山口県山口市滝町の多賀神社とは?
山口大神宮の境内にあり社務所なども共通ですが、いわゆる「境内社」とは違い、独立した別の神社です。滋賀県の多賀大社から勧請されました。創建年代は不明ながら、大内弘世の時代に水の上に再建されたといわれています。ご祭神は国産み神話の伊邪那岐大神、伊邪那美大神二柱で、「お多賀さん」と呼ばれて親しまれていることも多賀大社と同じです。
多賀神社・基本情報
住所 〒753-0071 山口市滝町4−4
祭神 主祭神:伊佐奈岐尊、伊佐奈美尊、配祀神:少彦名命、火具土神 (久須師神社) 、天照皇大神、国常立尊、伊弉册尊、素盞嗚尊、応神天皇、菅原道真命、大内教弘命(七神社)
主な祭典 例祭(五月十五日)、延寿祭(五月十五日)、秋祭(十一月十五日)
社殿 本殿、 幣殿、拝殿、 神饌所
境内神社 御嫡神社(荒御魂・保食神)
社宝 明朝織大内菱金襴、三十六歌仙 (元禄六年)
※住所は山口大神宮に同じ。
http://www.yamaguchi-daijingu.or.jp/taga/index.html
多賀神社・歴史
創建時期は不明だが、近江多賀大社の分霊を勧請した古社とされる。南北朝期、永和年間(1375~78)に大内弘世が再建し、水の上に祀る。
大内義興の時代、亡命して来た足利義材は、周防国滞在中に多賀神社に十七日間参籠したという。無事に京都への帰還を果たすことができるように、と祈願したのである。祈願成就のち、お礼として様々な品が奉納された。永正九年(1512)、義興が義材とともに上洛していた時期にあたるが、多賀大社の再建を行なっている。三月十五日、遷宮の際には勅使が訪れた。
元々、大内氏の崇拝篤い由緒ある神社であったが、大内義隆の時代、大宮司・禰宜右延は和歌に秀で、義隆の覚えめでたく、小座敷衆の最上位であった。右延は従五位下民部少丞に叙位任官されるなど厚遇を受け、天文の国難に際しても最後まで義隆に付き従って自害している。右延の殉死後、大宮司を継いだ長男・言延は慶長二十年(1615)、毛利輝元の命により、大内氏時代の出来事について、自らの見聞を記録した。この記録が『言延覚書』であり、現代も多くの研究者に参考とされている。また、この言延は同じく、輝元の命で、多賀神社境内(当時)に義隆らの霊を祀る宝現霊社を創建したことでも知られる。⇒ 関連記事:築山神社
永禄十二年(1569)十月、大内輝弘が反乱を起こした際に、社殿は焼けてしまい、慶長十五年(1610)十一月、 毛利輝元によって再建された。現在の場所に移ったのは、昭和二十四年(1949)のことである。
山口大神宮の敷地内にあり、連絡先や社務所も共通であることから、境内社かと錯覚してしまう。しかし、神社庁のご本でも別々の神社としてご紹介されているし、そもそも、山口大神宮の説明看板、HPにも多賀神社が境内社であるとは一言も書いておられない。
弘世期以前から既に存在していたとすれば、創立年代的に山口大神宮より歴史が古い神社である。昭和時代に、なにゆえ現在地に移築されたのか理由がわからないけれども、山口大神宮社務所の案内チラシに「伊勢へ参らばお多賀へまいれ お伊勢お多賀の子でござる」と書いてあった。その意味は、伊勢神宮の祭神・天照大神は、多賀大社の祭神である伊佐奈岐尊と伊佐奈美尊の子である、という神様の親子関係をそのまま表している。これだけゆかりが深い両神社なので、山口大神宮を参詣したら、多賀神社にも参詣しましょう、とでもいったところ。
祭神が国生みの神様なので、「延寿・安産の神」として親しまれ、さらに「縁結び・学業成就・病気平癒」など幅広い信仰をうけている。
末社の久須師神社は、元山口後河原水の上に、七神社は上宇野令常栄寺内にあった。ともに、創建年代不明だが、明治六年に多賀神社に合祀された。同じく、末社の御嫡神社も創建年代不明。こちらは、大正時代に多賀神社境内に移転された。
注目すべきなのは、合祀された配祀神の中に、大内教弘命がおられること。元七神社の祭神である。この「七神社」にはほかに、天照皇大神、国常立尊、伊弉册尊、素盞嗚尊、応神天皇、菅原道真命が祀られていた。この社が、元々常栄寺にあった、という点もヒントになる気がする。(ここまでの内容は、山口大神宮HP、『趣味の山口』、『山口県神社誌』を参照として書かれました。)
常栄寺は元政弘別邸、のち、妙喜寺殿菩提寺というゆかりの地。孝行息子によって築山大明神として神格化されたお父上は、こちらにも勧請されていたのかもしれない(典拠なし)。
多賀神社・みどころ
多賀神社は大内輝弘の反乱で戦火に遭っているためか、江戸時代より遡る建造物や社宝はないようである。惜しいことである。ただし、現存する建物が古いか新しいかなど、参詣するにあたってじつは、たいして重要なことではない気がする。お伊勢に来たら、お多賀にも立ち寄って、延命長寿をお願いしてください。どの道、神楽殿と向かい合っているので見落とす方はおられないと思います。
拝殿
「多賀神社は延命長寿の神さまです、太鼓をたヽいておかげをいたヾいてください」と書いてある。
安産石
寿命石とも。「霊石は健康病気平癒安産等を祈りながらさするものです」と張り紙がしてあった。拝殿にも、ここにも、絵馬がたくさん奉納されていた。絵馬は一体500円。
社務所
山口大神宮と多賀神社、並んで名前が書いてある。
御嫡神社
境内神社・御嫡神社。祭神は荒御魂と保食神。多賀神社の向かって左手すぐのところに、隣り合ってご鎮座。
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多賀神社(山口市滝町)のご鎮座地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒753-0071 山口市滝町4−4
山口大神宮境内
アクセス
山口大神宮の境内にあるため、山口大神宮とアクセス方法は同じです。山口駅、もしくは県庁前バス停から徒歩。県庁前からならたったの 5 分。山口大神宮鳥居から入ってください。
参照文献:山口県神社庁様『山口県神社誌』、『趣味の山口』、山口大神宮HP、同案内チラシ、説明看板
多賀神社(山口県滝町)について:まとめ & 感想
多賀神社(山口県滝町)・まとめ
- 山口大神宮境内に鎮座している
- 滋賀県の多賀大社から勧請された、創建年代不明の古社。
- 南北朝期に大内弘世が、永正年間に大内義興が再建するなど深く信仰されていた。
- 義隆期の大宮司・禰宜右延は、和歌にも優れた文化人だったが、大寧寺で義隆に殉じた。
- 大内輝弘の乱で社殿が焼失。毛利輝元が再建をした。
- 右延の跡継・言延が輝元の命でまとめた大内氏についての記録が『言延覚書』で、貴重な史料となっている。
- 現在地に遷されたのは、昭和になってからである。
山口大神宮の境内にあるため、関連神社か山口大神宮の建造物の一つと考えてしまいました。大内義興が一大プロジェクトとして伊勢神宮を勧請した山口大神宮は大内氏の歴史にとって非常に大きな意味をもつ神社です。その境内に間借りしているかのように見えますが、多賀神社も山口大神宮に勝るとも劣らぬ由緒ある神社ですので、そこのところを忘れないようにしなければなりません。地元の方は普通にご存知ですが、よく調べずに山口大神宮に入った観光客には見落としがちな事実です。
多賀神社と大内氏との関わりは、弘世や義興が再建したことはもちろんですが、最大の出来事はやはり、大宮司が国難に巻き込まれて、義隆とともに亡くなったことでしょう。そのくらい、大内家当主の傍近くにいたということです。こうしたゆかりをもつがゆえに、多賀神社大宮司の手になる『言延覚書』が書かれたり、大内氏代々を供養する宝現霊社が建てられたりしたわけです。
問題は現在の多賀神社は鎮座地が変わり(しかも山口大神宮の境内)、宝現霊社も移転・社領没収の憂き目に遭うなどしながら、最終的に築山神社となるなど、当時の姿を偲ぶべくもないことです。「跡地」が存在するのかどうか未調査ですが、元は水の上にあったこと、山口大神宮の境内社(境内にあるという意味では確かに境内社ですが)ではないことに注意しましょう。
追記:「元は水の上にあった」と書かれてあるのを見ても、県外の観光客にはピンと来なかったりするのですが、『大内文化探訪ガイド No.1中世文化の里』を拝読していましたら、「以前は県庁の隣にあったが」と書いてありました。山口県庁さまが、これまた、高嶺に抱かれた最高のロケーションに存在しておられるため、こんな役所、ほかの都道府県にあるかな? と羨ましくて倒れそうになるのですが。著名な観光資源である「山口藩庁門」が県庁の方々の出入り口になっているのを横目で見ながら、生まれ変わったら山口県庁に勤めたい……と思ったものです。昨今、公務員試験は難関過ぎて到底無理な相談ですが。さて、「県庁の隣にあった」となると、元の場所と現在地は、さほど遠くはないように思えますね。だって、山口大神宮さまも県庁から近いですので。
こんな方におすすめ
- 神社巡りや『古事記』などの神話が大好きな方(伊弉諾、伊弉諾、国産み神話)
- 『大内義隆記』も『言延覚書』も知ってる! あの多賀神社がここか! と歴史に思いをはせ感動する方
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
イマドキになるまでは元の場所にあったのに、なんでココに移って来たんだろう?
その理由がいまもって調査できておりません。でも、イマドキっていっても、昭和時代ってもうかなり古い話となるよ。
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五郎とミルの部屋
大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。
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