山口県下松市駅南の浄西寺とは?
開基は浄蓮社清誉光照足頓比丘とされ、江戸時代に建てられた浄土宗寺院です。創建者は俗名を磯部常安といい、父の代に、没落、浪人して下松の地に流れて来て定着したものと考えられています。父の死を契機に遁世し、祖先の霊を弔うため、当寺院を建てたと考えられます。
江戸時代、明治時代と火災に遭ったため、古記録類が失われてしまい、詳細はわかりません。伽藍も焼失したため、修繕と改築が繰り返され、現在の建物は昭和時代の再建物となります。
浄西寺・基本情報
所在地 〒744-0007 下松市駅南1丁目7−11
山号・寺号・本尊 光照山・浄西寺・阿弥陀如来
宗派 浄土宗
(参照:『山口県寺院沿革史』、「浄土宗寺院紹介 Navi」、「八百万の神」)
浄西寺・歴史
『山口県寺院沿革史』にはおよそ以下のようなことが記されています。
「開基は浄蓮社清誉光照足頓比丘で、天正六年三月十日、当寺院を創建した。(足頓は)寛永十二年十一月十日に亡くなった。俗姓は磯部常安といった。父・宗安が天正六年に没落したのち、浪人して当国に来て下松に住まい、地名を取って磯部と名乗った。宗祥(ママ)は天正六年三月別松尾に於いて城中で討死した。二代・常案は遁世して足頓と改名し、祖先の菩提を弔うため、この寺院を創建したのである。
十四世・栄金和尚の代、明治七年に火災に遭い、山門を残して全焼してしまい、旧記については不明である。
本堂 六間四面 明治九年四月、十四世の代に再建。庫裏 十七坪(同上)、大正十年および昭和二年に、大修繕と改築を行なった。十八世・性金代のことである。
位牌堂 一間ー二間、山門は開基以来の建造物、大師堂 四尺方」
お家が没落、浪人したお父上が下松の地に根を下ろしたものの、何らかの事件に巻き込まれて亡くなられたので、創始者はその霊、および、先祖代々の霊を弔うため仏門に入り、寺院を建立したという感じでしょうか。「別松尾に於いて城中で討死」とあるのがびっくりします。
なお、『寺院沿革史』が記されたのは、昭和初期のことであるため、情報が古くなっている部分があることは否めません。山門は創建以来の建物とありますが、ご覧の通り真新しくて立派な建物なので、天正年間の創建そのままであるとは思えません。その後も修理や改築が続けられたものと思われます。
「浄土宗寺院紹介 Navi」によりますと、寺院の創建は「元和元年(1615)」となっております。『寺院沿革史』はすべてが天正六年(1578)となっていて、お父上の没落、常安の遁世、寺院創建が同じ年になって、やや駆け足にすぎる嫌いがありますので、元和元年説が正しいような気がします。なお、同じHPによれば「 磯部氏は、後に製塩業を営み江戸時代には毛利氏の三白政策により大豪商となる」とのことです。 江戸時代、明治時代に火災に遭い、創建当時の面影はまったくない模様であることは『沿革史』の記述と全く同じです。現在の建物は昭和時代の再建物とあるので、やはり、その後も修繕・改築が行なわれた真新しい建物というのが正解でしょう。
浄西寺・みどころ
朝早すぎたために、ご覧の通り門は閉ざされていました。次回はきちんとご参詣したいと思います。情報が少なく、みどころが何なのか現在のところ不明ですが、観光資源というより、檀家の方のためにお勤めをなさっている寺院さまといった印象です。
山門
寺号碑(プレート)
浄西寺(下松市駅南)の所在地・行き方について
所在地 & MAP
所在地 〒744-0007 下松市駅南1丁目7−11
※Googlemap にあった住所です。
アクセス
下松駅から町歩きで到着。妙見宮鷲頭寺へ向かう途中にありました。
参照文献:『山口県寺院沿革史』、Googlemap、浄土宗寺院紹介 Navi (http://otera.jodo.or.jp/)、八百万の神(https://yaokami.jp/)
浄西寺(下松市駅南)について:まとめ & 感想
浄西寺(下松市駅南)・まとめ
- 江戸時代、浄蓮社清誉光照足頓によって創建された浄土宗寺院
- 浄蓮社清誉光照足頓は俗名を磯部常安といい、父の代に没落、浪人して下松の地に至り、居を定めた
- 常安は父の死を契機に遁世し、当寺院を創建したらしい
- 江戸時代、明治時代と火災に見舞われ、現在の建物は昭和時代の再建物。古記録類も火災により失われた
山口県下松市の妙見宮鷲頭寺を探していた時、偶然にもお見かけした寺院さまです。Googlemapで調べたところ、お名前だけはわかりました。寺院さまのホームページなどは見付けられなかったため、住所くらいの情報以外は、まったく不明です。わからないので放置するしかないと思いましたが、お名前だけでもわかったことから、整理しておくことにいたしました。下手な写真一枚で検索できてしまうGooglemapさまの威力にはびっくりですね。
調べると『山口県寺院沿革史』にもきちんと記事がございました。map も『沿革史』もさすがと申すほかありません。開門前に通り過ぎただけですので、寺院内部の様子などを窺い知ることはできませんでした。ごく普通の地元密着型寺院さまであり、特に文化財指定されているようなこともないようです。観光資源と思ってお騒がせしないほうがよいと思われます。
地元の信者の方にとっては、大切な信仰の対象であるのに、観光客にとっては「この寺院なんだろう?」となる典型ですね。宗教施設を観光資源と捉えてしまっているのです。むろん、そのような役割も併せもつ寺院さまも数多いですが、基本は地元の皆さまのために存在する宗教施設であることを肝に銘じ、きちんとお参りし地元の方々のご迷惑にならないように心がけることが必要です(それができていないゆえ、自戒のために書き記しております)。
こんな方におすすめ
- 当寺院の檀家である皆さま
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
これさ、本当に寺院名あってるの? 俺、字が読めないんだけど……。
そうだね。この文字を「西」とはとても読めない。寺社巡りには習字の知識も必要なんだということがわかります。浄蓮寺とかほかにも浄○寺はあるため、ものすごく自信がないです。ここはGooglemapさまを信じるしかありません。
※この記事は写真館サイトから移転しました(写真館サイト廃止のため)。元記事の公開日:20221102