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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2025/7/4
弘世と争い敗死した兄弟とされるが、その詳細として古い史書で語られていたのは、義弘と満弘兄弟の内紛の経緯のだった。では果たしてこの人は誰?
2025/7/4
幕府に忠実であろうとした義弘と、我が道を行かんとする弘世。大内家中は二つの意見に割れ、父に代わり、弟・満弘が兄と争った。
2025/7/4
大内氏の始祖から八代までの間は、六代分の名前もわからない人々がいる。しかし、伝承や読み物では、これらの空白もきちんと埋まっている。
2025/7/4
応永の乱で、兄・義弘とともに幕府軍と戦う。兄の死後、幕府に降伏。家督継承者となるが、留守分国にいた兄・盛見を討伐できず敗死。
2025/7/4
二十七代当主・持世の墓は、菩提寺・澄清寺にあったらしい。その澄清寺も跡地が伝えられるだけとなり、持世の墓も残ってはいない。
2025/7/4
古熊神社からほど近い場所にある。元は菩提寺としての寺院があり、そこに埋葬されていたと考えられるが、寺院は移転し墓所のみ残る。
2025/7/4
幕府が認めた大内氏最後の当主。実情は大内義隆を倒した叛乱家臣たちに担ぎ上げられた傀儡に過ぎないが。子孫は東広島で名家となった。
2025/7/4
須々万にあるかつて飛龍八幡宮の社坊だった寺院。明治時代にふたつの寺院が合併して現在に至る。沼城跡に近く、城主の菩提寺。
2025/7/4
江戸時代に錦川に架けられた五連アーチ式の橋。その姿の美しさ、当時の建築技術の高さへの驚きなどから、人々を惹き付ける名勝。
2025/7/4
鎌倉御家人・平子重経が源頼朝を供養するために建立したとされる寺院。寺号の由来は「源家久昌」。重経及び子孫の菩提寺となった