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中郷八幡宮(山口市小郡)

2023年11月29日

中郷八幡宮・拝殿

山口県山口市小郡新町の中郷八幡宮とは?

大内氏が宇佐八幡宮から勧請したのが起源です。竹田番匠作とされる貴重な楼門があり、「国の特別保護建造物」に指定申請されましたが、その最中に火災により焼失してしまいました。貴重な文化財の焼失は、あまりにも惜しまれますが、社殿は立派に再建されて現在に至ります。

境内に山口県指定史跡の中郷貝塚があり、樹林も県指定自然記念物となるなど、古代の浪漫と美しい樹林に囲まれたたいへんに趣がある神社です。

中郷八幡宮・基本情報

ご鎮座地 〒754-0031 山口市小郡新町4丁目 13 −1
御祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
社殿 本殿、弊殿、拝殿
主な建物 鳥居、灯籠、狛犬、手水舎、鐘楼、神庫、社務所ほか
境内神社 人丸社(柿本人麻呂)、戎社(事代主命)
主な祭典 例祭(九月十四日)、春祭(四月十五日)、新嘗祭(十一月二十三日) 
(参照:『山口県神社誌』)

中郷八幡宮・歴史

大内氏が宇佐八幡宮から勧請したのが起源です。この時、宇佐葛原村の葛原さん(お名前不明)が神さまに付き従って、周防国に至り、神事を執り行ったと伝えられています。

大内氏が滅び、毛利氏の統治下となって以降、徳川某によって領国を防長のみに削られた毛利輝元は、周防国に入国するにあたり、この神社に立ち寄ったようです。その時神職だった松留利勝という方が、「(輝元)公の武運長久を祈祷した」といわれています。

明治時代末、火災によって神社は全焼してしまいました。現在の社殿は、大正時代に再建されたものです。火災で全焼とか、普通にあることだよね、残念だけど、と思いますが、事はそう簡単ではありません。この神社のかつての楼門は「竹田番匠」の作とされる、非常に立派なものであったからです。新しい時代を迎え、人々は「国の特別保護建造物」に指定してもらうべく、申請していた最中のことだったのです。

明治時代の火災以前の建物が、大内氏が創建した時からずっとそのままであったとは思えませんが、屋根には大内菱がついていたといいますから、修築等を続けながら当時の姿を維持していたものと考えられます。地元の方々の無念の思いはいかばかりかと推察します。

文化財保護法が整備されたのは戦後の話ですし、法律が出来て以降も、惜しまれながら火災や地震によって被害を受けた重要文化財はゼロではありません。地震は仕方がないとして、火災は人為的なものだったりするケースもあり、今も貴重な文化財に落書きをするような不届き者が存在することを考えると、本当に胸が痛みます。

もちろん、寺社さまへの信仰は、伽藍や社殿が重要文化財であるか否かによって左右されるものではありません。長らく信仰されてきたという歴史こそが大切です。そうは言っても、失われた文化財を惜しむ思いは簡単には消えませんので、何とも辛いですね。

中郷八幡宮・みどころ

奥ゆかしい参道の先に、堂々たる拝殿がございます。『神社誌』によりますと、この神社さまの「社宝」は応永二十八年の棟札と、貝塚、そして、中郷八幡宮樹林(山口県指定自然記念物)です。貴重な史跡である貝塚は埋め戻されて、貝殻だの土器だのをその場で見ることができるわけではありませんが、貝塚の場所には説明看板と標識があり、ここにあったのだということが実感できます。緑が多く、心癒やされる神社さまですので、樹林が自然記念物となっていることも頷けます。

参道

中郷八幡宮・参道

広い参道ではないのですが、木々の中を通って行くのがなんとも風情があります。

鳥居

中郷八幡宮・鳥居

ここより境内に入ります。鳥居はいずれも江戸時代からのものです。

社殿

中郷八幡宮・社殿

注連縄が渡されている神木は「夫婦樅」です。右が「男樅」、左が「女樅」のご夫婦です。拝殿の大きな写真はアイキャッチにあります。横からも拝見いたします。

中郷八幡宮・社殿(脇から見た図)

貝塚(後述)は、社殿のすぐ傍ですね。

鐘楼

中郷八幡宮・鐘楼

鐘に刻まれた「中郷八幡宮」の文字がはっきりと見えました。

境内神社・戎社と人丸社

中郷八幡宮境内社・戎社と人丸社

境内社は二つございます。鳥居の背後が恵比須社。その左手に見えているのが人丸社となります。また、右手のほうに、小さな石塔がありますが、このほかにもいくつかの石祠があります。

中郷貝塚

中郷八幡宮・中郷貝塚

古代史で習う貝塚。当然ながら、全国各地にあると思います。すべてが発見されて、史跡認定されているわけではないと思いますが。こちらの「中郷貝塚」は、山口県指定史跡となっています。この藤棚の下にあるといい、貝殻や土器、石器、動物の骨などが発見されたそうです。かめ型やつぼ型などの土器は、弥生時代中期の特徴を示しているそうです(参照:史跡説明看板)。神社の境内にある貝塚って珍しいですね。むろん、全国見渡せば、こちらだけではないかもしれませんが。

中郷八幡宮(山口市小郡新町)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒754-0031 山口市小郡新町4丁目 13 −1

アクセス

最寄り駅は JR 山口線の上郷です。歩いて行けそうに思えますが、今回はタクシーを使いました。

参考文献:『山口県神社誌』、境内案内看板

中郷八幡宮(山口市小郡新町)について:まとめ & 感想

中郷八幡宮(山口市小郡新町)・まとめ

  1. 大内氏が宇佐八幡宮から勧請したのが起源
  2. 毛利輝元が入国するにあたり、武運長久を祈祷したといわれている
  3. 楼門は竹田番匠の手になる貴重なものだったが、明治時代に火災に遭う
  4. 「国の特別保護建造物」への指定申請を準備していた最中の焼失は、非常に惜しまれる出来事だった
  5. 現在の社殿は大正時代に再建されてから続いているもの
  6. 境内に「中郷貝塚」と呼ばれる古代の貝塚があり、県指定の史跡となっている
  7. また、中郷樹林として、樹木類も県の自然記念物である

大内氏が勧請した社殿が明治時代まで残っていたのに、火災により焼失したなんて、とんでもないショックです。その思いは、単なる県外のゆかりの地巡りの人物より、地元の皆さんのほうが強烈でしょう。誰それゆかりとか、そんなことはどうでもいいことですよね。しかし、木造建築ゆえにか、日本の貴重な文化遺産(建築物)は火災によって失われたケースがあまりにも多く、本当に悲しいです。とはいえ、木造建築が当たり前、木造建築こそ心地良いと思っている派なので、欧米のような耐久性の高い建築物が発達してたらよかったのに、とは思いません。

応永年間の棟札が残っているということは、その頃建てられたものが伝えられていたのでしょうか。本当に、何とも惜しまれることです。しかし、失われたものをいつまでも悔やんでいても仕方ないので、地元の皆さまの手で立派に再建された、現在の社殿にお参りすればいいだけのことです。建物はかわっても、神さまたちはかわりません。そもそも、神さまたちは常に社殿の中におられるわけではなく、必要な時だけ、ご本殿においでになるだけですから。

境内に貝塚があるなんてびっくりなんですが、そもそも、貝塚が造られた時代の人々は、将来ここに神社が建てられるなんて予知能力ないわけですし。神社を創建なさった時には、貝塚の存在は知られていたのでしょうかね。そのような考古学的発掘調査が発展したのも現代になってからですから、当時は埋もれていたかもしれませんし、見えていたけど何だろう? って感じだったのかも。恐らくは埋もれていたと思われますが。

樹林が自然記念物指定となっているだけあって、緑が多く、とても癒やされる神社さまです。神社ってどこもそうですが。いわゆる鎮守の森というものが、癒やしの空間なんですね。

こんな方におすすめ

  • 神社巡りが好きなすべての方に
  • 貝塚があるので、古代史に興味がある方にも

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

貝塚って何なんだ?

畠山義豊イメージ画像
次郎

古代の連中のゴミ捨て場ね。

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

ゴミ捨て場!?

ミル通常イメージ画像
ミル

ゴミ捨て場を見れば、当時の人々の生活が分るので、考古学的にはとても貴重なんだよ。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力

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