
今八幡宮・基本情報
住所 〒753-0091 山口県山口市上宇野令828−1
電話 083-922-0083
通称 はちまんさま
主な御祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、玉依姫命、宇治皇子
主な祭典 例祭・秋祭(十月六日)、春祭(四月十五日)
社殿 本殿(向拝付・三間社流造・国指定文化財・文亀三年)、弊殿(切妻造)、拝殿(切妻造・国指定文化財・文亀三年)、楼門(左右翼廊付・国指定文化財・文亀三年)
境内社 八柱神社、稲荷神社、恵比須神社、客人神社、杵築神社(境外社)
主な建造物 社号碑、狛犬、一の鳥居、二の鳥居(石造、毛利秀就寄進)神徳碑(石造・天明六年)、明治天皇御膳水の井戸&上屋(木造、瓦葺)、木馬舎、手水舎、神庫、厩
社宝 楼門額面(天文十二年・二品親王筆)、洪鐘(無銘)、鰐口(天文三年・大内義隆寄進・国指定文化財)、棟札(寛文八年・国指定文化財)、絵馬(寛文八年・国指定文化財)
最寄り駅 上山口駅から徒歩10分、自衛隊前バス停から徒歩1分
公式サイト http://ima8man.com/
今八幡宮・歴史
最初、宇治皇子一座を祀り今八幡宮といった。文明三年(1471)大内政弘が朝倉八幡宮(宇佐八幡宮を山城国男山に勧請したときの行宮だったとされる)を今八幡宮に遷して合祀し、山口総鎮守に定めた。文亀三年(1503)、その子・義興がおおがかりな改築をして、現在のような社殿とした。このことについては、「氷上山興隆寺文書」に「今八幡宮御遷宮は、大内の殿様の御許可の判状がある」との記載がある。(参照:『山口県神社誌』、今八幡宮HP)
今八幡宮・みどころ
本殿、拝殿、本殿が国指定文化財。楼門は山口地方独特の楼拝殿造で、県内ではよく見られるものだが、この建築様式の建物としてはこの神社が最古のものである。(参照:今八幡宮HP)
社宝の中で、鰐口、棟札、絵馬が国指定文化財となっている。
本殿、拝殿、楼門
この、本殿、拝殿、楼門を理解するのが一苦労です。まずは、建物のご紹介ですが、山口市文化財保護課様のHPで確認しつつ、手元にある写真を調査した結果、すべて撮影できていました。見出しは「本殿、拝殿、楼門」となっていますけど、手前から順に行きます。
まず、楼門です。
続いて拝殿。
そして、一番奥が本殿です。
これらのうち、楼門は、山口市、山口県、文化庁とも同じ区分なんですが、拝殿が微妙に違います。山口県&山口市では、こちらで紹介している通り、拝殿と本殿を分けてご説明くださっています。文化庁のほうは、先の楼門も含め、本殿までをずらっと横から見て一列に並んだ状態で、まとめて「拝殿」としています。
鳥居
手前が一の鳥居で、氏子の方々によって奉納されたもの。この奥の二の鳥居が寛永年間、毛利秀就奉納による山口最古のもの。(参照:今八幡宮HP)
八柱神社
今八幡宮氏子のうち、八つの町内にそれぞれ鎮座していた摂末社八社が、明治四十年内務省令により氏神神社に合祀された。その際、今八幡宮石段下に鎮座していた厳島社(旧弁財天社)の社殿を移築、利用した。合祀された神社は以下の通り。
春日神社 (相殿・厳島社)、八幡馬場高鎮座、高御産巣日神、天児屋根命、市杵島姬命
大歲神社、畑(上天花町)鎮座、天照大神、豊受姬命、大歳神
大歲神社、糸米鎮座、豊受姬命
道祖神社、道祖町鎮座、猿田彦神
荒高神社、荒高町(本町)鎮座、菅原道真公
杵築神社、馬場殿小路(天神通)鎮座、大国主命
恵比寿神社、中市町鎮座、事代主命
恵比寿神社、諸願小路鎮座、事代主命
(以上参照:説明看板)
恵比須神社
ご祭神:事代主命
稲荷神社
ご祭神:宇賀御魂之神
客人神社
客人社は二社あり、ご祭神は豊玉 彦神、豊玉姫神である。
明治天皇御膳水の井戸
木馬舎
他県の神社で、絵馬の由来をきいたことがあります。ホンモノの馬を奉納するのは大変なので、絵にかいた馬になっていった、というようなことを。こちらも木製の馬。理由は同じですが、何がたいへんかというところで、あまりに大量の馬を奉納されても、神社の側も牧草地やるわけじゃないから世話がたいへんなんだろう、って思っていました。ガイドさん曰く、神様に奉げるということは、つまり、埋めてしまったりとか、そういう気の毒なことだと。知らなかった……。
アクセス
山口駅から町歩きを推奨します。付近には野田神社&豊栄神社、菜香亭、八坂神社&築山神社……と、大量に見るべきところがあるからです。
参照文献:『山口県神社誌』、今八幡宮様HP、山口市様HP、山口県様HP、文化庁様HP、説明看板
※この記事は20220920に加筆修正されました。
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