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厳島神社(山口市宮島町)

2023年12月2日

厳島神社(山口市宮島町)・社殿

山口県山口市宮島町の厳島神社とは?

起源は、総本社である安芸・厳島神社から勧請されたというシンプルなものです。二十六代・大内盛見によって勧請されました。元は現在の山口県庁があるあたりにございましたが、毛利家当主の屋敷を建てるとかいう理由で、現在地に移転させられてしまいました。

多宝塔があるところまで、本家本元の厳島神社を思い出しますし、ご鎮座地も「宮島町」となっております。なお、多宝塔は山口市の指定文化財です。

重要

ご鎮座地が宮島町となっているため、煩わしいのですが、宮島の厳島神社ではありません。

厳島神社(山口市宮島町)・基本情報

ご鎮座地 〒753-0043 山口市宮島町1−1
御祭神 田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命
主な建物 社殿、鳥居、灯籠ほか
(参照:ご祭神については『大内文化探訪ガイド No.2』、ご鎮座地は Googlemap の住所、建物については目視)

厳島神社(山口市宮島町)・歴史

現地案内看板に書かれていることがすべてです。

応永十三年(1406)に、大内盛見が安芸国厳島神社から勧請しました。元は現在山口県庁があるところにご鎮座していたものを、明治維新の直前、毛利家のご当主が山口に移られて、自らの居住空間を造った際に現在地に遷されました。ということは、それまでは、盛見時代のものが(修理、改築、再建などが行なわれたにせよ)残っていたわけです。もうちょっと我慢していたならば、現代まで生き残ることが出来たのに、と思うと無念です。

なぜかなら、現在の社殿は往時のものとは比べることもできないからです。

幕末に社地が藩主の居館の地になったので、社殿を大幅に縮小して今の宮島町に移されました。

出典:大内文化探訪会『大内文化探訪ガイド No.2 中世文化の里』

普通に考えればわかることですが、盛見さんが、かの厳島神社を勧請した。それはその後の、教弘、政弘、義興、義隆と続いていた、ということは、現在の社殿とは比較できないほどの規模であったと考えられます。だって、県庁の辺りと言えば、高嶺太神宮があり、そのた諸々の貴重な寺社仏閣を集めた超神聖な領域だったわけです。

そこに、ご鎮座していた厳島神社であるならば当然、それなり大規模なものであったはずです。現在の社殿は、正直、本家本元厳島神社の末社程度の規模です。いかに本家本元ではないとはいえ、著名な神社から勧請したゆかりある神社が、末社レベルの社殿だったとは考えにくいです。以上単なる想像ですが。ですけど、権威あるご本に「大幅に縮小して」とあることからも、盛見さんが創建した当時の社殿とは比較にならないものになったのでしょう。だってこれ、神社の規模(境内の広さなど)ではなく「社殿を」縮小したって話ですから。しかも「大幅に」。この文章をお書きになった先生に直接お伺いすることが無理なので、大幅というのはどのくらいなのかは分りませんが。

厳島神社(山口市宮島町)・みどころ

明治維新前に移転された、ということなので、大内氏時代の姿そのままではありません。さらに、社殿は縮小されており、小さくなってしまっています。その際に作り直したようなことになるわけで、明治時代直前の再建(縮小)物です。それでも、お住まいになっている神さま方はかわりませんし、起源も歴史も引き継がれているわけなので、そのように考えてお参りしましょう。

なお、山口市の指定文化財となっている「多宝塔」は社殿の中にございますので、見ることはできません。『大内文化探訪ガイド No.2』に写真が載っていましたが、厳島神社(宮島の総本社)の多宝塔にそっくりでした。現地案内看板にもイラストが載っております。

鳥居

厳島神社(山口市宮島町)・鳥居

趣ある場所にご鎮座しております(背後の鎮守の森)。鳥居に渡された注連縄が立派ですね。

社殿

厳島神社(山口市宮島町)・社殿

これはどう見ても、単なる境内社や末社レベルの社殿にしか見えません。むろん、宮島の七浦巡りの小さな末社とか大好きなので、よいのですけど、「社殿を大幅に縮小して」というのが気にかかるんですよね。元々これをちょっと大きくしたような形式だったのでしょうか。宮島でも、清盛神社とか立派ですが、規模的には小さいです。なので、そういう形式の神社さまも多いわけですが……。どうも、もとは今八幡宮さまとか、古熊神社さまみたいな大規模な神社さまだったような気がしてならないわけです。そういう目で見てしまうと、まさか、こんな末社みたいな社殿ではなかったのでは? と思われてしまう。これについては、次回ご本をお書きになった先生にお伺いしたいと思いますので、それまでの宿題とさせてください。

厳島神社多宝塔

厳島神社(山口市宮島町)多宝塔・文化財案内看板

元々、厳島神社の宝殿として造られたものだといいます。高さは 1.3 メートルあるので、それなりの大きさです。写真を拝見していると、とても小さく感じてしまうのですが。木造で、室町時代の作品と考えられているそうです。つまりは大内文化の遺産です。現在は、社殿の中にあるとのことですが、社殿の扉は格子になっているため、こっそり中を覗くことはできそうです。やりませんでしたが。

付近にあった社

厳島神社(山口市宮島町)・境内にあった社

どこにも説明がなく、何のお社なのかわかりません。次回の宿題とさせてください。しかし、このお社と、厳島神社の社殿がほぼ同じ大きさですので、ますますもって、元の規模が上のサイズというのは考えられません。元々この場所にあったものなのか、厳島神社の境内に元あったものが、ともに移転されたのかも不明です。

しかし、見たところ、いかにもなにがしかの由来がありそうな建築物ですよね? なかに像もありますし。知りたい……。

厳島神社(山口市宮島町)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒753-0043 山口市宮島町1−1

アクセス

山口駅から歩いてすぐです(感じ方には個人差があります)。鰐石橋や象頭山などの見所も近いですので、普通に歩いてください。基本は、山口駅から、瑠璃光寺五重塔や洞春寺などがある方角とは反対側に向かいます。大内方面とお考えくださいませ。細かな道順は、スマートフォンのナビゲーション機能の精度が格段にアップしているゆえ、敢えて書きません。特にわかりにくいこともなく、導いてもらえます。ただし、歩きながらのご使用はなさらぬよう、お願い申し上げます。

参考文献:『大内文化探訪ガイド No.2 中世文化の里』、文化財案内看板

厳島神社(山口市宮島町)について:まとめ & 感想

厳島神社(山口市宮島町)・まとめ

  1. 大内盛見が、安芸国厳島神社を勧請したのが起源。応永十三年(1406)のことという
  2. 神社は元々、現在の山口県庁の辺りにあったが、明治維新前に毛利家当主の居城が移された時、現在地に移転させられた。
  3. 移転に際して、社殿は大幅に縮小されたといわれ、盛見創建当時の姿を偲ぶことはできない
  4. 盛見、教弘、政弘、義興、義隆と伝えられてきた社殿は、修築や改築されたであろうし、それは毛利氏の時代になっても同じ。とは言え、明治時代直前までその場所、その姿を留めていたと思われるものが移転、縮小されたことはあまりにも惜しい
  5. 元・厳島神社の宝殿として建てられたとされる多宝塔が、現在の社殿の中にあり、山口市指定文化財となっている

そもそもさ、毛利家は広島にいるべきだったんですよ。立派な広島城造って、漸く吉田郡山から下りてきたというのに。どの道ここへ辿り着くので、今回は最初に結論書いてます。誰のせいで移転させられたかと言ったら、関東のタヌキでしょう? もういい加減にしろと言いたい。お陰で現在の東京がある? そんなん関係ないですから。関東地方に興味ないですし、首都なんてどこだっていいよ。以前 SNS で、日本のちょうど真ん中ってどこら辺だろうか、ってことが話題になったけれども、別にど真ん中に首都があることが便利とかそういう話でもないわけですし。何なら京都のままでもよかったやんか。その辺の事情知らんけど。

タヌキが毛利家を放置してそのまま広島に置いておいたとしたら、明治維新前にいきなり山口に首都機能(つーか藩政機能?)移すようなわけわからん話にもならなかったはずで。その場合でも、領地削られて、山口にはどこの何者が来たかわからんけど。そいつらは大内氏の遺産を目茶苦茶にしなかったという保証もないし。地の利か何か知りませんけど、ずっと萩にいてたらいいやんか。なんでいきなり山口に移ってくる? でもって、あれこれと移転させて城建てる? やめてください。何度も言いますが、悪いのはタヌキということで和解していますので、これ以上は書きません。ですけど、ものすごいショックなんだよね。厳島神社移転されたの。しかも「社殿を縮小して」って何で? 移転はとにかくとして、縮小した理由はわからないし、納得がいきません。これで、わずかに一回り小さくしただけなのに、何あの観光客ぶつくさクレーム付けてんの? ってお話だったら恥ずかしいのですが、そうであるならば、権威あるご本に「社殿を大幅に縮小して」とか書かれたりしちゃいますかね?(←責任回避。本に書いてあります)。

さて、狭ーい境内にある社務所? と思われた建物はじつは、公民館でした。ですので、平日、開館時間にお尋ねすれば、どなたかあれこれの疑問にお答えくださるのではないかと期待しています。駅から近いこともあり、再訪は余裕なので、次回の収穫をお待ちくださいませ。

こんな方におすすめ

  • 厳島神社を信仰している人
  • 大内盛見と関係ある寺社仏閣を巡っている人(面影ないですよ。由来だけ)

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎涙イメージ画像
五郎

ずいぶんと小さいんだね。本当にこれしかないの?

ミル涙イメージ画像
ミル

よくわかりませんが、目の前に見えていることが真実です。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

つまりは、誰か「小さくした」奴がいるってことだな?

新介通常イメージ画像
新介

僕は気にしないよ。だって、現在も神さま方はここにいらっしゃるんだから。お住まいがかわったというだけのこと。小さくなったからといってお怒りになってはおられないと思うけど。

ミル涙イメージ画像
ミル

だから、その寛大すぎるお心、どうにかならないのでせふか。

畠山義豊イメージ画像
次郎

お人好しってさ、常に損をするのな。於児丸もその典型だけど。息子が凡庸になったのって、このお人好しなところだけ遺伝したのでは? お人好しってさ、悪く言うと ○○ だから。

大内義隆イメージ画像
大宰大弐

んんん?

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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