライトアップに照らされた美しい五重塔を眺めながら、今この時間帯に血仏に行ったらどうなるだろう? と真剣に考えましたが、やはり踏ん切りがつきませんでした。そもそも、血仏までは相当の距離がありますので、ライトアップはともかく、商店街の明かりもすでに消え、昼間の喧噪が嘘のような夜の宮島で、大元公園まで辿り着くのも何となく至難の業みたいで(そのくらい真っ暗)。つぎは国民宿舎に泊まれば行けるじゃん? などと思いました。

戦死者の霊に遭うこと(もしくはその霊そのもの? ここら辺の定義不明)を「あやかし」と呼ぶそうです。ネオンサインでギラギラの大都会から、幽霊の類が消えて久しい昨今。真っ暗がりの夜の宮島なら、ひょっとして? などと考えてしまいました。良い子は真似しないでね。

こんな方におすすめ

  • 厳島合戦の史跡を巡っています(毛利元就関係ないけど、大内軍上陸地点です)
  • 神社巡りが好きで厳島神社大好きな人(摂社末社もすべて極めてこそです。大元神社あり)

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

ミルイメージ画像(涙)
ミル

陶さま……。たとえ怨霊であったとしてもお目にかかりたい……。

五郎イメージ画像
五郎

ばっかみたい。戦死者の怨霊は昼間は出ない、って『宮島本』でちゃんと勉強したぞ。日が暮れたら山に入るなよ! 俺はボロ負けした子孫なんかに会いたくないからな。でもさ、先に逝った忠義の家臣たち、父上や母上、それにお祖父さまたち、いろんな人に会えたんだから、陶入道はきっと幸せに暮らしているよ!

ミルイメージ画像(涙)
ミル

優しい子だね、君は(でも、子孫ではないのだよ……)。

五郎イメージ画像(笑顔)
五郎

俺は怨霊なんかじゃなくて、鹿と戯れたい。みんなもおどろおどろしい血の池ではなく、大元公園で桜を楽しんでね!

腰少浦神社付近での記念写真
廿日市・宮島旅日記(含広島市内)

五郎とミル(サイトのキャラクター)が広島県内を観光した旅日記総合案内所(要するに目次ページです)。「みやじまえりゅしおん」(宮島観光日誌)、「はつかいち町歩き」(廿日市とたまに広島市内の観光日誌)内それぞれの記事へのリンクが貼ってあります。

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