関連史跡案内

防府天満宮

2020年10月8日

防府天満宮梅園の梅・説明看板

山口県防府市の防府天満宮とは?

天神様=菅原道真を祀る神社。延喜四年(904)創建で、日本で最初の天満宮とされる。大宰府に左遷された道真は、九州に向かう途中、この地にいた親戚のもとに立ち寄った。道真が亡くなった時、瑞雲がたなびいたので、社殿を建ててその霊を祀ったという。もとは松崎天満宮とよばれていた。北野天満宮・太宰府天満宮と並び、日本三天神のひとつ。

防府天満宮・基本情報

鎮座地 山口県防府市松崎町14-1
祭神 主祭神:管原道真公、配祀神:天穂日命、野見宿祢、武夷鳥命
主な祭典 
歳旦祭(一月一日)、御正祭(三月三十一日)、金鮎祭(五月十五日)、御田植祭(六月三十日)、名越神事(六月三十日)、 御誕辰祭(八月五日)、御分霊式(九月下旬)、花神子社参式 (十月十日)、御神幸祭(裸坊祭、旧暦十月十五日に近い土曜日)、例祭(十二月五日)
社殿 本殿、幣殿、拝殿、楼門、回廊
境内神社 愛宕社、老松社・若松社、須賀社、貞宮 (明治天皇皇女貞宮多喜子内親王の遥拝所)
主な建物 参集殿、客殿(祈願受付所)、春風楼、大専坊、歴史館(宝物殿)、茶室(芳松庵)、文化財収蔵庫、太鼓堂、演舞場、紅梅殿、御神庫、手水舎、 おみくじ堂、暁天楼、 花神子調度館、東屋、灯明台、鳥居、注連柱、灯籠、狛犬、神牛、神馬、石碑(『扶桑菅廟最初』ほか)多数、瑞垣、社名標、十三重石造塔、紅梅塔、竜口手水鉢、白壁塀、忠魂碑ほか
特殊神事 釿始式
(一月五日)、弓始式(一月五日)、牛替神事(二月三日)、御籤上げ(九月中旬)
公式サイト https://www.hofutenmangu.com/
(参照:『山口県神社誌』)

防府天満宮・歴史

延喜四年(904)創建。天神様=菅原道真を祀る神社。

同じ菅原道真を祀る神社として、○○天満宮の由緒はどこもだいたい同じようなものとなる。しかし、同類の縁起といっても、それぞれの神社ごとに独特な部分がある。ことに、コチラ、防府天満宮の縁起は特別である。

『山口県神社誌』、防府天満宮様HP、防府市自治体様HPなどによれば、防府天満宮の縁起として、およそつぎのような話が紹介されている。

大宰府に左遷されることになった道真公は、九州へ向かう途中、勝間の浦というところに船を着けた。この時、周防国司だった土師信貞は、道真公と同族であった。身内ゆえということもあってか、信貞は道真公を歓迎してくれた。信貞の歓待とこの地が風光明媚であったことで、菅公の心も和んだ。そこで、「たとえ、九州の地で命を落とすことになっても、魂魄は必ずやこの地に帰るだろう」と、家宝の金鮎十二尾を信貞に託して旅立って行った。

延喜三年(903)、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山には瑞雲がたなびいた。驚いた信貞が、九州に使いをやって尋ねると、菅公がその日に薨去されていたことがわかった。人々は道真の霊魂が生前の願いどおり、この地に戻って来たのだと思った。信貞は菅公の御霊を祀り、 翌延喜四年(904)八月に、松崎の地に社殿を建てた。この松崎の社が防府天満宮の起源である。

周知のように、今ある全国の天満宮の類は、彼が怨霊となってしまったゆえにその霊を慰めるためのものである。だから、それらの天満宮と違い、道真公が亡くなっていち早く造られたこの社は、全国にある道真公ゆかりの神社の中で最も古いもの、とされている。北野天満宮・太宰府天満宮と並び、日本三天神といわれている。
  ※天神信仰一般についてのまとめはコチラ ⇒ 関連記事:天神信仰と大内家

人々の天神様に対する崇敬の念はとても広く深いもので、それは現代も変らない(受験の時、いきなり神頼みに行く人々まで含めて)。なので、古来より、じつに多くの人々がこの天満宮を信仰してきた。歴史上名高い人、時の為政者などもこぞって神社を崇拝した。多くの貴重な品々が寄進され、手厚い保護を受けてきた。

承安元年(1185)、周防目代・藤原前筑後守季助が金銅舎利塔を寄進。
文治元年(1185)、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経が凱旋の帰途、甲冑を寄進。
応長元年(1311)、国司・土師信定が松崎天神縁起を寄進。
建久六年(1195)、 俊乗坊重源が、本殿・楼門・廻楼を平安風に建て替える。
元徳二年(1330)、火災により炎上。旧記等も焼失。
正平十九年(1364)、大内弘世・義弘が本殿・拝殿・楼門・廻廊を重建(1364に本殿再建開始。1365年6月3日上棟、6月11日遷宮。天授元年(1375)8月10日拝殿再建、1378年、楼門、東西廻廊等再建)。
応永八年(1401)、大内盛見、三重塔、太鼓楼造営
 大内盛見は防府天満宮のために朝鮮から大蔵経を取り寄せた。
大永六年(1526)、火災により社殿のすべてを焼失。
享禄三年(1530)、大内義隆が造営釿始式を行い、十月に遷宮。
弘治三年(1557)、毛利元就は社坊・大専坊に「防長経略」の本陣を置いた。
 毛利隆元修築。
寛政元年(1789)、毛利重就が全社殿を重修造営。
文政五年(1822)、毛利斎煕が五重塔造建を発願し釿始式を行う。
天保二年(1831)、五重塔造建を断念(HPには『不慮の支障のため』とある)。
明治元年(1868)、 五重塔は一重塔として完成。
慶応三年(1867)、野村望東尼が参籠。七夜七種の祈願和歌を奉納。
 木島又兵衛が社内に駐屯所を置き、維新の志士たちが出入りした。
明治二年(1869)、社坊九寺が廃寺となる。
明治六年(1873)、松崎神社と改称(旧県社)。
昭和二十七年(1952)、火災により社殿・楼門を焼失。
昭和二十八年(1953)、防府天満宮と改称する。
昭和三十八年(1963)、本殿、拝殿、楼門修繕完了。

昭和、平成時代になっても、補修事業や記念祭などは絶えず行なわれている。参拝する人は引きも切らず、昔と変らぬ賑わいを見せている。

防府天満宮・みどころ

現在見ることができる社殿は昭和に入ってから再建された建物である。神社の歴史そのものが最大のみどころなのであって、それは数え切れないほどの社宝からも明らか。多くが指定文化財となっている。

国指定文化財:紙本著色松崎天神縁起写本・六巻(応長元年)、金剛宝塔(承安二年)、鎧唐櫃 (源平時代)、浅黄糸威鎧、 紫韋威鎧ほか一領(ともに源平時代)、大日如来座像(藤原時代初期)、梵鐘(文応元年)、松藤蒔絵文台硯箱(室町時代)、獅子頭(正平十年頃)、鼻高面(正平十年)
山口県指定文化財:紙本著色松崎天神縁起写本・六巻(文亀三年)、永仁年間以降の防府天満宮文書多数、元徳二年から明治初年までの大小行司職等差定文書・五一四点、石大鳥居(寛永六年)
防府市指定文化財:天神宮塔勧進帳軸(正元元年)、紙本墨書源氏物語 ・五十四帖(元和四年)、銅造鉢(文亀元年)

広い境内の中には、じつに様々な記念碑、石塔類がある。すべてを確認し由来を調べるのは困難に近いと思われる。半日かそこらでは無理であろう。樹木が多いことも特徴で、梅をはじめ数々の花がある。満開の季節に訪問すれば、梅園などを楽しめる。

社殿

防府天満宮・社殿

本殿 (流造銅板葺)、拝殿(入母屋造銅板葺)。創建以来、何度も火災に遭い、修築を繰り返して来た。現在の本殿も、昭和に入って火災によって焼失し、再建されたものである。

楼門

防府天満宮・楼門

銅板葺。

春風楼

防府天満宮・春風楼

文政五年(1822)、毛利斎煕は、五重塔の造建を発願し、大専坊で釿始式を行った。しかしながら、資金調達の途中、「不慮の支障」によって、工事を中断せざるを得なくなった。明治に入ってから、五重塔ではなく、楼閣様式に変更して建てられ、明治六年(1873)に完成した。五重塔建立の願いは叶わなかったが、楼の床下には、文政年間に使うはずだった「組物」が使われていて、その当時の面影もしのべる。また、この楼からの展望は「春風」のような絶景だという。(参照:説明看板)

神牛

防府天満宮の神牛

神聖なる使いとしての牛。複数体目撃。神牛だけではなく、神馬ももちろんある。

毛利重就公像

防府天満宮・毛利重就公像

長州藩七代藩主。「中興の英主」と呼ばれているお殿様。ご功績は多々あるが、産業振興につとめられたことが大きい。山口のガイドさんがおっしゃっていた、長州藩はあれこれと力を尽して産業を振興させ、明治維新の頃までに財政的に豊かになっていった云々のお話は、まさにこの方のことでは? 隠居されたあとは、三田尻に住んだといい、れいの御茶屋がその隠居所。そこで亡くなられたという。寛政元年(1789)には、松崎神社の全社殿を重修造営したというのだから、神社にとっても大恩人みたいな方である。

野村望東尼

防府天満宮・野村望東尼の像

維新で活躍したのはなにも、男性だけではなかった。女流歌人・野村望東尼は「勤王の歌人」で、倒幕の軍が出航するにあたって防府天満宮に七日七晩通って歌を詠んだという。となりには、その歌碑がある。高杉晋作が病になった時、彼を助けたために望東尼は流罪になってしまった。のちに、晋作に助けられた。

高杉晋作が下関で亡くなったとき、望東尼はたびたびその病床を見舞い、二人で詠んだ歌も歌碑に刻まれている。
 面白きこともなき世をおもしろく(晋作)
 すみなすものは心なりけり(望東尼)
「面白くない世の中を面白く生きるにはどうしたらいいのだろうか」という晋作に「そのように生きていくのは心の持ち方次第です」と望東尼が答えたという問答みたいな歌。(参照:説明看板)

梅園

防府天満宮梅園

いつ来ても、何の花を見ても美しいが、やはり梅がいい。16種類、1000本の梅が植えられているというので、満開の時は素晴らしいと思う。見頃は二月上旬から三月初旬。三月に訪問しました。

愛宕社

防府天満宮境内神社・愛宕社

境内社。祭神は軻遇突智。ほか九柱を祀る。

老松社・若松社

防府天満宮境内神社・老松社・若松社

境内社。「子宝の神」という。HPにはなんと、祭神不詳、とあった。

須賀社

防府天満宮境内神社・須賀社

境内社。祭神は素戔鳴命。こちらは「子育ての神」。

貞宮遥拝所

防府天満宮・貞宮遙拝所

筆塚

防府天満宮・筆塚

ほかにも、茶釜塚、鮎塚、針塚……と、供養してもらえるもの多数。

紫雲石

防府天満宮「紫雲石」

願い事をすると必ず叶うという不思議な石。この石のお陰で富を築いた豪商・松原屋さんの子孫が参拝の人々にもご利益を戴いてもらうために境内に移したという。(参照:説明看板)

太鼓楼

防府天満宮・太鼓楼

大内盛見が建てたという三重塔や太鼓楼は、もう跡形もない。これは信者の方から寄進されたもの。とても大きくて立派だ。

防府天満宮ご鎮座地と行き方

ご鎮座地 & MAP

ご鎮座地 山口県防府市松崎町14-1
最寄り駅 防府駅から徒歩15分、防府天満宮バス停から徒歩5分

アクセス

防府駅から徒歩15分ということなので、町歩きしながら歩くのがいいと思います。基本は真っ直ぐな参道が続いていて、とても分かりやすい道です。ただし、駅から参道に入るまでが不安な方はナビゲーションを使ってください。

バス停から5分とありますので、歩くのがつらいと思われる方はバスに乗られるのがよいかと。なお、バス停はどこなのかわかりませんが、タクシーやレンタカーで参拝する方は、駐車場から入ることになります。その場合必ず、どこかでいったん、参道を戻ってください。鳥居や大専坊を見落とすことになります。

参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』、防府天満宮様HP、防府市ほか自治体様HP、説明看板

防府天満宮について:まとめ & 感想

防府天満宮・まとめ

  1. 日本最初の天満宮
  2. 菅原道真を祀る
  3. 生前道真がこの地を気に入り、亡くなったその日に瑞雲がたなびいたという独特の縁起をもつ
  4. 国司上人・重源、大内、毛利氏の歴代当主たちなどこの地を治めた人々から篤く信仰され、大量に寄進を受けたり、修繕・改築事業を行ってもらった
  5. 幕末の志士たちともゆかりがある(例:高杉晋作、野村望東尼)
  6. 何度も火災に遭い、現在の建物はほぼ再建物。しかし、なおも数多くの貴重な文化財を所蔵している
    現代も大人気の観光スポット

防府に来たらとりあえず、防府天満宮と毛利庭園……のように、必ず観光ルートに組み込まれます。行きたくないと考える人はおられないと思いますが。あまりの賑わいにちょっとびっくりします。防府市内どころか県内でも屈指の観光資源でしょう。

敷地はかなり広大なので、だらだら歩いていると見るべきものを見落とします。MAP を拡大して初めてわかりましたが、筆塚や春風楼を見ているということは、かなりの距離を歩いていました(出発地点は駐車場です)。筆塚よりなお遠い茶釜塚まで行っていましたので、満願寺までもう一息だったのです。

わずかに数年間で Googlemap の精度も桁違いにアップしたので、現地についてから調べることも可能です。とはいえ、いわゆる「ながらスマホ」のようなことになってしまって危ないですし、事前準備は抜かりなく行え、ということを痛感した場所でした。

防府天満宮様のホームページが分かりやすくて丁寧なので、まずは詳細が掲載されている場所をすべて確認しましょう。くれぐれも現地でホームページを拝見しながら歩かないように(つまりはどこかの物陰で、ほかの方の邪魔にならないように静止状態で確認する程度にとどめる)。何事もペーパーレスな時代となってきましたが、あえて地図をプリントアウトして、チェックしながらすべて見て回る、というやり方が一番確実です。

こんな方におすすめ

  • とにかく有名な観光スポットは必ず制覇する
  • どこに行っても天神様と名の付くところは外せません

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像(怒る)
五郎

見落としたのって、満願寺だよな? どうやれば見落とせるんだ、こんなに近いのに。それから、大専坊? 参道脇じゃないか。常に強引に歩くくせになんでこの時だけ、タクシー乗り放題なんてしたんだよ?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

(君は歩くの嫌いで乗り放題派のくせに……)ミルが町歩きの人になったのは、最近のこと。当時は見知らぬ町で道に迷うのが怖かった。防府は観光資源が密集している感じですので、まるっと歩けそうである、というのが旅慣れた今だから言えるなんとなくのイメージです。

五郎イメージ画像(背景あり)
五郎とミルの部屋

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

続きを見る

  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン)

ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※

-関連史跡案内