山口県山口市徳地堀の庄方神社とは?
大内盛見が宇佐八幡宮から勧請したといわれています。元々は氷上山真光院にありました。明治時代の初期に、現在地に移転されました。
水田の中に佇む神社というロケーションは、長閑な写真を撮影するのにうってつけであるため、知る人ぞ知る穴場スポットです。
しかし、現地には何の案内もないため、本当に大内盛見ゆかりの神社なのか、中にはどのような神様が祀られているのかなどの詳細は不明です。社名碑もないので、正式名称が庄方神社さまでいいのか、単に地名をとってそう呼ばれているのかすらもわかりませんでした。
庄方神社・基本情報
ご鎮座地 〒747-0231 山口市徳地堀 3120
御祭神 ※どこにも記載はないが、宇佐八幡宮から勧請したのであるから、普通に八幡神と思われる(=応神天皇)
主な建物 社殿、鳥居、記念碑、手水鉢
(ご鎮座地は Googlemap にあったもの、建物は目視、祭神は推測)
庄方神社・歴史
現状、分っていることは以下の通りとなります。
庄方神社
所在地 山口市徳地堀庄方
開基 大内盛見
摘要 宇佐八幡宮から勧請し、氷上山真光院にあった。明治3年現在地へ引社出典:大内文化探訪会『大内文化研究要覧』67ページ
元のご鎮座地が氷上山ゆえ、興隆寺の中にあったものかと思われます。興隆寺について掘り下げれば、もう少し情報が足せるかも知れません。現在そこまでやることは無理ですので、次回の宿題とさせてください。
庄方神社・みどころ
この神社さまの魅力は、由緒や社殿云々ではありません。水田の中に佇むお姿が醸し出す、何とも言えない風情です。それゆえに、名前もゆかりもよくわからないけど、じつは多くの人に知られていたりします。ある方が撮影した写真を見せていただいたことがありますが、何とも麗しいお姿でした。周囲の水田が四季を通じて姿を変えることから、神社さまのお姿も四季折々に映えるのです。今回はご覧の通りの時期にお参りしたので、単に田んぼの中にある神社じゃね? という雰囲気になってしまいましたが、季節を選んでお参りすれば、記念写真もこの世のものとは思えないほど美しくなります。先の写真を拝見させていただいた方が、この付近は星がよく見えるのだと教えてくださいました。そうだろうなぁとは思いますが、ここまで星を見に来るのはたいへんですね。
鳥居
鳥居とご本殿しかないので、この一枚にすべてがおさまってしまっています。
社殿
こぢんまりとした社殿です。いついかなる時も、脇からも拝見いたします。
小さく見えてもわりと奥行きがあり、さきほど見えていたところは拝殿だったことがわかりました。
記念碑
「再建記念碑」と書いてあるのだろうと想像するのですが、読めません。ごめんなさい。
手水鉢
これは多分、手水鉢ですよね? 恐らくは神社を構成している何か(場所的には、鳥居のちょい手前です)と思いますが、本来の用途は不明です。手水鉢以外に考えられませんが、水は涸れてしまっておりますし、雨でも降らないことには使えそうにありません。元のご鎮座地から一緒に移されたものでしょうか?
庄方神社(山口市徳地堀)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒747-0231 山口市徳地堀 3120
アクセス
もはや最寄り駅不明です。駅が入るまで地図を縮小しましたが、無理。あきらめてレンタカーもしくはタクシーです。問題はタクシーの運転手さんや地元の方もご存じないかもしれないこと。ご存じの方ならば、神社の名前を言わずとも、Googlemap などをご覧いただけば、ああ、あれだ、となるはずですが。そうでない場合、神社の名前を言っても、すぐには通じないかもです(地名を冠した社名から、おおよその位置は分っていただけると思いますが)。何しろ、神社の周辺には ○○ 神社と書いてあるものが何ひとつないため、ここが本当にそうなのか、ちょっと自信ないくらいです。このような場合、住所だけが頼りとなるのですが、事前に分っていたのは、『研究要覧』にある所在地「山口市徳地堀庄方」と庄方神社という社名だけ。偶然にもご依頼したタクシーの運転手さんが、山口市内じゅうのあらゆる地理に通じておられる鉄人であられたので、この神社についてもよくご存じでした。
小さな神社によくあるケースですが、本当に神社周辺のわずかな地元の方しか、存在をご存じないことがあります。カーナビにも出ません。タクシーの運転手さんは、所在地付近の地元の方に確認をとってくださるのですが、お近くにお住まいでもご存じない方がとても多いんです。「あそこだよ」と分る方にやっと出逢えた時は、神社はもう目の前だった、ってことが何度もありました。こういうところに連れて行けという観光客は運転手さん泣かせですし、逆に、「あ、そこならばわかりますよ」という運転手さんは、観光客からしたら神さまみたいな存在です。今回はそんな素敵な運転手さんとの出逢いがありました。
参考文献:『大内文化研究要覧』
庄方神社(山口市徳地堀)について:まとめ & 感想
庄方神社(山口市徳地堀)・まとめ
- 大内盛見が宇佐八幡宮から勧請したという
- 元は氷上山信光院にあったが、明治三年に現在地に移された
- 田圃に囲まれて鎮座する社殿は、趣があり、季節や時間帯を選べば非常に麗しい光景を堪能できる
- 由緒などに興味がなくとも、絶好の被写体となり得るため、知る人ぞ知る神社である
正直なところ、すべてが謎です。本文中に引用させていただいた、『研究要覧』に書かれたことしかわかりません。神社庁さまの『神社誌』には当然、載っていません。大内盛見が勧請し、元は氷上山にあったということは、それなりのものを想像しましたが、来てみてびっくりという感じでした。現地には何ひとつ説明文がないため、ご祭神がどなたなのかも不明です。宇佐八幡宮から勧請されているので、八幡神なのであろう、と推測するだけです。
けれども、そのような史実がどうのこうのではなく、地元の地理に通じた方々からは、とびっきりの穴場スポットです。時期を選ばなければなりませんが、周囲の水田、背後の山々などの景色と合せて、目茶苦茶絵になる写真が撮れること請け合いです。まさに、そのような美しい一枚を拝見しましたが、本当に夢の中にいる心地となりました。
しかしです、ご覧のような場所にあるということは、来るのが大変であり、探すのもたいへんです。星が綺麗に見えるなどというお話を拝聴すると、来てみたいと思うかもですが、こんなところで日が暮れたらどうなりますか? 電灯などもないわけですし(ゆえに、星空が綺麗なんですよ)。地元の方のサポートなしでは、美しい星空観察も、とっておきの一枚も、かなり敷居が高いことになりそうです。
普通に大内氏ゆかりの……というだけで見に来ることは問題ありません。何ならば、タクシーの運転手さんにお願いしてとことん探していただきましょう。運が良ければ、地理に詳しい運転手さんに出逢えて、ささっと着いてしまうかもですし。ただし、見ることができるものは上にあげたものがすべてとなりますので、これだけ!? と感じた方は行かないほうがいいかも知れません。よほど神社巡りが大好きな方か、時期を狙ってとっておきの一枚を撮りに来られる方を除いては、ナニコレ、壊れてるし……という感想になってしまうと思います……。少なくとも、大内文化の遺産=瑠璃光寺五重塔のように考えている方が来るところではないと感じます。
こんな方におすすめ
- 神社巡りが好きな人(特にあまり知られていないひっそりとした神社を好む人限定)
- 里山の風景とかそういう昔懐かしい写真を撮るのが好きな人(プロ級の腕前と装備推奨)
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
なにこれ、社殿ぶっ壊れても修繕する人もいないじゃん。
いやいや、ちゃんとテープで補修してくれてるよ。もっと壊れたら再建だよ(多分)。
修繕費用に充ててもらおうにも、賽銭箱すらないよ。
あああ、確かに。お賽銭入れないで来てしまった……。宮島のガイドさんごめんなさい。何時如何なる時も、お賽銭は入れようと誓ったのに。
中に賽銭箱あったかもな。そっと開けてみればよかったんじゃね? 降松神社の上宮みたいに。誰が管理してんのか知らないけど、ここまで賽銭回収に来るの骨だからさ、中で保管されてる可能性あるよな。
そう言えば、七浦巡りでも、お賽銭箱ない神社あったんだけど、やっぱり扉の内側に置かれていたんだろうか? 入れるところがないからしょうがないとか思ってしまってたけど。どうしよう……。
いや、柵があったりしたし、社殿の扉は開けられなかったと思うよ。ここだって鍵かかってたかも。開けてみなかったからわからないけど。
あれこれ悩まず、つぎに来た時、二回分入れればいいじゃん。
ええっ、ここにもう一回来るの!? 俺もう、家帰りたくなった……。
賽銭箱の問題は極めて重要なり。でも再訪して中を確認しても、ない可能性が高い気がする(根拠なし)……。
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五郎とミルの部屋
大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。
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