妙見宮鷲頭寺・妙見信仰のルーツはこっち。

大内家の氏神妙見社の本元・妙見宮鷲頭寺

大内家にとっての妙見信仰発祥の神社というところに意義がある。
下松の駅から徒歩圏なので、鼎の松と一緒にぜひ足を運んでおきたいところ。妙見社の本家本元はここだ‼
琳聖太子が開祖の本家本元の氏神・妙見社。
天長四(827)年に十一代大内茂村が、氷上山に勧進したのが興隆寺の妙見社(年代と名前は興隆寺説明板より)。
興隆寺の開祖も琳聖太子だけれども。
多々良氏もご多分に漏れず、家督争い、惣領争いは血みどろ。
特に鷲頭家との争いは相当に苛烈なものだった。
要するに、氏神が鷲頭なんかにあったら困るのであって、絶対に大内に移し、そっちを中心とする必要があった。
ただ……さすがに827年は早いので、普通に自分の所にも一つ持ってきた感じもする。

入り口


あまりにも庶民の生活と一体化している。
そこが、皆に愛されているゆえんでもある。
入り口はあまりにも庶民の生活の中に埋没している感。
しかし、中へ一歩踏み入れると違う。

山頭火


種田山頭火さんが度々訪れていたらしく、歌碑が残る。
これは神社の池の中に置かれたもの。ほかにも彼の足跡が残る。

拝殿? 本堂?


リサーチ不足で申し訳ないが、本寺院が「妙見宮鷲頭寺」となっているのは、神仏融合の結果か。維新後に、多くの寺院は廃仏毀釈の被害に遭っているので、寺院を神社の関連施設扱いとして、難を逃れたケースは多々あった。
悲しい歴史の一コマではあるが、一体化することで守られたものがあったなら幸いである。平和になった今だと、このネーミングには僅かながらに違和感を感じなくもない。
結局、ここは神社なのか、寺院なのか、調べてみなくてはなるまい。
まあ、どっちもあり、という解釈が、宗教に寛容な倭国の民のよいところである。

わらじの功徳


仁王像にわらじを奉納すると、足腰の不自由なかたに後利益があるそうで、ご覧の通り。

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