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大内弘幸公墓所(山口県山口市古熊)

大内弘幸公墓所・墓碑

大内氏歴代当主の墓所は、その所在が判明しているものと、行方不明のものとがあります。判明しているものであっても、伝承的要素が強いことには注意が必要で、絶対にその墓石が本人のものなのかは不明です。たいていの墓所には観光資源として、自治体さまの案内看板が立っております。しかし、限りなく真実に近くとも、「伝えられる」「伝○○墓」のような記載がなされていることには注意が必要です。

本サイトでは知り得た範囲で歴代当主の墓所参詣を続けておりますが、居住地から遠い場所もあり、20241125現在未だすべては網羅できておりません。今回は多くの墓所のうち、二十三代・弘幸公の墓所をご案内いたします(訪問回数1回)。

山口県山口市古熊の「大内弘幸公墓所」とは?

大内氏二十三代当主・弘幸公の墓所と伝えられている場所です。古熊神社からほど近い場所にございます。元々は、菩提を弔うための寺院も存在していたと思われますが、現在は寺院は存在せず墓所のみが残された状態です。付近にはほかにも古墓と思しき石塔などが残されており、かつてそこには寺院があり、墓地もあったであろうことが想像できます。

弘幸の菩提寺とされているのは、永興寺でして、岩国にございます。しかし、かつて古熊にも同名の寺院が存在していたとする説があります。寺院さまの寺地の変遷や寺号の改名の問題は複雑ですが、古熊に弘幸墓所があることだけは確かです(※墓所については伝承的要素もございますため、絶対にこの場所に弘幸さんが埋葬されており、墓碑にあたるものはこれであると断言するものではありません)。

「大内弘幸公墓所」・基本情報

所在地 〒753-0031 山口市古熊1ー10
石鳥居の背後に弘幸のものとされる古い石塔がある。ほかにも古墓と思しき石塔の類多数。
なお、この付近は「猿林」と呼ばれ、「山口十境詩」にも詠まれている。 
(※Googlemap にあった住所です)

「大内弘幸公墓所」・歴史と概観

弘幸菩提寺・永興寺跡地

お墓があるということは、元々はここに寺院があったであろうことは容易に想像がつきます。かつて、この場所には弘幸菩提寺・永興寺がありました。現在、寺院は永福寺と名を変え、山口市内の円政寺町に移転しています。永福寺については、以下の記事に書きました。

永福寺・山門の大内菱
永福寺(山口市円政寺町)

元は古熊の地、大内弘幸墓所の付近が「旧地」とされる。弘幸菩提寺・永興寺が前身のようだが、寺地の変遷、寺号の改名等事情は複雑。

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永興寺と言えば、現在岩国にある寺院さまが著名です。しかし、同名の寺院が山口にもあったようです。この辺り、状況はやや複雑です。同上の記事に現時点で理解できたことを書き記しましたので、ここでは繰り返しません。要は、弘幸が埋葬されたのはこの地にあった寺院(永興寺、現・永福寺)であった、ということです。

弘幸が埋葬された寺院は現在も他所で存続していますが、埋葬地からは移転してしまったので、この地は寺院さまの「跡地」という扱いです。寺院は移転しても、墓所はそのままですので、「跡地」に残っているのです。

景勝地・猿林

猿林の地は大内氏時代にこのあたりが、猿もすべり落ちるほどの大木に覆われていたことからこの名称があり、14世紀後半に来山した、明の趙秩が「山口十境の詩」の中で「猿林暁月」の詩を残している。
出典:『大内文化探訪ガイド No.1中世文化の里』3ページ

寺院さまが移転されたことで、墓所付近は鬱蒼とした森に包まれており、静寂の中にあります。特に大内氏に関心を抱く方や昨今流行りの著名人の墓所巡りをなさっている方以外、訪れる人もないのではと思われます。そのことが、却ってこの地を故人の眠りを妨げぬ場所としてくれているのではないかと感じます。

引用文にある通り、この付近は「山口十境詩」に詠まれた景勝地です。猿もすべり落ちるほどの大木というのはいかばかりか想像もつきませんが、長らく手つかずのまま残されていることで、期せずして奥ゆかしい風情の森となっております。

なお、山口十境詩の石碑と案内版は、古熊神社の鳥居脇にございます。

「大内弘幸公墓所」・みどころ

墓所ですので、みどころというのもご無礼に感じます。何らかのきっかけで大内氏に関心を抱いた方々、著名人の墓所を参詣することでその偉大な功績に触れたいと巡っておいでの方々などはぜひともお参りください。また、かつて「猿林」と呼ばれた景勝地であったことに思いを馳せ、趙秩の詩碑を確認することもおすすめです。

「猿林暁月」

大内弘幸公墓所・猿林

古熊神社の脇から奥へ入っていくと、「大内弘幸公墓」に辿り着けます。その入口案内看板のようなものが、この立て看板です。趙秩の漢詩の書き下し文が書かれています。この辺りが「猿林」なのだな、という感覚でよろしいものかと。

墓所入口・鳥居

大内弘幸公墓所・鳥居

墓所の入口には立派な石鳥居がございます。大内氏歴代当主の墓所について整備してくださった毛利家の方の手になるものではないかと思われます。

弘幸公墓

大内弘幸公墓所・弘幸公の墓

右手前に古墓を整備してくださった方が造ってくださった墓碑があり、「大内弘幸公墓」と刻されております(この写真では台座の部分だけ見えております。全体像はアイキャッチにあります)。ゆえに、墓碑は大内氏時代からのものではありません。背後にある小さな古墓が弘幸公のものとされている石塔です。よく見ると複数並んでいるようでして、具体的にどれがそうなのかははっきりわかりませんでした。

そのほかの古墓群

大内弘幸公墓所・古墓群

こんな感じで並んでいる無縫塔は恐らくは寺院さま関係者のものと思われます。

大内弘幸公墓所・古墓群2

ご覧の通り、見渡す限りの墓碑です。かなり大規模な墓所だったのではなかろうかと想像できます。だとすれば、寺院さまの規模も相当なものであったのではないかと(個人的見解です)。

周囲の風景

大内弘幸公墓所・周囲の風景

ご覧の通りの鬱蒼とした森です。下に見える削平地が寺院さま跡なのだろうか、などと考えてみたり、これぞ「猿林」だと考えてみたりしました。

「大内弘幸公墓所」(山口市古熊)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒753-0031 山口市古熊1ー10 
(※Googlemap にあった住所です)

アクセス

古熊神社の脇の道を上がっていきます。神社には入らず、「約100メートル手前から右」(典拠:『大内文化探訪ガイド No.1中世文化の里』)手の道を進む感じです。古熊神社までは上山口駅から行きます。

参照文献:『大内文化探訪ガイド No.1中世文化の里』

「大内弘幸公墓所」(山口市古熊)について:まとめ & 感想

「大内弘幸公墓所」(山口市古熊)・まとめ

  1. 大内氏第二十三代当主・弘幸の墓所
  2. 古熊神社の脇道を進んで行くと、明の趙秩が「山口十境詩」にも詠んだ景勝地「猿林」がある。かつて、この地が「猿もすべり落ちるほどの大木」に覆われていたことによる命名という
  3. 弘幸墓所は「猿林」の奥にある。かつて、この地には弘幸の菩提寺・永興寺があったとされるが、現在は「跡地」になっており、寺院は存在しない。墓所付近には何もなく、鬱蒼とした森に囲まれた静寂の中にある
  4. 付近にはほかにも大量の古墓があり、かつては広大な墓地が広がっていたのではないかと感じられる
  5. なお、弘幸の菩提寺は「永興寺」とされ、現在、岩国に同名の寺院がある。しかし、当時、山口古熊の地にも永興寺が存在したという説がある。両寺院の建立時期は同時代と思われ、なぜ同じ名前の二つの寺院が建てられたのかは謎。かつて、この地には永福寺という寺院があり、現在は山口市内の円政寺町に移転している。古熊にあったほうの永興寺が改名されたものか、もしくは廃されて別の寺院が跡地に建立されていたものか不明(執筆者がわかっていない)。
  6. 岩国の永興寺、円政寺町の永福寺、そして大内弘幸墓所。三つの場所の関係を紐解くのはかなり面倒な課題である

ゆかりの当主

第二十三代・弘幸 ⇒ ズバリこの方の墓所

旅の楽しみ方は色々ですが、最近では著名人の墓所を巡ることを趣味としている方がおられるそうです。お墓など見て回って何が楽しいのだろう? と感じる方もおられるかと存じますが、そこに埋葬された著名人の偉業などに思いを馳せつつ多くの学びを得ておいでのようです。それはそれで、立派なことだと思います。興味関心の対象は人それぞれ。それこそ旅人の数だけ、異なる楽しみ方があろうというものです。

執筆者は特に墓所単体に関心はありません。しかし、たまたま訪れた場所に著名人の墓所があれば、記念に立ち寄ることはします。また、思い入れのある方の墓所でしたら、お参りすることを目的として訪問することもあります。逆に、お墓には全く関心がなく、墓参りをしている人の考えがわからないという方もおられます。あるいは、お墓というのは極めて神聖な場所ゆえ、写真を撮ったりすることは憚られるという考えのお方も。関心のない方からすれば、物好きだなぁと思われるのは確かかも知れません。人それぞれでよろしいかと。

弘幸公墓所は、山口市観光案内MAPにも載っていましたので、それなり知られた観光地と化しているのかもしれません。あるいは、昨今の墓参りブームを反映して記載されるようになったのやも。いずれにせよ、存在は知っていました。なので、行ってみたいと思う気持ちはありましたが、確かに墓所一つのために長々と歩くほどの関心はなく。そのまま放置していたところ、偶然にも地元郷土史会の先生に、歴代当主の墓所をご案内いただくという夢のような機会に恵まれました。ついでに、会の県外会員に加えていただくことになるという幸運も。こんなボロなサイトと結びつけられることで、会の名誉に傷がついてはいけませんので、お名前は伏せていますが。

そして何より、その墓参り勉強会で、とても博識で魅力的な女性と知り合うことができました。私にとっては彼女との出逢いのほうが、弘幸公墓所への参詣よりもずっとずっと貴重なものとなりました。なんだか素敵な出逢いが墓参りでとか、それこそ墓参り目的の旅人ではないので、何ともいえない気分ではあります。しかし、その貴重な旅の始まりの地がこの大内弘幸公墓所でした。その意味で、ここは忘れ得ない場所なのです。

墓所は奥ゆかしさと静寂、この二文字に尽きます。菩提寺だった寺院さまから切り離され、墓所だけになってしまったゆえにでしょう。寺院さまの奥にある墓所でも、同じような思いになりますので、墓所というものはどこもそうなるようですね。厳かにして静寂。永遠の眠りについておられるかつての当主さま方を偲びつつ。今後も墓所巡りは続きます。

こんな方におすすめ

  • 大内氏歴代当主の墓所を巡っている方(もしくは著名人の墓所一般)
  • 「山口十境詩」に詠まれた場所を巡っている方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

ミルの旅にはいつも俺が付き添っているんだけど……。郷土史の先生と男女二人きりにならないように、とのご配慮から、研究者のお姉さんも同道してくださったんだよね。

ミル吹き出し用イメージ画像(笑顔)
ミル

五郎の姿はほかの人には見えないから。でもそのお陰で大切なお友達ができたの。

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

喜んでるならそれでいいさ。この時の郷土史の先生もすさまじいほど博識で、優しいお方だった。俺もあんなふうになれたら、と思ったよ。お元気にしておられるかな。またお目にかかりたいね。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

そうだね。またお目にかかれるよ、きっと。

五郎イメージ画像(背景あり)
五郎とミルの部屋

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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宗景(サイトキャラ)イメージ画像
大内氏歴代当主の菩提寺と墓所

大内家氏寺と歴代当主の菩提寺と墓所についてのまとめ。二十一代・弘家~三十一代・義隆(+三十二代・義長)すべての所在地と現状についてご紹介してます(山口県外にある義弘墓以外すべて現地に赴いてお参りしました)。※墓所はあくまで「伝承」地です。

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  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン)

ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
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