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赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)

2020年10月9日

赤間神宮・太鼓楼

山口県下関市の赤間神宮とは?

源平合戦で二位の尼に抱かれて壇ノ浦に沈んでしまわれた安徳天皇をお祀りする神社です。かつて、亡骸が流れ着いた場所には、阿弥陀寺という寺院が建てられご供養されていましたが、明治時代に寺院と分かたれて安徳社、ついでご鎮座地の名前から赤間宮となりました。赤間神宮とお呼びするようになったのは昭和に入ってからです。その際には大がかりな改築も行なわれましたが、第二次世界戦の戦渦によって焼失してしまいました。現在の社殿はすべて、戦後再建されたものです。安徳天皇御陵のほか、平家一門の供養塔、さらに、琵琶法師で有名な耳なし芳一の像などがあります。

赤間神宮・基本情報

住所 〒750-0003 下関市阿弥陀寺町4-1
御祭神 安徳天皇
最寄り駅 下関駅、赤間神宮前バス停
主な祭典 例祭(十月七日)、先帝祭(五月二・三・四日)、祈年祭(二月十七日)、新嘗祭(十一月二十三日)
社殿 本殿(流造)、祝詞殿、内拝殿、翼殿、神鐉所、回廊、 外拝殿、脇殿、楼門水天門、回廊、宝物殿、社務所
境内神社 日本西門鎮守八幡宮(八幡大神)、紅石稲荷神社(稲荷大神)、七盛神社(平知盛公外七座)、大連神社(天照皇大神他四柱)
主な建物 鳥居、燈籠、狛犬、十三重塔三基、赤間神宮復興之碑、社号碑、太閤石由来記、石幢、 句碑 (自然石・松尾芭蕉・ 高浜虚子・山口誓子・西尾其桃・木下友敬・土井南国城)、 手水舎、太鼓楼(平成御大典記念)、勅額、由緒記、客殿水天閣、会館龍宮殿 、 参拝者休憩所平家茶や
特殊神事 上臈参拝(五月三日)、関門海峡祭(十月七日)、芳一琵琶供養祭 (七月十五日)、雲丹供養祭(十月二十日)、注連縄祭 (十二月十日)
奉納芸能 能楽の夕べ(十月六日)、耳無芳一屋外劇(七月十五日)、 先帝祭上臈道中(五月三日、市指定文化財)
公式サイト http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/
(参照:公式サイト、『山口県神社誌』)

赤間神宮・歴史

古くは阿弥陀寺という寺院であった。

寛正五年(1464)、歌僧正徹の弟子正広は山口へ下向。当主教弘やその子・政弘、家臣らと歌会を楽しむと同時に、北九州の大内氏分国へ、歌枕観光の旅に出た。その際、渡海前に立ち寄った中に阿弥陀寺の名がある。赤間関に来た人は必ず参詣するような寺院だったのだろう。

源平合戦の折、この付近は壇ノ浦合戦の舞台となった。平清盛の孫・安徳天皇が祖母・二位の尼(清盛妻)に抱かれて海に身を投げて亡くなられた、という話を知らない人はいないだろう(別に知らなくても何ら問題はないけど、学校の授業で必ず教わるはずだ)。よく言われるけど、天皇という方々は位についておられる間は、○○天皇とはお呼びしない。教科書に○○天皇と載っているのは、歴史上の人になってしまわれたからであって、本来は、畏れ多くて実のお名前を口にすることもかなわないお方である。

安徳天皇というお名前は、朝廷が後から贈った「尊号」で、お名前をお贈りすると同時に、御廟所も造って差し上げた(敬語おかしいところあったらすみません)。御廟所は、お亡くなりになった地である長門国、赤間関に建立され、最初は朝廷から遣わされた尼さんが奉仕していたが、やがて僧侶にかわって、聖衆山無量寿院阿弥陀寺という、浄土宗西山派の寺院となった。

赤間神宮となったのは、明治維新の神仏分離令で阿弥陀寺が廃され、神社となったのちのこと。御廟所は安徳天皇社となり、明治天皇の御代、所在地の名をとって赤間宮と改称し、新たな社殿が造営された。明治十三年(1880)、御廟所から安徳天皇の尊像を社殿に移した。元の御廟所も修理されて安徳天皇阿弥陀陵となり、宮内省の管轄となった。

赤間神宮と命名されたのは、昭和十五年であり、社殿も荘厳なものに改造された。ところが、第二次世界大戦における本土空襲によって、社殿は全焼してしまう。安徳天皇尊像や古文書類は別の場所に移されていて無事だった。本殿は二十年の歳月をかけて復興・再建された。

つまり、現在目にすることができる社殿はすべて、戦後再建されたものである。皇室ゆかりのお方をお祀りする神宮ゆえ、皇族方の参拝が数多い。昭和三十三年(1959)、水天門が完成時の昭和天皇御夫妻。三十八年(1963)、平成天皇 (現上皇さま)。五十五年(1985)には、皇太子だった現天皇陛下の御参拝があった。六十年(1985)、 安徳天皇 八〇〇年式年祭の折には、平家ゆかりの宮島厳島神社が舞楽を奉納したという。(以上、参照:『山口県神社誌』)

赤間神宮・みどころ

水天門

赤間神宮・水天門

楼門。昭和三十三年(1959)に完成。龍宮造りという建築様式は世界でここしかないのだという。見ての通り、竜宮城のイメージそのものである。
二位の尼が詠んだ「今ぞしる みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」との御歌から来ており、海の中の都におられる安徳天皇ゆかりのものとして建てられた。幼帝は海底に沈んでしまわれても、その御霊は天上世界におられるとのことから、水天皇大神となり、水天門という名前の由来はここから。

ミル涙イメージ画像
ミル

このお歌の出典はどこなの? ミルたち『平家物語』を読んだけれど、「みもすそ川」なんて詠んでいる歌は見付けられなかった。

山鳩色の御衣にびんづら結はせ給ひて御涙におぼれ、ちいさくうつくしき御手をあはせ、 まづ東をふしをがみ、 伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、其後西にむかはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだき奉り、
「浪の下にも都のさぶらふぞ」
となぐさめ奉( ッ)て、千尋の底へぞ入り給ふ。  
悲しき哉、無常の春の風、忽ちに花の御すがたをちらし、なさけなきかな、分段のあらき浪、玉体を沈め奉る。 
新版 平家物語 全訳注 全四冊合本版 (講談社学術文庫) (Kindle の位置No.49843-49851). 講談社. Kindle 版.

畠山尚順アイコン(卜山)
卜山

「延慶本」の中にある。そなたらが読んでいるのは「覚一本」だ。『平家物語』には多くの異本が存在するのだ。

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五郎

……。

わずかに八歳の子どもにどこまで理解できるんだろう? って思うけれど、お祖母さまに「どこへ連れて行くの?」と尋ねて「極楽浄土というところです」と教えてもらい、旅立つ前にお祖母さまにいわれた通り、きちんと祖先神に手を合せ、西方浄土に向かって念仏を唱える。水中に身を投げても、助けられてしまった人々は何人もいたのに、帝と二位の尼は二度と浮かび上がってくることがなかった。

「悲しき哉、無常の春の風、忽ちに花の御すがたをちらし、なさけなきかな、分段のあらき浪、玉体を沈め」のところでなぜだか毎回、涙が止まらない。安徳帝の御遺体は赤間関に流れ着いたが、二位の尼のほうは、遙々と平家ゆかりの地・厳島まで流されていった。

「惟時昭和三十二年十一月七日大洋漁業副社長中部利三郎氏は卆先多額の 御寄進に加へて曰く即ち関門海底国道隧道の完成と下関市制七十周年大博覧会開催の秋 吾国未曽有の御由緒と関門の此の風光明とに鑑み水天門の建立こそ今日より急務なるはなしと 此処に昭憲皇太后より腸はり御歌の
今も猶袖こそぬるれわたつ海の龍のみやこのみゆきおもへは
に因みて龍宮造となし御造営し奉れは昭和三十三年四月七日 畏くも 昭和天皇 香淳皇后両陛下此の神門の御通初め御参拝を賜はり赤間神宮並に安徳天皇阿弥陀寺陵に詣でてと題し給いて
みなそこにしつみたまひし遠つ祖をかなしとそ思ふ書見るたひに
の御製一首をも下し賜ひし空前の行幸啓に輝く水天門是なり」(説明看板「水天門記」)

赤間神宮・水天門扁額

とてもわかりづらい写真になってしまうけれども、こちらの額は創建当時の皇太子さま、現在の天皇陛下の御染筆です。

「神門楼上に関門海峡を見はるかし 黒漆地に金波輝く水天門の御額は 寬仁親王殿下の御染筆をたまわり 平成十七年五月三日御祭神と仰ぐ 安德天皇八百二十年大祭に際して 宮様お成りのもと思召を以て御自ら除幕を頂いたものであります。」(説明看板「水天門 掲額の記」)

太鼓楼

赤間神宮・太鼓楼

平成二年(1990)に完成した建物。平成天皇の即位御大礼をお祝いして造られた。大きな絵馬が可愛らしい。

「水天神鎮の恩頼を蒙り奉る関門港湾建設社長清原梅義氏は本宮崇敬 会長として夙に敬神の念に篤く 時恰も下関市制百周年を迎うるや本市の発展は陸の龍宮の具現に在りと太鼓楼の造立を発願せられ平成二年一月二十七日旧元旦を期して見事に竣成す 蓋し新帝即位大礼の佳歳にして全国民奉祝記念事業の嚆矢を以て除幕奉献せらる 打鳴らす鼓音とうとうと関門海峡をわたり国家鎮護世界平和の響き四海に満ち水天皇の神威愈々光被せむ」(説明看板「太鼓楼記」)

大安殿

赤間神宮・大安殿

赤間神宮HPの境内案内図から考えて、これは外拝殿だと思う。回廊の奥に内拝殿、祝詞殿、神殿と続く。これらあわせて全体が「大安殿」らしい。

五郎笑顔イメージ画像
五郎

なんだか厳島神社みたいだ!

確かに厳島神社に似ている。回廊の向こう、内拝殿が見える。

赤間神宮・大安殿2

十三重塔

赤間神宮・水天供養塔

幼くして亡くなった安徳天皇に関連して、水難供養の塔がある。「水天供養塔」という。この右手奥に小さな社がチラ見えている。『山口県神社誌』の境内図だと、十三重塔の奥にあるのは「七盛神社」だが、HP の境内案内図だと、その場所には「芳一堂」があることになっている。芳一堂は見ているから、この建物の前まで行ったはずだが、記憶にない。

ちなみに、「七盛神社」は平知盛はじめ平家の人々を祭神とする社ということだが、HP には「七盛塚」という説明があって、「塚」と「神社」が同じものなのか不明(HPには神社の説明がないから、おそらく、同じものなのではないか、と推定)。

平家一門の墓

赤間神宮・平家一門の墓

別名「七盛塚」という墓碑は、一つずつ、どれが誰のものかって決まっている。詳細は、神社のホームページに説明がある。まったく見た記憶がないけれど、付近に説明看板があったはずだ(大寧寺みたいに)。

芳一堂

赤間神宮・耳なし芳一

じつは、かの有名な耳なし芳一の物語の発祥の地はここなのである。その意味で、絶対に外せない一枚だ。タクシーの運転手さんから「耳無芳一を見落とさないように」と教わっていたので、きちんと見ることができたものの、ほかのみどころはすべてなおざりになってしまった……。

そもそも、なにゆえにかこの神社内で撮影した写真はほぼすべてが、ピンぼけになっていた。

安徳天皇阿弥陀寺陵

赤間神宮・安徳天皇阿弥陀寺陵

安徳天皇は赤間神宮にお祀りされているが、元の御廟所も陵墓として整備されている。阿弥陀寺の名前も、ココに残っている。

宝物殿

赤間神宮・宝物殿

所蔵している社宝がものスゴい。平家物語長門本(全二〇冊・国指定文化財)、赤間神宮文書 (全十巻一冊・国指定文化財)、紙本金地着色安徳天皇縁起絵図(全八幅・山口県指定文化財)、平家一門画像(全一〇幅)、源平合戦図屏風(一双)、太刀(一把・伝平教経佩用)ほか。これらが戦渦を免れて本当に幸いだった。(参照:説明看板「御神宝類」、『山口県神社誌』。太刀は『山口県神社誌』にだけ掲載)

宝物殿の見学には、拝観料が必要。ただし、わずかに100円。開館時間 9:00~17:00をきちんと確認してからご訪問ください。

お守り

赤間神宮お守り

お守りはどこの神社もだいだい同じようなかたち(神社の名前が違うくらい)。でも、最近はあれこれとその神社独特のものが売られており、それらを眺めることも楽しみのひとつ。一時にたくさんの神社のお守りを購入したらダメで、自らの崇敬する神様ひとつに絞ってお守りしてもらうべきなのか、その辺の事情、わからないけど、見るだけで買わないことが多いので、あまり気にしてない。

赤間神宮のお守りはとても可愛らしかったので、つい購入してしまった。複数もっていて神様どうしがケンカしたらどうしよう、とか思うけど、厳島神社とゆかりあるところだからいいのかな、との思いです。

追記:購入後、三年が経過。よく、「お守の効果は一年間」とか書いてあるのを見かける。神社さま公式でそのように書いてあるのなら、まだしも(そのような例もある)、その辺の個人が発信している場合、信用はしない。信仰心などかけらもない友人に聞いてみたところ、「一年経ったら『買い換えろ』ってのは、神社やお寺が商売のために言っていることなので、気に入ったらいつまでも持ってりゃいいし、要らなくなったら処分すればいい。飛行機乗って下関まで返しに行くなどもってのほか」と。同感。

ただ、信心深くない人でも、お守をゴミ箱にポイすることはさすがにない。気に入ったから置いておきたかったけど(可愛いもん)、つい巷の噂(置きっ放しにしておくと、悪い『気』が貯まるとか。『悪い気』ってなんなのか意味不明)に引き摺られてしまった。でもまあ、確かに経年劣化(?)で効力は弱まったかもだし、お返ししようかと考えた。すると、神社の札と寺院の札は同じではない(神社のを寺院の古札回収箱に入れたらダメ)とか、購入した神社が遠すぎて直接返しに行けない場合、「神様を揃える(同じ神様を祀る神社に行けということか?)」とか、またしても「巷の噂」が山ほど。信心深い友人に尋ねたところ、近場の寺院を指名して、ここにお返しに行こう、と。

寺院に返したらダメという「巷の噂」は完全に無視(神様がそんな些細なことを気にして祟りしたりするはずがないではないか)。でも、いちおう、地元の神社にお返しした。むろん、神様の種類も無視。しかし……。

「安徳天皇のお守を×氏の氏神にお返ししてしまいました(近かったので)」ということになり、信心深くない病院の主治医の先生曰く「あああ、そういう問題もあるんだ(ちょいズッコケてらした。多分そんなことどうでもいいことだよ、というお考えかと)」。祟られるのはお返しした人物じゃなくて、×氏の神社のほうだろう(と考えることにした。だって安徳天皇は彼らのせいで亡くなられた)。そもそも、神様ですよ。そんな怖いことをなさるはずはないです。

でも、あれこれともはやメンドーなので、毎年必ず訪問する厳島神社以外のお札はもう二度と、買わないことに決めた(よく考えてみたら、厳島神社に行くのなら、安徳天皇をお祀りする三翁神社が近いので、『巷の噂』に耳を傾けることもできなくはなかった……)。

さらに追記:地元の信仰している神社さまで、お守ではないが、「熊手」の効果についてお伺いしてみた。すると、やはり「効果は一年」とのこと。試験前に慌てふためいて購入した「合格を引き寄せる熊手」だったので、一年以内にほかにもあれこれの資格試験を受けることを考え、それもお伺いしてみた。すると、基本、熊手一本(? 数え方忘れてしまった。すみません)につき、願い事はひとつなので、合格できたのならお礼参りしてお返し。ほかの試験用には新たに購入しなければならない、というお話だった。信心深くない友人に話したら、呆然となるだろうけど、正真正銘、霊験あらたかな神社のご神職から直接お伺いしたことなので、事実と思います。「巷の噂」も正しかったのであろう、と。ただし、神社さまや寺院さまによって、考え方は違うかもしれず、やはり、購入した場所で確認すること、そのルールに従うことがマナーであると思われる。

メンドーなので、自宅付近(すぐ返しに行ける)以外のそれらのものは購入しないことをお勧めする次第です。

赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP

ご鎮座地 〒750-0003 下関市阿弥陀寺町4-1

アクセス

赤間神宮バス停からすぐ。バス停までは下関駅から10分くらいかかる。駅から徒歩は少しキツいかもしれない。

参照文献:赤間神宮HP、現地説明看板、『山口県神社誌』

赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)について:まとめ & 感想

赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)・まとめ

  1. 安徳天皇をお祀りした神社
  2. 源平合戦の折、壇ノ浦で入水された安徳天皇の亡骸が流れ着いた場所に建てられた阿弥陀寺という寺院が前身
  3. 明治時代に安徳社という神社となり、ご鎮座地から赤間宮となった
  4. 第二次世界大戦で焼失し、昭和に入って再建され、赤間神宮となった
  5. 安徳天皇ゆかりの神社として、平家一門の供養塔がある
  6. 耳なし芳一の物語発祥地で、芳一の像がある
  7. 竜宮城を思わせる神門は水天門といい、世界でもここにしかない建築様式

大内氏の時代には阿弥陀寺と呼ばれる寺院でしたが、赤間が関では名所の一つであったようで、多くの有名人が訪れた記録があります。昭和時代に再建された社殿ゆえ、新しすぎて由緒がないように錯覚してしまいますが、そんなことはけっしてないのです。

とにかく竜宮城みたいな神社さまでして(こんなことを言うと厳かな神社さまに叱られてしまうかもだけど)、水天門が形容しがたい可愛らしさで、萌え萌えてしまいました。恐らくここは、大内氏ゆかりの地じゃないと思いますが(阿弥陀寺とは分かたれているわけで)、なにゆえにか「行きたいところ」にここを入れた状態で観光タクシーをお願いしていました。まあ、何もいわずとも普通に行き先に組み込まれるとは思われますが。

宝物殿がお宝の山みたいですが、時間の関係でスルーするよりほかありませんでした。前の日にとある寺院の石段から滑落してスマートフォンが壊れ、写真を撮ることができなくなっていたので、いつの日にかもう一度、水天門を見に来たいと思います。

こんな方におすすめ

  • 源平合戦について調べていて、ゆかりの地を回っている方(門司にも行きましょう)
  • とにかく「神社巡り大好きの人なんです」な方

オススメ度


(平家の子孫なので +1 してしまいました。ごめんなさい)
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎不機嫌イメージ画像
五郎

なんだか、俺らや殿様とはあまり関係がない神社みたいだ。ここ、本当に「関連史跡」なのか? ミルが自己都合で平教経の墓参りしているだけでは?

ミル不機嫌イメージ画像
ミル

あのね、これだけ有名な神社と所在地の殿様たちが無関係なはずはないんだよ。敢えて言わなかったけど、大内、毛利もそれ以前の鎌倉幕府北条氏も、みんな篤く信仰していた、と本に書いてあったよ。豊臣秀吉だのなんだのも参詣に来ている。要するに、支配領国内の寺社で無関係なところなどないということ。

五郎涙イメージ画像
五郎

そんな……。いったい県内にいくら寺や神社があると思ってるんだよ? 回りきれないじゃないか。

ミル通常イメージ画像
ミル

別に全部見れなくたっていいよね。だいたい、勢力範囲県内だけじゃないよ。

瑠璃光寺五重塔記念撮影
五郎とミルの防芸旅日記

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
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