大乱の流れ・後編

三つの流れ・続き

膠着する戦線と分国への飛び火

そして、やはり、細川勝元は政治家にして策士である。

ふふっ。

東軍が取った戦略は二つ。

一、西軍の兵站を断つ
二、遠国から上洛している彼らの留守の分国を掻き回して不安を煽り立てる

一については特に説明は不要だろう。詳しくはそのうち、順追って話す機会があると思う。

問題は二。これがいかにも「細川家的な」やり方なのだ。
具体的には、裏切り、造反を推進したのである。あまり、褒められたものではないな。ただでさえ、身内同士で争うと言う悲惨な状況であると言うのに……。つまり、分国に残っている身内の不満分子などを焚き付けたり、上洛しておらず手持無沙汰の連中に声をかけて、大乱当事者の領国に侵攻させるなどしたのである。

例えば……。大内殿の分国には、伯父の教幸殿という方がおられ、出家して在国していたのだが、これに声をかけて、政弘殿留守中の領国を安堵した上、周防守護などに任じた。教幸殿はこれ幸いと分国で兵を挙げ、甥からすべてを奪ってしまおうと目論んだわけだ。京にいる政弘殿としたら気が気でない。とは言え、仕方ないので、帰国してこれを討伐……というわけにもいかないのである。何しろ、現状賊軍であるので、帰国すれば、討伐は可能だろうが、京で勝利しなければ、現在の自らの身分すら危うい。

いつまでも国をほったらかしにしておるからじゃ。

なに!? 伯父上が背いた、だと(怒)

一応、義視様が「将軍」であり、「幕府」を開いており、というように見えるが、こんなもの、大乱の勝敗が彼らの側の勝利に終わらない限り、誰も認めはしない。下手をすると、全てを失ってしまう。だいたいからして、西軍で戦功大なのは、この大内殿や畠山義就、斯波殿の配下・朝倉孝景くらいなものなので、ここで、彼が帰国してしまえば、戦況は一挙にひっくり返る。なので、本人は京に釘付けで動けない。まさに、大ピンチだ。

が。ここに、彗星の如くデビューしたのが、我らにも縁ある、陶武護殿のお父上、弘護殿だ。彼は年も若く、我らと変わらないくらいであったのに、とんでもない猛将ぶりで、教幸どのを倒し、侵攻してきた隣国も撃退してしまった。

お褒めにあずかり、光栄であるな。

あれ? 誰だろう、今の人……。

しかし、他の大名たちの元では、かようにうまくことが進んだわけがない。多くの者は、分国の危機に驚き慌て、東軍に寝返り、赦しを請うた、極端な例だと、例の朝倉孝景だが、細川方からの造反の誘いに乗って、何と主である斯波殿を裏切って東軍に寝返ってしまった。どうやら、寝返りの見返りとして越前の守護の位をもらえる、ともちかけられたようなのだが。実際には、自らの力で彼の地を切り取り、その実力を以て「守護」の地位を認めさせている。

まあ、どうも、斯波殿はほとんど、この家臣のお陰で命脈を保っていたようなもので、ご本人は合戦においてはまったく影が薄いようで……。あまりに活躍し過ぎている家臣には要注意である。これを手本に、その後世の中には、平気で主を追い落とすような連中が出てくるのである。

終結への道 まとまらない和睦

さて、ことここに至り、もうやる気のなくなった連中は、戦乱の終結を望んでいた。そもそも、山名宗全と細川政元は相次いで世を去り、子らの代になると、互いに和平の道を探り始めていた。そして、いよいよ、和睦がなったというのに、畠山義就、大内政弘などは、なおも和平を認めず、京に居座り続けた。

兎に角、兵を引いて帰って欲しいと望む幕府は、賊軍であることをやめようとしない大内殿に対して、官位も、役職も安堵するからと約束した。こうなると恥も外聞もないようである。大内殿のほうでは、そうとうな金銭を積んだようであるし。

ただ、大内殿は和睦を受け入れる条件として、義視様と、畠山義就の身分の保証を望んでいたようである。そこで、義政将軍は、義視様と和睦。義視様は美濃へと下向された。

一方の畠山義就であるが……この男だけは許されることがなかった。何しろ、父上が家督を認められている以上、義就には居場所はないのである。名目上は。

 

いやぁ、恩に着るぜ。元気でな~。気を付けて帰れよ

いやいや、こちらこそ世話になり申した。
いつの日か貴殿の身分も保障されることを祈っている。

そうそう、こういう繋がりね。
ここだけの話、御館様は、義豐の父親から美女を世話してもらい、若子まで産まれていたのよ。

 

名目上、と言ったが、この男はまたしても大胆不敵な行いに及んだ。どうやら、大内殿などが帰国前に手を貸したようだが、父上の領国であるはずの、河内を私物化してしまったのである。

義就が河内を占拠しただと!? ふざけたマネを……。

 

ゆえに、義政将軍が隠居して山荘の建造などに勤しんでいた頃も、父上と義就の争いはなおも続いていたのである……。それが、今、それぞれの子の代になっても、つまり、私とあの義豊であるが、引き継がれて続いていることは、言うまでもない……。