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ミル@周防山口館
大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2024/1/18
大内義隆の養子・晴持を祀る神社。月山富田城攻めに敗北して当地で亡くなったので、出雲国(島根県)にある。小さいながら立派な神号碑、鳥居、社殿、境内祠まで揃っている。遠い異国で大内氏ゆかりの人が大切にお祀りされていることに感動を覚える場所。
2024/1/18
土佐一条家から大内家に養子に入った。三十一代当主・義隆は跡継として大切に養育していたが、尼子家との合戦(月山富田城遠征)に敗れて逃げる途中溺死した。軍記物は容姿端麗で詩歌・管弦・蹴鞠に勝れ、武芸にも秀でていたのに、とその若死にを悼んでいる。
2024/8/24
二つの岩が重なり合った巨大な奇石「鰐石の重岩」ある大内時代の景勝地。趙秩が詠んだ「山口十境詩」のうち、「鰐石生雲」はこの場所。ついでに「象山積雪」が詠まれた象頭山も近い。鰐石川、鰐石橋、鰐石町と鰐石だらけ。なかなかに見てビックリの大岩です。
2024/9/2
元は大内氏氏寺興隆寺の坊のひとつが移築された建造物で、木造聖観音立像を安置した観音堂。像は平安時代の作品で県指定文化財。付近に木喰上人の立木仏、奇兵隊軍監・福田侠平氏の遺髪塚。
2024/1/19
聖武天皇が詔して全国に建立した国分寺の安芸国版。東広島市西条にある。伽藍のほとんどが発掘調査で確認されており、金堂があった場所が現在の安芸国分寺本堂となっているほか、「跡地」は「歴史公園」として市民の憩いの広場として整備されている。
2024/1/19
大内弘幸を開基、高峰顕日を開山として建立され、中興は春屋妙葩。夢窓疎石造庭の枯山水庭園もあったというものすごい臨済宗寺院。大内氏の滅亡で破却の憂き目に遭い、のちに再興された。規模は縮小され、往時の堂宇は一つもないが、歴史はしっかりと受け継がれている。
2024/7/13
かつての大内氏直轄領・安芸東西条(現在は東広島市)にある真言宗寺院。安芸国における宗教的支配の中心として重要視していたと思われる。大内氏時代の伽藍などは残っていないが、大内菱だらけの「本堂内須弥壇及び厨子」が国指定重要文化財になっている。
2024/8/26
大内弘世の代、来日した明国の使者・趙秩が山口を訪れた。弘世の招きで山口に滞在した趙秩は、依頼により山口の麗しい風景を詠み込んだ歌(漢詩)十首を制作した。これが「山口十境詩」といわれる作品。現在山口市内のゆかりの地すべてに、詩碑と説明板がある。
2024/1/19
山口市上竪小路にある浄土真宗寺院。毛利輝元の頃までは、真言宗の祈禱を行なうところとして、とても栄えていた。その後、浄土真宗に改宗されて現在に至る。『大内文化要覧』で大内氏関連寺院となっており、大内政弘が一の坂に移築した寺院であるという。
2024/1/19
山口市大内矢田にある浄土真宗寺院。創建は江戸時代のことで、開山は元々氷上山に弟子入りして法印権大僧都となった智淵房慶乗。浄土真宗への改宗は、毛利輝元夫人・清光院の意向で、かつては拝領の阿弥陀如来もあった。境内に大内弘家の供養塔がある。