みやじま・えりゅしおん

有の浦海岸(廿日市市宮島町)

2023-02-26

有之浦「有浦陸閘」

有の浦海岸(広島県廿日市市宮島町)とは?

宮島桟橋から厳島神社へ向かう道の右手に見える海岸です。宮島フェリーがなかった時代、昔の人々が厳島に参詣する時は有の浦に船を停めていました。つまり、かつての船着き場だった場所です。厳島詣が盛んだった当時、じつに多くの人たちがこの海岸に立ち寄った、ということになります。平清盛やゆかりの人々も皆、ここから島に上がったことでしょう。

有の浦海岸・基本情報

所在地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町1185−10

海岸ゆえ、横に長く続いており、「所在地」がどこというのは難しいですが、Googlemap に書かれていた住所を記しています。いったいどこからどこまでが有の浦海岸であるのか、という問題もとてもわかりにくいです。

『宮島本』によれば、二位殿灯籠がある辺りの砂浜を「尼の州」、浜辺を「有の浦」というと書かれているので、二位殿灯籠がある辺りが中心と思われます。上卿雁木がある辺りの浜辺は「脇浦」、石鳥居があるのは「御笠浜」と色々な名称がありますが、複雑になってしまいますので、すべて「有の浦」としています。地図で確認すると、だいたい以下のような位置となります。「宮島案内図看板」有の浦部分

※五重塔に上がるところにある案内図をお借りしています。

有の浦・所在地地図(案内版)

コチラは確か弥山登山道にあった「瀬戸内海国立公園」の案内版をお借りしたつもりです。細々とした建築物が省略されている分、海の位置を確認するのが目的ならば、こちらのほうがわかりやすいですね。

有の浦海岸・歴史

宮島フェリーがなかった古代や中世の頃、ここは「厳島参詣の玄関口となっていた」(宮島本)ので、多くの人々が通過したはずの場所です。

高倉上皇御幸

高倉上皇御幸の際、神社参詣を終えて帰洛の途についた上皇一行ですが、風が激しかったためにいったん厳島に戻りました。もちろん、当時の船着き場であった「ありの浦」に船を着けました。

上皇が厳島大明神とのお別れを惜しむ歌を詠むようにとおっしゃると、隆房の少将という人が

 たちかへる名残もありの浦なれば神もあはれをかくる白波

と詠んだとされています。風波高く吹き戻されたことを、神様との名残が惜しかったからだとし、名残が「ある」と有之浦の「あり」とを掛けたんですね。これは、『平家物語』巻四「還御」に載っているエピソードとなります。『厳島御幸記』では、この歌を詠んだのは紀行文の作者となっており、隆房の少将ではありません。『平家物語全訳注』の杉本先生は、『厳島御幸記』が正しく、『平家物語』は脚色と書いておられました。

そんなことよりも「隆房」の少将という方のお名前のほうが気になってしまいますけれど……。「隆房」少将(のち大納言)は平清盛の婿です。巻六「小督」で恋人だった女房が高倉上皇の思われ人となってしまい、仲を引き裂かれた物語が書かれています。かなりの風流人といった印象で、実際、歌人として『隆房集』という本も残されています。

高倉上皇御幸については、滝宮神社の記事もご参照くださいませ。⇒ 関連記事:滝宮神社

ミルイメージ画像(涙)
ミル

偉い人に恋人をとられちゃうなんて悲しすぎる……。しかし、『隆房集』なる本のタイトルを初めて見たとき、そういう本が出ているのかと思ってしまったよ。まさかと思ったら当然、別人でした。

陶入道イメージ画像
陶入道

?(← 俗名が『たまたま』同じ)

「有浦客船」

有の浦には多くの船が行き交ったことから、「有浦客船」として「厳島八景」に選ばれています。この場所に多くの船が停泊する光景を「美しい景色」と見なしたのですね。イマドキ的に、大量の船が停泊している様が美しい光景と見なされる感覚がちょい理解できませんが。当時は船というのは麗しいもの、という認識だったんでしょうか。壮観である、という意味では現在でもたくさんの船が停泊しているさまは圧巻だとは感じます。

有の浦海岸・みどころ

有の浦の場所ですが、だいたい石鳥居の付近、「二位殿灯籠」が有の浦にある、となっていることからそれらを参考にこの辺りかなと思って眺めていました。地図にはきちんと載っているのですが、現地に「ここより有の浦」のような看板が立っていたりはしないため、正確なところは分りづらいです。地元の方にお伺いすれば確実と思うのですが。いちおう、つぎのような「証」を見付けました。

有之浦陸閘

有之浦「有浦陸閘」

この「陸閘」というのが何なのかわからなくて、検索したら山と出てきました。津波とか高潮の被害から人々を守るため、万が一の時には閉鎖されるゲートみたいなものらしいです。地方自治体様のホームページなどに載っています。

何なのかわからない状態で撮影してしまっていましたが、これって「みどころ」に入れていいんだろうか……。「有之浦」という地名が確認できて大喜びだったのですが。世の中には全国の堤防を見て回っている方もおられると思いますし、災害から守ってくれる大切なものです。

二位殿灯籠

源平合戦で、安徳天皇を抱いて壇ノ浦に身を投げた二位の尼のご遺体は、有之浦に流れ着いたそうです。ご供養のために、阿弥陀堂が建てられ、のちに、神泉寺と呼ばれる寺院となりました。神泉寺は明治時代に廃寺となってしまい、現在は跡地に石碑が残るのみです(未見)。

有之浦「二位殿灯籠」

二位殿については清盛神社の記事もご参照くださいませ。⇒ 関連記事:清盛神社

「特別史跡および特別名勝石碑」

有の浦「史跡名勝厳島」碑

厳島は大正十二年(1923)に特別史跡および名勝に指定されました。この石碑はそれを記念して昭和六年(1331)に建てられたものです。石碑じたいが年代ものとなり、大切にされています。

上卿雁木

有の浦海岸「上卿雁木」

一般庶民ではなく、身分のある方々(勅使代行、上卿)が厳島神社のイベントに参加する時には、ここから上陸しました。明治維新までは使われていたということで、石段が残されています。ちなみに「雁木」とは階段のことです。

これ、なかなか見付けられることができなくて(むろん、何度も脇を通っていたわけですが、気付いていない……)、いったいどこにそんな階段があるのだろうか? と最終的に場所が判明するまで数年かかりました。毎度のことながら、権威ある本(たとえば『宮島本』)をよく見て確認するという作業を怠っていたためです。テキトーにそこらの階段と思って見回していたり、手当たり次第写真に撮っておく、などの方法はすべて無駄でした。最初からきちんと「見る」ということが結局は一番の近道なんですね。

有の浦「上卿雁木」(2)

これらの、ちょい色が濃くなっている石(コンクリートみたいな白色ではないものです)はそれなりに年代モノです。すくなくとも数年前に新しくした、というようなものではありません。地元の方にお伺いして、これが上卿雁木であることを確認した際、石についてのご案内も拝聴しました。平清盛や毛利元就の頃からの石なのかどうかまではわかりませんが。少なくとも、この雁木が現役で使われていた時代の遺物であることには間違いありません。ただし、長い間には修繕も必要となるでしょうから、すべての石が均一に同時代のものであり、何年何月からのものであるか、などは専門にこの石を研究しているわけではありませんから、わかりません。

たとえば、下の写真をご覧になればわかりやすいですが、色が変っているところがありますよね。このような部分は修繕されて、別の石になっている可能性が高いです。

有の浦「上卿雁木」(3)

ついでにひとこと、ワンポイント。この階段の写真、一番上のものはほかの観光客の方の写り込みがなく、キャラ画像で隠すメンドーな作業要らずですが、下のものはたいへんなことになっています(キャラ大量にいてよかった……)。この違いはどこから? と言いますと、「時間帯」です。上の写真は朝一フェリーで来島。下は普通に厳島神社もロープウエーも開門、開通している時間帯です。これでも平日昼間ですので、まだマシなほう。日曜日にご訪問した際には、階段なんて埋もれておりました。

海岸通り

有の浦沿いの道を「海岸通り」と呼びます。つまりは二位殿灯籠などが立っているのもすべてこの通りということになります。宮島桟橋を出たらまずは厳島神社へ向かう人ならば、普通は無意識のうちにこの道を通っている、というわけです。この通り沿いに店舗をかまえておられる商店もあります。

宮島・海岸通り

このゲートから先に(手前にもあるけど)あれやこれやの美味しいお店が続きます。厳島神社へと続く道ゆえ、つねに人でごった返しています。ことに、「日本三景 宮島」と書いてある石碑前で記念撮影をしている方々多し。これは早朝時間帯なので、奇蹟のようにすいていました(お店がまだ準備中……)。

海岸通りから望む厳島神社のお姿は美しく、撮影にもってこいの場所が多々ございます。

海岸通りからみた大鳥居(修繕中)

上は鳥居がまだ工事中の時に砂浜から撮影。作業用に覆われたお姿を見ても、何なのかよくわかりませんので、ちょい近付いて撮りました。そして、そして、下は工事完了後の光景です。

有の浦から見た大鳥居

石鳥居

御笠浜・石鳥居

厳島神社参道にある石鳥居です。この鳥居がある付近を「御笠浜」といいます。この先、塔の岡、厳島神社と皆、「御笠浜」って書いてあります。ここから地名が御笠浜に変るのか、有の浦のこの付近を御笠浜と呼ぶのかわからなくて困っていますが(何となく前者が正解と思うのですが)。検索すると浦と入江はどう違うのかとか、浦って何? って山とでてきますが、浦と浜の違いは誰もが知っているからなのか、検索してもでてきません。今しばらく、保留とさせてください。

附・鹿に襲われないように注意しましょう

鹿に纏わり付かれます

宮島の鹿は基本おとなしいですが、「可愛い」と興奮する観光客のお姉さんらに溺愛されすぎたせいか、最近はやたら人になつき、すぐ傍まで平然と近寄ってきます。鹿の「目当て」は食べ物。無造作に放置した荷物を鼻でひっかきまわされたり、背後を気にせずにいたらリュックサックに引っ付いてきたりしています。気を付けましょう。

ミルイメージ画像
ミル

(五郎ったら、やたらベタベタして気持ち悪い……。嫌いな相手じゃないから実はドキドキしたりするんだけど、ちょっと生暖かくて変な感じ……)あのさ、暑いからあまり引っ付かないでくれるかな?

五郎イメージ画像(怒)
五郎

はぁ? 俺はこっちにいるけど?

ミルイメージ画像
ミル

何やらそれは生暖かく、ミルのリュックサックにへばりついている感じだった。ラブラブカップルになって欲しい人は目の前にいる……ということは、いったい何者が!?

鶴ちゃんイメージ画像(怒)
鶴ちゃん

お前、鹿に襲われているぞ。

ミルイメージ画像(涙)
ミル

ぎゃあーー!! 嘘でしょ!?

鹿はミルのリュックサックを「舐めて」いたのである。一行はちょうど海岸通りの浜辺で休憩中だった。付近でも「鹿に襲われている」人々を多数目撃しており、中にはまったく気付かぬままに鹿に荷物の中身を荒らされている外国人観光客も(言葉が通じないので、教えてあげることができなかった)。

鹿の目当てはミルが手にしていたソフトクリーム。郷土史の先生にごちそうしていただいて、クリームだらけになって午後の一時を満喫していた矢先のこと。なんだか纏わり付かれているなぁ……と思ったけれど、まさか「鹿に」とは思わず。

観光客の数が増えたためか、下の看板にある注意書きを守らない人もいる模様。何かを食べさせてもらった経験値があるのか、人々が手にしたソフトクリームそのほかの食べ物に平然と近寄ってくる。中には追い払っても追い払っても纏わり付かれていたり、荷物を背後に置いて砂浜で休憩中の人が、食べ物を探す鹿によって鞄の中を荒らされてもまったく気付いていなかったり、ちょっと驚きの光景がそこここで見られた。

うぐいす歩道「鹿にエサをやらないでください」看板

宮島の鹿は大人しくて、人になついている。けれども、どこぞの公園の鹿は鹿せんべいに群がって、観光客を襲っている、というようなことをどこかに書いた。地元の方にお伺いしたのだが、なんと、宮島でも以前は鹿せんべいを売っていたそうである。奈良公園と同様の被害が多発したため、せんべいの販売は中止。観光客の人たちにも「エサはやらないでください」と注意喚起を徹底し、やっと鹿の被害は減ってきたところだったらしいのだが。

纏わり付かれても「可愛い」と興奮している人も少なくない。微笑ましい光景ではあるが……。なんのかんの言っても鹿は野生動物。神経質な人だと野良猫一匹でも近寄ると悲鳴をあげるが、鹿と人とが仲良しの宮島だとそうはならないことが多い。けれども、じつは神経質な人の対応が正解。野生動物である以上、どんな病気をもっているかわからない。手を触れたり、過度に接触するのは危険。「舐められた」後は気になって、全部消毒したけれど、それは旅行が終わってから。旅の途中ですべて洗濯することも無理なので、数日間は同じリュックサックを使うほかなかった。

鹿は島中どこにでもいるし、被害はどこで起ってもおかしくない。けれども、山の中などに隠れ潜んでいる個体(群)は人の姿を見ると逃げていくことが多い。桟橋から厳島神社に至るまでの参道、ことに海岸通りなどは被害に遭いやすいので、気になる人も、平気な人も、身の回り品には気を付けましょう。なかなかに得難い経験だったが、貴重な証拠写真はなし。だって、スマートフォン喰われてしまいそうな勢いだったので……。思い出したくないです。

有の浦海岸(宮島)の所在地 ・行き方について

有の浦海岸の所在地 & MAP

所在地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町1185−10

アクセス

宮島桟橋前広場から海沿いに厳島神社へ向かって歩いて行くと、その右手に見える海岸です。

参照文献:『宮島本』、『平家物語全訳注』

20230621「上卿雁木」の写真を追加しました。そのほか、「鹿による被害」についても加筆しました。

有の浦海岸(宮島)のまとめ & 感想

有の浦海岸(廿日市市宮島町)・まとめ

  1. 宮島桟橋前から厳島神社に向かう海岸線に、昔の人々の船着き場だった「有の浦」がある
  2. 「有の浦」は高倉上皇や二位の尼など、『平家物語』でおなじみの人々ゆかりの地
  3. 上卿雁木、二位殿灯籠、「特別史跡および特別名勝石碑」などがある
  4. 宮島の鹿は人になついており、愛らしいが、最近は「纏わり付かれる」被害に遭っている人が目立つ。追い払っても逃げなかったり、荷物の中身をコッソリ引っかき回しているのは食べ物を探しているから。鹿を大切に守ることと甘やかすことは別物です。エサやりは鹿のためにもよくないのでやめましょう

有の浦はかつての「船着き場」ということですが……。じつは具体的にどのあたりを指すのか、イマイチわかっていません。そもそも、船を着けられる場所はここだけではなかったはずで(大元浦に陶軍上陸したわけだし)。けれども、「厳島八景」にも選ばれている名所だったわけなので、常に多くの船が行き交っていたのでしょう。おそらくは一般庶民の間にも広く厳島詣が流行した平和な時代の光景なのだろうな、と思いました。

高倉上皇にまつわるお話は『平家物語』の中でもかなりのページ数を占めており、軍記物の中にあって王朝文学の香りがするエピソードが満載なんですが、「厳島御幸」と「還御」は紀行文みたいで、これまた興味を引かれる部分です。ことに、厳島が好きな人にとっては絶対に外せない……。それと同時に、壇ノ浦から遙々と平家一門ゆかりの厳島神社付近まで流されてきた二位の尼のお話にも涙するのでした。

海岸通りにはとっても美味しいソフトクリームを売っているお店があるのですが(というよりも宮島のソフトクリームはどこで何を食べても美味しい)、ここしばらくは感染予防のマナーとして食べ歩きは御法度ですから、寂しい限りです。ほかの観光地では食べてしまったケースもありますが(付近にほかのお客さまがどなたもおられなかった)、宮島はとにかく人だらけなので、その辺り人気があって嬉しいと同時に「混んでる……」となりますね。

こんな方におすすめ

  • 『平家物語』が好きな方
  • 宮島や厳島神社が好きなすべての人

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎イメージ画像
五郎

ただの海にもあれこれの歴史や逸話があるんだね。何度も来ていたのに、まったく意識していなかったよ。

ミルイメージ画像
ミル

そうだね。一度目は見るだけで精一杯。これからはもっとあれこれ勉強していこうね。

腰少浦神社付近での記念写真
廿日市・宮島旅日記(含広島市内)

五郎とミル(サイトのキャラクター)が広島県内を観光した旅日記総合案内所(要するに目次ページです)。「みやじまえりゅしおん」(宮島観光日誌)、「はつかいち町歩き」(廿日市とたまに広島市内の観光日誌)内それぞれの記事へのリンクが貼ってあります。

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