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花岡八幡宮(下松市末武上戎町)

2020年10月8日

花岡八幡宮・灯籠

山口県市下松市の花岡八幡宮とは?

総本社・宇佐神宮から勧請されたという、いたってシンプルなご由緒です。勧請したのは三奈木さんという方でしたが、お名前は伝わっていません。一晩で山を花でいっぱいにするというご神託があり、勧請するとその通りに山が花で覆われたそうです。ゆえに、「花岡」八幡宮と呼ばれました。

重源上人、大内義隆、豊臣秀吉といった著名人からの信仰が篤く、当時は九つの社坊をもつ大規模な神社であったといいます。現在の社殿は江戸時代のものですが、その後も修繕、増改築事業は行なわれており、その信仰は今に受け継がれています。

花岡八幡宮・基本情報

ご鎮座地 〒744-0024 下松市末武上戎町 400
祭神 誉田別尊(応神天皇)、姫大神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)、息長足姫命(神功皇后)
主な祭典 例祭(十月十七日)、祈年祭(二月十七日)、春祭(五月一 日)、新嘗祭(十一月二十三日)、夏祭(七月・海の日)※このほかにも多くの祭典があります。詳細は神社さまHPにて、ご確認くださいませ。
社殿 本殿、幣殿、拝殿、向拝、神饌所、祭具所、瑞垣、水門、随神門
境内神社 高良社、塩竈社、大年社、住吉社、祇園社(須佐之男命)、菅原社 (菅原道真公)
主な建物 鳥居、狛犬、灯籠、亀趺碑、記念碑、手水鉢、 幟台、玉垣、末社、神庫、授与所、絵馬堂、資料館、常夜堂、手水舎、鐘楼、制札所、社務所ほか
特殊神事 一夜造白酒、冠殿者、随兵
奉納芸能 奉納子供角力大会(五月一日)
ホームページ https://www.hanaokahachiman.com/
(参照:花岡八幡宮 HP、『山口県神社誌』)

花岡八幡宮・歴史

和銅二年(709)、三奈木某という人が宇佐八幡宮から勧請したと伝えられています。「一夜の中に山を桜となさむ」という御神託があり、御分霊が移ると、山が美しい花で覆われました。これが「花岡」八幡宮と呼ばれている所以です。

重源上人による社殿の再建があり、その後、長享三年(1489)、現在の地に移されました。 戦国時代頃には、多くの社領を持つ周防国の大社の一つであり、境内には九つの社坊が立ち並んでいたそうです。大内義隆や豊臣秀吉など、歴史上著名な武将たちにも広く信仰され、義隆による社領の寄進、秀吉の参拝が知られています。

毛利家の崇敬も篤く、元禄十三年(1700)、正徳四年(1714)、延享元年(1744)、宝暦七年(1757)等、何度も社殿の修復事業が行なわれました。また、都濃宰判の惣社とされ、御祈禱も行われました。現在の本殿は文政十三年(1830)、拝殿は文政元年(1818)の建造です。 

明治六年(1873)に郷社となり、大正十二年(1923) は県社に昇格。 昭和時代にも、様々な修復、増築、新築事業が行なわれ、境内の整備が進められました。

花岡八幡宮・みどころ

歴史が古く、多くの人々の信仰を集めた神社なので、社宝として伝えられている古文書類が大量にあります。御鎮座地ゆかりの大内家、陶家、毛利家関係文書と豊臣家朱印状等九巻(九十七通)が知られています。そのほかに、扁額三面(長享三年)、鉄造鰐口(寛永元年)、青銅神馬(文化三年)、祭礼大絵馬(寛政九年)、大太刀(日本一の大太刀、安政六年、奉納品) があり、下松市指定文化財となっています。

地元の方にお話をおうかがいしたところ、初詣にはたいへん混雑するそうです。昔も今も、人々に篤く信されている神社さまなのです。

随神門

花岡八幡宮・随神門

とても立派な門。「八幡宮」の扁額もくっきり。昭和五十三年(1978)~五十九年(1984)にかけて主な建物の屋根を板葺にする工事が行なわれ、こちらの門も板葺となりました。創建年代等の由来は不明です(書いている人が調べられていないだけです)。

石段

花岡八幡宮・石段

じつはこの神社、石段がとても長いです。ここは、先の随神門手前です。この場所から門を見ております。見下ろすと、ここまで来るまでもかなり上って来ていることがわかりますが、この先もまだ続きます。

鳥居

花岡八幡宮・鳥居

鳥居は石段下にもございます。こちらは拝殿前のものです。

拝殿

花岡八幡宮・拝殿

重層入母屋造。文政元年(1818)に建立されたものです。やや見づらいけれども、上の写真に見える扁額は従一位近衛忠熈卿の筆になるもので、「永受嘉福」と書かれています。

願かけの御馬

花岡八幡宮・願かけの御馬

こうした馬を置いてあるところは少なくありませんが、なんと、こちらの神馬は願いを叶えてもらえるようです。「この御馬は金毘羅宮にある神馬の兄弟馬であります。霊験があらたかで顔をさすりながら願い事をされるとよく聞き届けてくださいます」と書いてありました。『山口県神社誌』のご本には、この神社の「社宝」として、青銅神馬(文化三年)があると書かれていましたが、この神馬がそうでしょうか。だとしたら、下松市の指定文化財です。

末社四座

花岡八幡宮・境内社

拝殿の左手奥に、四つの末社が仲良く並んで鎮座しておられます。向かって左から順番に、大年社(大年神)、住吉社(住吉三神)、塩竃社(猿田彦命)、高良社(武内宿禰命)。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

多宝塔については、閼伽井坊で紹介しています。

関連記事:閼伽井坊

花岡八幡宮(下松市)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒744-0024 下松市末武上戎町 400

アクセス

下松駅からタクシーを利用しました。周防花岡駅から徒歩10分ですので、普通に歩けますが急いでいたので。

参照文献:『山口県神社誌』、下松市等自治体様HP

花岡八幡宮(下松市)について:まとめ & 感想

花岡八幡宮(下松市)・まとめ

  1. 和銅二年(709)、三奈木某という人が宇佐八幡宮から勧請したと伝えられる
  2. 重源上人の社殿を再建している
  3. 現在地に遷されたのは、長享三年(1489)
  4. 戦国時代には、九つもの社坊をもつ神仏習合した大神社であった
  5. 大内義隆、豊臣秀吉など多くの著名人に深く信仰されていた
  6. 江戸時代、毛利氏による信仰も篤く、何度も修繕事業が行なわれた
  7. 現在の社殿は江戸時代のものだが、現代になってからも修復や増改築は続けられた

普通に立派な八幡宮さまです。特に戦国期、全国区で有名な武将たちに信仰されたということで、関心を抱く方も多いと思います。一般観光客にはあまり関係ないものとはなりますが、数多くの古文書類が残されていることから、研究者の先生方にも有難い神社さまです。

かつて神仏習合していた時代、九つもの社坊があり、そのうちの一つが閼伽井坊でした。その閼伽井坊に属する塔婆(多宝塔)が、今も神社の境内にあり、たいへん有名です。特に意識しなければ、多宝塔は神社の建築物の一つであろう、と考えてしまいますが、こちらは歴とした仏教系の建築物でして、現在も閼伽井坊さまに属しているため、花岡八幡宮のものではありません。

そのあたり、神仏習合していた時代を想像し、非常に興味深いです。多宝塔を見るために神社に参詣する人も数多いと思われますが、そこはちょっと気を付けなければなりません。あまり神経質になる必要はないんですけどね。

とにかく石段がすごいです。上から見下ろすと吃驚なのですが、タクシーで来るとこれは上らなくてすみます。ただ、気持ち的にですが、やはりご参詣は最初の鳥居から始めて参道を通り、石段があればそれも上り……というのがマナーかなと思うところがあります。昔は駐車場などなかったでしょうし。逆に考えれば、現代は車での参詣も可能となっているので、石段は場合によっては無視してもよいのかもしれません。ご高齢の方など、たいへんかもしれませんし、毎日参詣することを日課としている方にとっても大変ですよね。

こんな方におすすめ

  • 神社巡りが好きなすべての方
  • 八幡信仰の方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

八幡宮って、本当にそこここにあるね。だけど、多宝塔が神社のものではないなんて、びっくり。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

そうだね。神仏習合って、奥が深くて難しいけど、非常に興味深くもあるね。

五郎イメージ画像(背景あり)
五郎とミルの部屋

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
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