陶のくに風土記

龍豊寺(周南市大道理)

2022-10-28

龍豊寺・寺号碑

龍豊寺・基本情報

住所 周南市大字大道理門前1291
電話 0834-88-1764
最寄り駅 徒歩:大道理バス停(徳山駅から40分)下車、車:徳山駅から25分
山号・寺号・本尊 万年山・龍豊寺・釈迦如来(華厳釈迦牟尼仏)
宗派 曹洞宗
龍文寺末寺(四門主・後見三ヶ寺)

龍豊寺・歴史

創建は文亀元年(1501)三月、開山は龍文寺六世・春明師透。陶弘護夫人・益田氏 (法名:龍豊院咲山妙听、益田兼堯の娘)が、夫の菩提を弔うために建立した。弘護の法名は、昌龍院だけれど、昌龍院という寺院がどこにあるのかは不明である。近藤清石先生は『大内氏実録』の中で、この寺が元の昌龍院で、夫人が大永五年(1525)九月二十六日に亡くなったあと、夫の菩提寺に葬られ、夫人の法名が龍豊寺咲山妙听といったことから「一寺二名の菩提所なりしが、遠きものは日々疎しの習にて、昌龍院の名自ら隠滅せしにはあらじ歟、猶よく考ふべし」と書いておられる。

夫人の墓は寺外の畠の中にあるという。

永禄二年(1559)以降、毛利元就・輝元はじめ、毛利家も寺領と住持職を安堵し、正徳四年(1714)に現在の場所に移築・再建された。

寺宝として、以参周省が画賛を書いている弘護の肖像画がある。なお、『周防国と陶氏』によれば、弘護肖像画は、元々陶氏の菩提寺・龍文寺にあったものが、龍豊寺に移されたのではないか、と書かれていた(龍文寺にあったら、焼失してたかも)。(以上、参照:『徳山市史』、『周防国と陶氏』)

龍豊寺・みどころ

「絹本著色陶弘護像一幅」:国指定重要文化財。縦80・5センチ、横38・2センチ。「直垂を着して端坐する彼の剛毅な容貌を良く表している。」(『山口市史 史料編 大内文化』)陶弘護の三回忌にあたる文明十六年(1484)に描かれた肖像画。雪舟の作品といわれている。雪舟と親交のあった禅僧・以参周省による画賛も史料的価値があるとされ、絵画ともども貴重なものである。周南市美術博物館でレプリカが常設展示されている(202003現在)。

本尊:華巖釋迦佛一尺二寸 慶雲の作、御開山木像、毛利就隆、輝元花印(参照:『山口県寺院沿革史』

ミルイメージ画像
ミル

城主さまの肖像画は、美術館のHPなどで見ることができます。正直、こんなおっさん画像は本人とは似ても似つかないと思いますけどね。まあ、昔の絵というものは、現在のように写実的じゃないので、イケメン画像を期待する人はご覧にならないでください(歴女の戯言、ご無礼いたします)。

五郎イメージ画像(怒)
五郎

ミルはまた、祖父さまの供養塔を見ずに帰ってしまったんだ。いい加減にしろ。ところで、興明伯父上の供養塔もあるってことだけど、この人の供養塔っていったいいくつあんの? 海印寺でも見たけど。同じ伯父上でも扱いがヒドい違いだ。

宗景イメージ画像
宗景

どうせ、俺は「謀叛人」として歴史から抹消されている。供養塔なんぞあってもなくても同じだ。お前の供養塔とて……

五郎イメージ画像(涙)
五郎

そういえば……。周南市内には、俺の供養塔ってないみたいだね……。

山門

龍豊寺山門

 

雪がちらついているのがご覧いただけるでしょうか? 訪問時は三月でしたが、寒い一日でした。

本堂

龍豊寺本堂

 

山門も本堂も手入れが行き届いて、とても新しい印象です。そもそも、毛利家の時代に寺地も改められたので、当時を偲ぶものは何も残っていないかも知れません。

もっとも貴重かつ、たいせつな文化財が弘護画像となりますが、現在寺院内で見ることはできませんので、周南市美術博物館にも立ち寄りましょう(※じつは、山口県の郷土史にはたいてい画像が口絵としてカラーで載っていたりしますので、図書館でも見ることが可能です)。

付近の風景はとても長閑で心地良く、時間が経つのを忘れます。周南市に来たら、忘れずに立ち寄ってくださいね。

陶弘護供養塔

龍豊寺・陶弘護供養塔

 

二回目の訪問にてきちんとお参りできました(20221224追記)。これは完全にピカピカのイマドキ製であり、中世から残るものではありません。昌龍院さまのお墓もどこかに必ずある(あった)はずですが、今は行方不明です……。そのかわり、地元の方々がその功績を追悼して造ってくださった、こんなに立派な供養塔があります。

元々のお墓がどこにあるかわからないのは悲しいですが、数百年後の人たちからもこのように慕われて、ご供養されておられることは素晴らしいことですね。

なお、御父上の供養塔と並んで、ご子息・興明さんの供養塔があります。こちらは、お亡くなりになった時代から伝えられてきた宝篋印塔です。別のところであらためてご紹介いたします。

供養塔のある場所

駐車場の上です。墓地の中に普通にあるので、けっこう見つけづらいため、見落とさないように注意深く探してください。新しくて立派すぎるので、地元の方々のお墓だと思って通り過ぎてしまいます。見つけることができれば、手前に「陶弘護・興明供養塔云々」の石碑がきちんとあります。しかし、これはあくまでも「確認用」でして、順路矢印や大きな看板などは一切ないです(興明供養塔のほうは年代物なので、それを手掛かりに気付いてもよさげなんですが、こちらにも看板など一切なく、小さめなので気付きにくい)。

龍豊寺写真集陶弘護肖像賛・私訳

ミルイメージ画像(涙)
ミル

本家と比べて、陶のくにでお墓がはっきりしている人って、本当に少ない……。そう考えると洞雲寺のあれも、そうだとわかるだけマシなんだろうか……。

五郎イメージ画像(笑顔)
五郎

墓探しはいいから、先へ進もうぜ。五百年も経てばイマドキの墓だって、もうなくなってるよ。

ミルイメージ画像(涙)
ミル

……(あるんだよ、君のは……五百年近く経ってもきちんと……)

アクセス

徳山駅からタクシーを使いました。「大道理」バス停と書いてあるので、バスも使えると思いますが、いずれも徳山駅からはそうとう時間がかかります。

参照文献:『山口市史 史料編 大内文化』、『大内氏実録』、『山口県寺院沿革史』、『徳山市史』、『周防国と陶氏』、文化財説明看板

龍文寺山門(常楽門)前記念撮影
周南旅日記(陶氏ゆかりの地)

陶のくに関連史跡総合案内。要するに目次ページです。

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