みやじま・えりゅしおん

御山神社(広島県廿日市市宮島町)

2022-11-10

御山神社・入口にて

広島県廿日市市宮島町の御山神社とは?

御山神社は弥山山頂付近にある厳島神社の境外摂社です。御祭神は本社と同じ、市杵島姫命、 田心姫命、湍津姫命の三女神さまとなります。創建は平清盛が厳島神社本社を建てた時、その「奥宮」としたと伝えられていますが、事実はどうあれ、往時の社殿は平成時代に台風で壊れてしまいましたので、現在あるものは再建物です。

なお、この場所にはもともと「三鬼堂」があり、明治時代に御山神社に改められました。現在、三鬼堂は弥山の山頂に移っています。

御山神社・基本情報

鎮座地 〒739-0588 廿日市市宮島町
ご祭神 市杵島姫命、 田心姫命、湍津姫命
例祭日 二月一日
厳島神社の奥宮、境外摂社

御山神社・歴史と概観

厳島神社の奥宮

平清盛公が厳島神社を建立した際に、「奥宮」として造営したと伝えられています。三棟の本殿が「品」の字型に並んでおり、それぞれに宗像三女神さまをお祀りしています。一つの社殿に一柱の女神さまをお祀りしているため、三つの社殿があるのです。

市杵島姫命イメージ画像
市杵島姫命

わたくしがこの島に天降った場所として、古来より人々によってお祀りされてきました。神武天皇即位ののち、姉と妹も祀られるようになった、という言い伝えがございます。(参照:『厳島大合戦』)

かつては三鬼堂だった?

『宮島本』にはつぎのような記述があります。

「ここにはかつて三鬼堂があったが、明治初期に御山神社になった」(御山神社解説文)
「江戸時代には現在の御山神社が三鬼堂であったが、明治初期に御山神社になったため、ここに新たにお堂が建てられた」(三鬼堂解説文)

これをどのように解釈すべきか、非常に悩みました。三鬼堂が明治初期に御山神社に変ったのは、神仏分離のためかな、と思うのですが、それにしては現在の御山神社の社殿は完全なる神社の社殿です。三鬼堂が御山神社になった、ということなので、そのまま建物等を使い続けお祀りしている神様だけが変ったように読めるのですが。

そういえば、全国津々浦々の神仏習合していた神社は、神と仏が分かたれ、純粋な神社となった後はどこも完全なる神社の姿になっています。それらの神社もおそらく、神社に変るにあたって、建物を造り替えたのですよね? まさか、三鬼堂が現在のこのお姿であったとはちょっと考えられないんです。

神社のご由緒だと、平清盛の頃に建てられたなどとありますので、その頃、すでに三鬼堂もここにあって、二種類の建物となったのか、習合して一つにまとまったのか、ちょっと混乱しました。あるいは、御山神社があったところに後から三鬼堂が建てられたのでしょうか。悩み始めるとキリがないので、過去は過去のこととして、現在はここに御山神社、弥山山頂に三鬼堂がある、ということで落ち着くほかないようです。⇒ 関連記事:三鬼堂弥山

弥山登山ルート上に存在

どこの神社さまでも、「奥宮」は奥まった場所にあるのが普通ですが、御山神社も弥山の山頂近くにあります。ゆえに、厳島神社に参拝したのち、ちょっと寄り道して立ち寄る、ということはできません。登山でもロープウエー使用でもかまわないので、いずれかの方法で弥山の山頂まで行かなければなりません。

登山の方ならば、山頂まで行かずともわずかに手前に御山神社がある感じとなります(紅葉谷コースを除く)が、ここまで来て弥山山頂まで行かない方もまさかおられないでしょう。歩くのは嫌いなのでロープウエーを使い、どうにかこうにか弥山の山頂までは歩いた、という方ですと、さらに歩くのはたいへんかもしれません。ですけれど、たいてい山頂まで来たら、ロープウエー派の方でも仁王門くらいまでは行かれると思いますので、ちょこっとだけ寄り道してください。

弥山山頂地図

① が弥山本堂、② が不消霊火堂、⑨ が仁王門となります。御山神社は ⑧ です。途中に分岐点の順路看板が立っていますので、それを見たら恐らく疲れなど吹っ飛んでしまい、行ってみたい、となるはずです。
※弥山山頂については ⇒ 関連記事:弥山

御山神社・みどころ

厳島神社や五重塔はじめ、宮島のシンボルカラーみたいになっている朱色の社殿が麗しいとってもお洒落な神社です。単にお社が三つ並んでいるだけだ、などとパスしてしまうのはあまりにもったいないです。なお、高台にあるため、展望はよく、瀬戸内海を見下ろす絶景に溜息となります。

二の鳥居

御山神社・二ノ鳥居

大元公園へ向かっていたはずが、朱色の鳥居と「御山神社」を指し示す順路矢印を見たら、左折しないではおられなくなりました。元より、一度しか参拝したことがなく、もう一度行きたいと願ってはいました。けれども、一度目は地元のガイドさんがお連れくださったので、ひとりでは行き方がわからないだろうと思っていました。でも、普通にわかるので、何の心配もありませんでした(探さずとも、勝手にお姿を表わしてくださった感じですので)。

分岐点

御山神社・登山ルート分岐点

至る所に順路矢印があるため、とても心強いです。以前からこのような看板はありましたが、来る度に数が増えて、よりわかりやすくなっているように思えます。地元の皆さまが我々観光客のために、日々整備を怠りなく行なってくださっている証拠ですね。この真新しい順路矢印も以前はなかったような……。弥山と大聖院が同じ方角になっていることから分る通り、これはすでに、御山神社に向かう道に入ってしまってからの看板です。

なので、正確にいうと、分岐点にある看板ではありません。ですが、もしも大聖院や弥山へ向かっている人がこちらに入って来てしまっていたら、ここは御山神社に向かう道ですよ、弥山は向こうです、という注意喚起ともなるので、とても親切です。

残念なのは地元の方々のご配慮にも限界があり、看板の設置が進んでいない場所もある点です。なので、どこに行っても看板があるので、絶対に道には迷わない、という思い込みは危険です。

一の鳥居

御山神社・一ノ鳥居

早くも麗しい社殿のお姿がチラ見え。こちらの石鳥居、こんなに立派なものだったんですね。初めて来た時には気付きませんでした。先を急いでいたのに寄り道したため、ここまで駆け足で来てますが、山道なのでそれなりキツいです。

※一の鳥居、二の鳥居というような区別、名称の付け方は、神社によって違うそうです。基本は社殿に近いほうが一の鳥居ですが(二つ以上あるところももちろんあり)、まれに反対となっている神社さまもあるのだとか(現在典拠が思い出せず、すみません)。御山神社の鳥居がそれぞれどのようなお名前で呼ばれているのかはわかりません。コチラは、Googlemapで確認して名称をわけましたが、神社さま公式アナウンスはわかりません。

手水鉢

御山神社・手水鉢

『宮嶋本』によれば、かつてここが三鬼堂であった江戸時代の頃の「水盤」が、今も残っているそうです。宝暦二年(1752)の銘があり、その頃から広く信仰されていたことがわかるとか。「水盤」と「手水鉢」の違いもわかりませんし、年期銘も見付けられませんが、神社の入口にあったものです。

本殿

御山神社・社殿

三棟のご本殿はこのように並び立っています。この写真からはよくわかりませんが、厳島神社さまHPによれば、これらのご本殿は「大きな巌の上の僅かな平地」に建てられているのです。残念ながら、平成三年(1991)の台風19号の被害によって社殿は「全壊」。現在見られるものは再建物となります。

本殿(中央)

御山神社・本殿(中央)

三棟あるうちの中央のご本殿は、市杵島姫命さまをお祀りしています。その左が田心姫命さま、右が湍津姫命さまのご本殿となります。ご本殿はいずれも「一間社流造、丹塗り、檜皮葺」という建築様式です。

中央本殿は左右の本殿より、「稍大きく」なっているそうです(厳島神社HP)。また、下に石が積んであるのがお分かりでしょうか? HPには「小高い石の上にある」とあります。また、大きさについてですが、同じくHPにはどのお社も「桁行一間、梁間五尺余」と書かれています。つまり「五尺余」の「余」のところがその差分になるのだと思います(本当に、『稍』の差違なんですね)。

御山神社本殿(中央)2023

先の参拝時には、ご本殿下の石積みなど気にかけていませんでした。二度目のご訪問ではそこに注意して、全体像を収めてみました。HP にある通り、下が「石」であることもこれだとよくわかりますね。マジ「石の上」とか驚きです。

本殿(右)

御山神社本殿(右)

※参拝者ではなく、神さま(市杵島姫命さまの中央ご本殿)から見て右側にある本殿、の意味です。

本殿(左)

御山神社本殿(左)

※同じく、参拝者ではなく、神さま(ご本殿)から見て左側にある本殿、の意味です。

五郎イメージ画像(怒)
五郎

右と左、どうなってるんだよ? 左右でお祀りされている神さまが違うから、どっちがどっちかはっきりさせたい。ミルの説明だと俺から見たら左右反対だし、わけわからん。

ミルイメージ画像(涙)
ミル

こういう場合、神さまから向かって右、左というふうに考えるのがフツーだと思うの。その意味で、この左右はミルたち参拝者からではなく、本殿の市杵島姫命さまから見ての左右だと思ふ。あれこれ調べたんですが、どなたも「左が田心姫命」「右が湍津姫命」としているから(逃げているのか、当たり前すぎて書いていないのか不明)、どっちがどっちなのかをミルが決めることはできません。

展望と「土器投げ」

『宮島本』によれば、御山神社の「東側は絶壁」で、「厳島海峡を見渡す」ことができる、といいます。ですので、見えている海は厳島海峡であると思われます。

御山神社・展望

御山神社・展望2

本にも書いてありましたが、この断崖絶壁からかわらけを投げていたのだと、ガイドさんが教えてくださいました。何のため? と思いましたら、本には「 風に舞うさまを見て楽しむ遊び」とあります。「風に舞うさま」を見るだなんて、いかにも雅な遊びを行なうことが流行していたのですね。感心すると同時に、崖下がかわらけだらけになってしまうんじゃないだろうか? と無粋なことを考えてしまいました。

御山神社・展望

こんな感じの「断崖絶壁」です。駒ヶ林より怖くなかったので、かなり先まで行って海を見下ろすことができていますが、それでも写真の画面に岩が写っているのは最先端まで行けていない証拠です。こんなところから、かわらけ投げをしたら、自らも落ちてしまいそうで、やはりちょっとだけクラクラしました。

御山神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について

御鎮座地 & MAP

御鎮座地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町
※Googlemap に載っている住所です。

アクセス

弥山山頂付近にあります。山頂から仁王門に向かう途中で左折します。仁王門まで行く道は二本ありますが、二本目の道を左折です。心配しなくとも、分岐点には順路矢印看板がついていますので、「御山神社」と書いてある道を左折してください。特に迷い込むような道はないですが、要所要所にある看板でいちおう正しい道を来ているかどうか確認しながら行くと安心です。

弥山まではロープウエーで来るか、登山道を使うかですが、歩きたくない方は御山神社での参拝を終えた後、もう一度弥山山頂に戻ってロープウエー駅に行かなくてはなりません。元来た道を戻りたくはない場合、仁王門を抜けると大聖院か大元公園かどちらかの下山ルートが選べます。どちらを選ぶかはお好みですが、下りていく途中に見ることができる景色や観光資源などが異なりますので、事前に調べておいてくださいませ。

なお、大聖院か大元公園に行かないと桟橋には戻れません。この二つのルートのほかに、奥の院と駒ヶ林へ行く分岐点もあり、どちらの行き先もおすすめですが、どちらも「寄り道」となります(奥の院のほうは、桟橋への戻り方があるように思いましたが、ガイドさんのご案内があった時の記憶ゆえ、定かではありません。観光協会さま公認の下山ルートは大聖院、大元公園、紅葉谷公園へ向かう三ルートです)。一時にすべてを見ることも、体力に自信があり、時間もじゅうぶん取れるのであれば可能ですが、あまり欲張らないほうがいいかとは思います……。

参照文献:厳島神社さまHP、『宮島本』、『厳島大合戦』、案内看板

御山神社(廿日市市宮島町)について:まとめ&感想

御山神社(廿日市市宮島町)・まとめ

  1. 厳島神社の境外摂社。御祭神は本社と同じ市杵島姫命、 田心姫命、湍津姫命
  2. 一つの本殿に一柱の女神様をお祀りしているため、三つの本殿がコの字型に並び立っている
  3. 平清盛が厳島神社本社と同時期に、奥宮として建立したといわれている
  4. 平成時代に台風の被害に遭って倒壊したため、現在あるものは再建された社殿
  5. かつて、この場所には三鬼堂があり、明治時代初め頃に御山神社に改められた
  6. 弥山の山頂付近にあるため、眺望が素晴らしく、遙かに厳島海峡を見渡せる絶景を堪能できる

弥山の山頂は寺院、お堂系の荘厳な観光資源がメインである中、この御山神社は朱色の社殿も艶やかな麗しい神社として、すさまじい存在感があります。浦々の神社も素晴らしいですが、山頂に鎮座する奥宮もまた格別です。本社の朱の大鳥居から始まって、本社社殿も、五重塔もみんな朱色。なんだか宮島のシンボルカラーになっていて、この色を見るたびに萌え萌えてしまいます。

かつて地元の方から、宮島の五重塔の麗しさにあまり感激しない人がいて不審に思ったところ、山口県の方で、瑠璃光寺の五重塔こそが日本一です、と仰ったとか。そりゃ、瑠璃光寺の五重塔と宮島の五重塔どっちがどっち? って聞かれても、どっちもそれぞれいいです、としか言えませんよ。日本全国どれだけの五重塔があるのかわからないけど、どこも皆さん地元のが一番でしょう(瑠璃光寺資料館に行けば、日本中の五重塔のことがすべてわかってしまいます。ちょっと宣伝しちゃいました)。でもさー、やっぱり、朱色がいい!! 絶対いい!!

五重塔は置いておいて、宮島カラーのこの御山神社、閑静な山の中に、麗しい三つの社殿がそっとご鎮座なさっておられて、もうどうにでもしてください、って感じです。……というようなことなので、本文中に書いた「元は三鬼堂だった」というお話がよくわからないんです。三鬼堂もまた魅力的で、リピート必至な場所となっていますが、あのお堂が朱色に塗られていたりしたらびっくりですよね。なので、単に「跡地」に新しく女神様の朱色の御殿を造った、というならわかるんですが、元は三鬼堂として使われていた朱色の御殿がそのまま御山神社として使われるようになった、というのがとても不思議。ただ、三鬼堂も「三」鬼を祀っておいでなので、「三」女神と数が等しく、あるいは、三つの社殿が並び立つ構造って、それをそのまま踏襲しているんだろうか、と考えたりもしてしまいます。

こういうことは、ガイドさんとご一緒した時に考えるべき問題でした。その場ですぐにご教授いただけたのに。なんで、その場ではうわー綺麗な社殿ーで終わってしまい、帰宅したから何年もの間悩み続けているのか。この妙なこだわりと、専門家の前では何一つきちんと質問できないトロさ、なんとかならないかな……。

こんな方におすすめ

  • 厳島神社の摂社&末社を回っています
  • とにかく宗像三女神が好きなんです

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎イメージ画像
五郎

女神様ばかり三人もお祀りされているなんて。一番の美女は市杵島姫命さまだっていうけど、ほかのお二人も仙姿玉質に違いない。沈魚落雁、羞花閉月とはこのような方々を言うんだ。俺、こういう神社大好き。

ミルイメージ画像(怒)
ミル

あのね、宗像三女神をお祀りしている神社は全国に数え切れないほどあるんだよ。一生かかっても回りきれないよ。それから、こういうときだけヘンテコな四字熟語使わないでね。

腰少浦神社付近での記念写真
廿日市・宮島旅日記(含広島市内)

五郎とミル(サイトのキャラクター)が広島県内を観光した旅日記総合案内所(要するに目次ページです)。「みやじまえりゅしおん」(宮島観光日誌)、「はつかいち町歩き」(廿日市とたまに広島市内の観光日誌)内それぞれの記事へのリンクが貼ってあります。

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