ミル@周防山口館

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大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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庄方神社・ご鎮座地周辺の光景

関連史跡案内

庄方神社(山口市徳地堀)

2024/1/19    

大内盛見が宇佐八幡宮を勧請したという。氷上山信光院にあったものを、明治時代初めに現在地に移転した。現地には社名碑もなく、詳細は謎に包まれている。水田の中にぽつねんと佇む社殿は、時期と時間を選べば最高傑作が撮影できる知る人ぞ知る絶好の被写体。

浄福寺・案内看板

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浄福寺(山口市嘉川)

2024/1/19    

役小角創建とされる長い歴史をもつ。一時期廃れてしまっていたが、応永年間に日誓が熊野三社権現を勧請して再建。大内義隆が再建するなど、大内氏の祈願所として栄えた。江戸時代に正福寺、明治時代に現在の浄福寺と改名されたが、人々の篤い信仰は変らない。

正福寺・観音堂(2)

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正福寺(山口市小郡)

2024/1/19    

大内弘世が開基で、大内氏の祈願所だった寺院だとされるが。それらしきものは何もない。山口市の指定文化財となっている観音像がたいへんに貴重なものだが、行ったところでご開帳に合せないと拝むことはできない。観音堂の堂宇にはいつでも参詣できる。

厳島神社(山口市宮島町)・社殿

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厳島神社(山口市宮島町)

2024/1/19    

大内盛見が安芸国の総本社から勧請したのが起源。応永十三年(1406)のこととされる。以来、明治維新直前期まで、ずっと現在の山口県庁の辺りに鎮座。しかし、毛利家が政庁を山口に移した際に、現在地に移転。社殿の規模も縮小されてしまったという。

恒富八幡宮・入口

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恒富八幡宮(山口市黒川)

2024/1/19    

境内神社となっている「高倉荒神社」は、大内氏の始祖・琳聖が、来朝する際に守護神としていた神を祀ったのが起源らしい。大内茂村が創建したとも伝わる。明治の寺社整理で恒富八幡宮の境内に移転した。平成時代に火災で焼失したので、現在の社殿は再建物。

日吉神社(平川)・石段

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日吉神社(山口市平井)

2024/1/19    

市内にいくつもある日吉神社のひとつ。近江国日吉社から勧請されたということ以外、何も伝わっていない。江戸時代に、火災によって現在地に移転、再建された。参道石段から右手のほうに、古墳時代の遺跡があり、「日吉神社横穴古墳群」と呼ばれている。

中郷八幡宮・拝殿

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中郷八幡宮(山口市小郡)

2024/1/19    

大内氏が宇佐八幡宮から勧請したのが起源。竹田番匠作とされる立派な社殿があったが、明治時代の火災によって失われてしまった。現在の社殿は再建物だが、境内には山口県指定史跡の中郷貝塚や、同じく県指定自然記念物となっている中郷樹林などもある。

正八幡宮・入口

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正八幡宮(山口市秋穂西)

2024/1/19    

嵯峨天皇の時代に宇佐八幡宮から勧請されたのが起源。応永年間の火災以来再建されなかったが、応仁元年に大内政弘が再建。元亀五年、大内義興が現在地に移転再建。現在の建物は江戸時代の再建物だが、国の重要文化財に指定されている。

北方八幡宮・入口

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北方八幡宮(山口市阿知須)

2024/1/19    

奈良時代に厚東武綱が宇佐八幡宮を勧請したのが起源。大内弘貞が南北に分社。弘家代にもそれぞれを移転。弘家代の移転が現在地で、南のほうは、宇部市に南方神社として鎮座している。火災などによる再建が繰り返され、地元の方々に守られて現在に至る。

嘉川八幡宮・拝殿

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嘉川八幡宮(山口市嘉川)

2024/1/19    

奈良時代に、宇佐八幡宮から勧請された。平安時代には大江匡房に崇敬されたため、「大江八幡」と呼ばれた。元は高根ノ岳に鎮座していたが、鎌倉時代の火災により、現在地へ移転。現在の社殿は江戸時代初期に再興されたもの。随身像が山口市指定の文化財。