ミル@周防山口館

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大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
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歴代当主

大内重弘 国司上人をクビにした周防国衙在庁官人のリーダー

2024/11/8

弘世の祖父。この頃、大内氏は周防国衙の中で、在庁官人のリーダー的存在となっていた。その実力は国司上人を罷免させるほど。あらゆる意味で、基礎固めが完成した時期の人。

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人物説明

大内弘直 終始一貫して南朝支持の人

2024/9/9

二十三代弘幸の弟。一族の総意とは関係なしに、終始一貫して南朝への「忠節」を貫いた人とされる。防府敷山で武家方と戦い、石見で戦死。普門寺に宝篋印塔があることが有名。

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歴代当主

大内弘幸 影薄い当主から南朝転向で一発逆転

2024/11/8

叔父・長弘が家を導いているような状況下にあり、当主としてやや影が薄いが、南朝に転向して長弘派を追い落とそうと決断したのはこの人。鷲頭家討伐は子の弘世によって実行される。

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人物説明

大内長弘 終始武家方を助けた実力者

2024/9/2

二十一代当主・弘家の子。後醍醐天皇の倒幕からずっと足利尊氏を支持。南北分裂でも武家方につき、家中一の実力者として、幕府から周防守護に任命された。惣領家を凌ぐ勢いだったが、死後にその子・弘直は大内弘世に敗れ、一分家の地位に没落した。

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人物説明

大内教幸 家督簒奪を試みて敗死した宗家の長老

2024/8/24

応仁の乱が勃発した際、当主・政弘の留守中に、分国で叛乱を起こし、家督を簒奪しようとした伯父。救国の英雄・陶弘護の前に敗れ去った。九州に逃れて再起を図ったが、態勢を立て直すいとまもなく、自害に追い込まれた。

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TRAVEL GUIDE

山王権現とは? 中世延暦寺と日吉神社

2024/8/13

大内氏の氏寺・興隆寺は天台宗寺院です。神仏習合の時代、天台宗と日吉神社は密接に結びついていました。現在はそれぞれ別々の寺院と神社ですが。昔の姿を知っておかないと、中世のことはわかりません。そうは言っても難解すぎるので、素人にもわかる範囲で。

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TRAVEL GUIDE

八坂神社の前身・祇園社と牛頭天王

2024/8/17

祇園祭で有名な八坂神社。御祭神は素戔嗚尊。かつて素戔嗚尊と習合していた異国の神さまがいました。牛頭天王です。明治以降、祇園社は八坂神社となりました。牛頭天王は神社から姿を消しました。いったいどんな神さまだったのでしょうか。ほんのさわり。

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TRAVEL GUIDE

熊野権現とは(中世の様相)

2024/8/2

熊野権現と熊野信仰について。修験道の霊場から、極楽往生をかなえてくれる場所へと変化。法皇、上皇から皇族・貴族がこぞって訪れる聖地へと変貌。貴族たちの没落により、武士や庶民が目指す浄土へ。そしてやがては、世界にその価値を認められた世界遺産に。

周防鋳銭司跡・景観

関連史跡案内

周防鋳銭司跡(山口市鋳銭司)

2024/7/28

律令制の時代、国家事業として貨幣の鋳造を行なっていた役所・鋳銭司の跡地。稼働期間も長く、現在も地名にその名を伝えるなど、貴重な遺跡として国の史跡となっている。出土品などは、鋳銭司郷土館で拝見できる。現地には案内看板敷かない。念のため。

月山富田城・入り口

関連史跡案内

月山富田城(島根県安来市広瀬町)

2024/8/13

山陰の覇者・尼子氏の牙城。難攻不落の堅城として歴史に名高い中世山城跡です。のちに毛利氏によって攻略されはしましたが、文句なしに中国地方屈指の名城の一つです。国史跡指定を受けており、整備が行き届いているため、初心者でも安心して楽しめます。