- HOME >
- ミル@周防山口館
ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2024/11/8
大内氏第十一代当主。下松の妙見社を氏寺のある大内氷上山に勧請した人物として知られる。ただし、知られているのはその一点のみ。
2024/11/8
初めて多々良の姓を賜ったとされる八代当主。下松の妙見社(現降松神社)「和歌水」に、和歌を詠んだら清らかな水が湧き出したという雅な伝説が残る。
2024/10/1
明応年間の戦勝祈願五社詣での際、五の宮はこの場所にあった。「五の宮大明神」と呼ばれ、大内氏の信仰篤い神社だったが、明治時代に合併・移転。
2024/11/8
大内氏十六代当主。流刑地から帰国したことが『玉葉』に記され、多々良一族の実在が証明された記念すべき人。大内介という名乗りもここから。
2024/11/8
源平合戦の時にいち早く源氏に味方した一人として有名。東大寺再建事業のために下向した重源の杣出しを妨害したことでも知られる。
2024/11/8
いわゆる元寇が起こった時の当主。海外への玄関口にあたり、異国侵攻の被害をもろに受ける西国。近辺諸国も恐怖のどん底。一致団結して敵に対抗・撃退した。皆と協力し、活躍したのがこの人。
2024/11/8
弘世の祖父。この頃、大内氏は周防国衙の中で、在庁官人のリーダー的存在となっていた。その実力は国司上人を罷免させるほど。あらゆる意味で、基礎固めが完成した時期の人。
2024/9/9
二十三代弘幸の弟。一族の総意とは関係なしに、終始一貫して南朝への「忠節」を貫いた人とされる。防府敷山で武家方と戦い、石見で戦死。普門寺に宝篋印塔があることが有名。
2024/11/8
叔父・長弘が家を導いているような状況下にあり、当主としてやや影が薄いが、南朝に転向して長弘派を追い落とそうと決断したのはこの人。鷲頭家討伐は子の弘世によって実行される。
2024/9/2
二十一代当主・弘家の子。後醍醐天皇の倒幕からずっと足利尊氏を支持。南北分裂でも武家方につき、家中一の実力者として、幕府から周防守護に任命された。惣領家を凌ぐ勢いだったが、死後にその子・弘直は大内弘世に敗れ、一分家の地位に没落した。