ミル@周防山口館

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大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

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全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
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1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
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永福寺・山門の大内菱

関連史跡案内

永福寺(山口市円政寺町)

2024/1/19    

曹洞宗寺院。元は古熊の地にあり、明治時代に移転された。旧地は大内弘幸の菩提寺・永興寺があったとされる場所で、弘幸の墓がある。現在地には往時を偲ぶ物はなく、山門に大内菱の装飾があるくらい。境内に山口八十八ヶ所の「五拾六番」がある。

妙湛寺入り口にて

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妙湛寺(山口市小郡下郷)

2024/1/19    

応永の乱で戦死した兄・義弘の跡を継いだ大内盛見は、兄の子が成長したら家督を継がせようと考えていた。そこで、将来家督争いを起こすのを恐れて我が子を水遊びの最中に川に落としてしまう。その子・豊久丸の亡骸が流れ着いた場所に供養のために建立した寺院。

サビエル記念公園記念碑

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サビエル記念公園(山口市金古曽町)

2024/1/23  

大内義長が、キリスト教布教を許可して与えた「大道寺」の跡地とされる場所。元の教会は焼失してしまい、その場所はわからなくなっていたが、明治時代にビリヨン神父がこの場所であると突き止め、公園化された。サビエル記念碑、ビリヨン神父の像等がある。

仁平寺跡地

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仁平寺(山口市大内御堀)

2024/1/23    

大内氏の本貫地にあった寺院。滅亡後は衰頽し、地元の人々の手によって再興された寺院も災害で荒廃。さらに再建されて現在に及ぶが、往時の面影はまったくない。興隆寺二月会にも負けない本堂供養会が行なわれたこと、五重塔まであったことなど今はすべて夢幻。

日吉神社(大内)鳥居

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日吉神社(山口市大内御堀)

2024/1/23    

元仁平寺の鎮守・山王社。本堂を再建した際、その社頭で大内弘幸・弘世父子の本堂供養会で法楽舞が行なわれたことで有名。大内氏とのゆかりが深い神社である。明治時代になって、日吉神社と改名された。台風被害で境内に移築されてきた愛宕社も弘世代勧請という。

寄船神社鳥居

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寄舟神社(山口市陶)

2024/1/23    

大内氏始祖・琳聖太子が上陸したという伝説が残る「艫綱の森」。太子はここで村人に製陶の技術を教えたという。上陸した場所とされる場所には祠が造られ、寄舟大明神として祀られていた。道路工事のために、現在地に遷された。跡地にも石碑がある。

御堀神社入り口記念写真

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御堀神社(大内御堀)

2024/1/23    

大内御堀にある神社。八幡宮、氷上神社、鏡山神社、八幡宮摂社の厳島神社という四つの神社が合併されて一つの神社となった。それぞれの神社の建造物を用いて建てられている。氷上神社は元氏寺興隆寺にあった氷上山山王社。手水鉢が元山王社のものと書いてある。

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神福寺(山口市八幡馬場)

2024/1/23    

山口市八幡馬場にある真言宗寺院。大内氏に深く崇敬され、仁壁神社、今八幡宮、祇園社の社坊をつとめるなど重要な地位にあった。亡命将軍・足利義稙の宿舎ともなりうる大寺院だった。琳聖太子ゆかりの品と言われる十一面観音立像があるが秘仏ゆえ普段は参拝不可。

日吉神社(陶)・入口

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日吉神社(山口市陶)

2024/1/23    

陶氏名字の地にあるなどの理由から、陶弘政が建立したとする説もあるものの、大内義興が永正年間に建てたもの、という公式見解となっている。神紋が大内菱であるため、ゆかり深い神社であることは間違いないが、陶氏も大内菱なので、そこは区別できない……。

畠山尚順イメージ画像

TRAVEL GUIDE

八幡宮 & 八幡信仰とは?

2023/9/24    

八幡さまとは何か? ということで、八幡宮のご祭神、総本宮・宇佐八幡、源氏の氏神・石清水八幡宮、神仏習合した「八幡大菩薩」なんかの話をしています。宇佐八幡宮は大内氏の分国豊前国にあったことからその関わりについても触れます。