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今八幡宮(山口市上宇野令)

2020年10月8日

今八幡宮・鳥居(社殿修理中)

山口県山口市上宇野令の今八幡宮とは?

今八幡宮とは、山口市上宇野令に鎮座する八幡宮です。大内政弘公の代に、朝倉八幡宮と合祀されて「山口総鎮守」と定められました。つづく、義興公の文亀三年(1503)に、社殿の改築が行なわれます。現在の社殿は、そのごも修築などが行なわれているものの、基本は室町時代に改築された建物です。たいへんに貴重な建築物であるとして、国指定重要文化財に指定されました。

神社の創建時期についてははっきりせず、大内氏十九代・弘成公の息女に「今八幡」という女性がいることから、この頃にはすでに存在していたのではないかと考えられています。

今八幡宮・基本情報

住所 〒753-0091 山口市上宇野令 828−1
通称 はちまんさま
主な御祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、玉依姫命、宇治皇子
主な祭典 例祭・秋祭(十月六日)、春祭(四月十五日) 
社殿 本殿、弊殿、拝殿、楼門
境内社 八柱神社、稲荷神社、恵比須神社、客人神社
境外社 杵築神社
主な建造物 社号碑、狛犬、鳥居、神徳碑(石造・天明六年)、明治天皇御膳水の井戸&上屋、木馬舎、手水舎、神庫、厩
社宝 楼門額面(天文十二年・二品親王筆)、洪鐘(無銘)、鰐口(天文三年・大内義隆寄進・国指定文化財)、棟札(寛文八年・国指定文化財)、絵馬(寛文八年・国指定文化財)
公式サイト http://ima8man.com/
(参照:『山口県神社誌』)

今八幡宮・歴史

この神社さまのご由緒は何やらややこしいことになっているらしく、『趣味の山口』にも「此神社の由緒は社頭にある二座の石碑にさへ錯誤がある程で、よく世人に誤解さるるが、要するに云々」と但書があるほど。何がどうややこしく、では何が正解なのかをまとめました。

古すぎて創建年代不明?

そもそも、今八幡宮さまの正確な創建年代は不明です。そのくらい古い、ってことです。由緒ある古い神社さまはたいていそうです。延喜式神名帳云々の神社さまなども古すぎて正確なところは不明だったりしますが、いちおうは何年とか書いてあります。ただ、それが本当にその年代なのかどうかについては史料がないと証明できません。このような場合、「(信頼がおける)史料」に現われた最初の年代を以て「その時点ですでに存在していた」と確定します。

由緒ある格式の高い神社さまの場合、たいてい奈良時代とかそこらの文書に何かしら載っていたりしますので、「確かに古い」ことの証明がなされます。今八幡宮さまについては、そのような確定がなされた年代はさほど古くありません。もちろん、これは「確定がなされた年代」ですから、いつからご鎮座なさっていたかは本当に「わからない」となります。

では、史料で存在が確定できる年代はいつ頃か、というと鎌倉時代です。神社さま HP ほか、さまざまなところで言及されていますが、大内家当主の娘に「今八幡」という女性がおり、その女性がこの神社さまから名前をとったと考えられているのです。「今八幡」さまは、十九代・弘成公のご息女で、これはだいたい後宇多天皇・伏見天皇の御代、つまり鎌倉時代のことになります(参照:『趣味の山口』)。⇒ 関連記事:十九代・弘成の子女大内氏歴代当主の子ら

二社合祀の山口総鎮守

冒頭で、由緒がややこしい、と述べましたが、その理由はこの神社さまが二つの神社さまを合祀して一つにしたところから来ています。

二十九代・政弘公は朝倉八幡宮を今八幡宮の社地に遷して合祀しました。文明三年(1471)のことです。この、朝倉八幡宮というのは、現在も朝倉にある朝倉八幡宮のことです。合祀されてしまったら、元の朝倉八幡宮はなくなってしまったんじゃないだろうか? と感じますが、今八幡宮と合祀されたのちも、元の場所に旧祠を残して祭祀を行なっていたようです。いったい何のための合祀だったのか? と、ますます謎でしかありません。神様は分霊も合祀も自由とはいえ、二つを一つにしたからパワーが増えたりはしないと教わったような気がするのですが……。

あれこれとややこしいといわれるのは、合祀されたがゆえに、のようです。

合祀前二社の御祭神

今八幡宮 御祭神 宇治皇子
朝倉八幡宮 御祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、玉依姫命

二社が合祀されると、御祭神がすべて一社にまとまります。つまり、合祀後の新生今八幡宮には、もともとの「宇治皇子」のほかに、朝倉神社の御祭神であらせられた「応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、玉依姫命」もお祀りされることとなり、たいへんな大所帯となりました。

はて? 八幡宮の御祭神というのは、応神天皇ではないのか? と疑問が湧きます。朝倉八幡宮から、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、玉依姫命が合祀されてきたため、現在は普通に八幡宮と言ったら……という神様方が勢揃いされておられますが、応神天皇がいらっしゃらない八幡宮なんて存在するのでしょうか? 神社さまのご由緒でも、もともとは宇治皇子をお祀りする神社だった、とありますが。けれども、「今八幡宮」のお名前は最初から変っておられないので、合祀前は宇治皇子をお祀りする八幡宮だった、ってことになります。

そもそも、宇治皇子ってどなた? ってことなんですが、たいへんです。宇治皇子は応神天皇の御子様です。つまり、仲哀天皇、神功皇后ご夫妻の御子様が応神天皇、そのまた御子様が宇治皇子なのです。……ということらしいんですけど、宇治皇子って検索するとなぜか、菟道稚郎子皇子に飛ばされてしまい、つまりは同一人物なんだろうと推測しますが、菟道稚郎子皇子の解説文にはどこにも「宇治皇子」なんて書かれていないのですよ(だから検索って信用できない。あとで神様事典で調べるつもりですが、手元にない ⇒ 調べたが載っていない)。

応神天皇には、荒田皇女・大鷦鷯天皇( 仁徳天皇)・根鳥皇子・額田大中彦皇子・大山守皇子・去来真稚皇子・大原皇女・澇来田皇女・阿倍皇女・淡路御原皇女・紀之菟野皇女・菟道稚郎子皇子・矢田皇女・雌鳥皇女…………とまだまだ大量に皇女・皇子がおいでになりました(長幼の順番などは不明。本に出てきた順番。参照:井上光貞、『日本書紀』Kindle 版)。よくわからないけど、関係者らしいってことで置いときましょう。

でもなんで、応神天皇いなかったときから八幡宮だったんだろうね? 勉強不足でわかりません。

さて、朝倉八幡宮と合祀してパワーアップした(しないよ、神様は合祀しても……)新生今八幡宮は、政弘公によって、「山口総鎮守」と定められました。つまりは山口で最もスゴい神社となったわけです。要するに、山口の町を守ってくださる守護神的な存在。非常に大切な神社さまとして定められた、ということです。

法泉寺さまイメージ画像

法泉寺さま
今八幡宮を「山口総鎮守」に制定

文亀三年の大改築

政弘公のご子息・義興公は、今八幡宮の改築事業を行ないました。文亀三年(1503)のことです。現在の社殿は、その後もあれこれと修繕や改築を繰り返しつつ守られてきたものですが、基本はこの時のままですので、ぶっちぎりの国指定重要文化財です。

「国難」と滅亡を看取る

天文二十年(1551)、大内義隆は家臣たちの政変で亡くなりますが、その前年頃(というか正確にはもっと前)から、山口には何やら不穏な空気が漂っていました。十九年秋の例祭で、義隆は今八幡宮と仁壁神社に参詣することになっていましたが、家臣の陶と相良の対立が頂点に達し、両者のトラブルに巻き込まれることを避けて参詣を中止しました。要は、身の危険を感じた、ってことです。両者はもはや、単なる「不仲」とかそういうレベルではありません。しかし、ここで大切なのは、「国難」とやらではなく、今八幡宮さまが、当主自らが秋の例祭に出席するような格式の高い神社として、重んじられていた、ということです。

義隆の死後、当主に立てられた義長は、毛利家によって攻め滅ぼされてしまいますが、国が滅びるかもしれないという、まさに国家の危機に直面しているにもかかわらず、配下の家臣は当主のいうことなどそっちのけで同士討ちを始めました。何の罪もない陶長房を死に追いやった杉重輔と、長房の無念を晴らそうとする叔父・内藤隆世との対立で、ついには山口の町は戦渦に見舞われ、大内氏館も焼けてしまいます。行き場をなくした義長が身を寄せたのが、今八幡宮でした。杉重輔は内藤が己を討とうとするのは当主である義長の差し金かと、あろうことか主君である義長を脅迫する始末。傀儡とはいっても相手は当主なのに、とんでもない所業です。身の危険を感じた義長は宝殿に逃れ、忠臣等のとりなしで何とか事なきを得ましたが、杉対内藤の争いは止まず、杉重輔はついには内藤隆世によって滅ぼされてしまいました。

内部から崩壊している状態で国が滅びるのを止めることなどもはや不可能。義長 & 隆世は山口を捨てて長門へと流れて行き、しまいには二人とも亡くなりました。

主は替れど今八幡宮さまが山口で重要な神社さまであることに変化はなく、続く毛利家の統治下になっても、大切に保護され守り伝えられて現在に至ります。

今八幡宮・みどころ

本殿、拝殿、本殿が国指定文化財。楼門は山口地方独特の楼拝殿造で、県内ではよく見られるものですが、この建築様式の建物としてはこの神社が最古のものです。(参照:今八幡宮さま HP)

社宝の中で、鰐口、棟札、絵馬が国指定文化財となっています。このうち、鰐口については山口市歴史民俗資料館に展示されており、いつでも見ることができます。ただし、どうしても見たい方は、念のため訪問前に問い合せをしてからお出かけください。

この鰐口は大内義隆が今八幡宮に寄進したものとなります。

本殿、拝殿、楼門

今八幡宮本殿、拝殿、楼門説明看板

この、本殿、拝殿、楼門を理解するのが一苦労です。まずは、建物のご紹介ですが、山口市文化財保護課様のHPで確認しつつ、手元にある写真を調査した結果、すべて撮影できていました。見出しは「本殿、拝殿、楼門」となっていますけど、手前から順に行きます。

まず、楼門です。今八幡宮・楼門

 

名称 : 今八幡宮楼門
年代 : 室町後期
西暦 : 1467-1572
構造及び形式等 : 一間一戸楼門、入母屋造、向拝付、左右翼廊 各桁行二間、梁間二間、一重、切妻造、こけら葺
重文指定年月日 : 1907.05.27(明治40.05.27)
出典:国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3206

続いて拝殿。

今八幡宮・拝殿

そして、一番奥が本殿です。

今八幡宮・本殿

これらのうち、楼門は、山口市、山口県、文化庁とも同じ区分なんですが、拝殿が微妙に違います。山口県&山口市では、こちらで紹介している通り、拝殿と本殿を分けてご説明くださっています。文化庁のほうは、先の楼門も含め、本殿までをずらっと横から見て一列に並んだ状態で、まとめて「拝殿」としています。

国指定文化財等データベースの写真がとてもわかりやすかったので、参照できるようにご案内ページのURLをご紹介しておきます。いきなり画像が開くわけではなく、文化財データ紹介ページに写真が掲載されており、拡大表示もできるようになっています(なお、拝殿と本殿がまったく同じ写真、説明文ですが、『本殿』説明文のURLを載せています)。

名称 : 今八幡宮本殿
種別 : 近世以前/神社
時代 : 室町後期
年代 : 室町後期
西暦 : 1467-1572
構造及び形式等 : 三間社流造、向拝一間、こけら葺
指定番号 : 00415
国宝・重文区分 : 重要文化財
重文指定年月日 : 1907.05.27(明治40.05.27)
所在都道府県 : 山口県
所在地 : 山口県山口市八幡馬場
所有者名 : 今八幡宮
出典:国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3204

さて、これら三つの社殿はすべて上述のように「文亀三年、大内義興公によって改築されたもの」となります。

大内義興イメージ画像

凌雲寺さま
文亀三年、大改築実行

当たり前ですが、現在の社殿は文亀三年(1503)当時そのままであろうはずがなく、その後も神社さまによる定期補修が行なわれて現在まで守り伝えられて来たのです。下は工事中の写真(202212)。

今八幡宮社殿(修理中)

補修工事の費用を寄進すると、新しい屋根の葺替えに使う木材に氏名を書いてもらえます。つぎに葺替え工事をするまでの期間限定とはなりますが、記名欄は風雨にあたることがない部分であるため、国指定の重要文化財に長らく自らの名前が記されるという、途方もなく名誉なことになります。

今八幡宮・使用済み屋根

なお、楼門・拝殿・本殿が結合された建築様式は山口地方独特のものであり、境内掲示の説明看板にもその旨が明記されているほか、各種ガイドブックや啓蒙書、文化もしくは建築の研究書に至るまでたいてい指摘されている有名事項です。「山口地方独特」ということは、今八幡宮だけではなく、ほかにも同様の建築様式をもつ神社が県内あちこちにある、ということになります。その中でもココ、今八幡宮の社殿は代表的なものです。

鳥居

今八幡宮・鳥居

手前が一の鳥居で、氏子の方々によって奉納されたもの。この奥の二の鳥居が寛永年間、毛利秀就公奉納による山口最古のもの。(参照:今八幡宮HP)

八柱神社

今八幡宮・八柱神社

明治四十年、内務省令により、今八幡宮氏子のうち、八つの町内にそれぞれ鎮座していた摂末社八社を、氏神神社に合祀。その際、今八幡宮石段下に鎮座していた厳島社(旧弁財天社)の社殿を移築、利用しました。合祀された神社は以下の通り。

春日神社 (相殿・厳島社)、八幡馬場高鎮座、高御産巣日神、天児屋根命、市杵島姬命
大歲神社、畑(上天花町)鎮座、天照大神、豊受姬命、大歳神
大歲神社、糸米鎮座、豊受姬命
道祖神社、道祖町鎮座、猿田彦神
荒高神社、荒高町(本町)鎮座、菅原道真公
杵築神社、馬場殿小路(天神通)鎮座、大国主命
恵比寿神社、中市町鎮座、事代主命
恵比寿神社、諸願小路鎮座、事代主命

(参照:説明看板)

恵比須神社

今八幡宮境内神社・恵比須社

ご祭神:事代主命

稲荷神社

今八幡宮境内神社・稲荷神社

ご祭神:宇賀御魂之神

客人神社

今八幡宮境内神社・客人神社

客人社は二社あり、ご祭神は豊玉彦神、豊玉姫神です。

明治天皇御膳水の井戸

今八幡宮「明治天皇御膳水の井」

読んで字のごとくで、明治天皇が行幸なさった時のお食事を準備するために使われた井戸水だと思われます。

木馬舎

今八幡宮・神馬

他県の神社で、絵馬の由来をきいたことがあります。ホンモノの馬を奉納するのは大変なので、絵にかいた馬になっていった、というようなことを。こちらも木製の馬。理由は同じですが、何がたいへんかというところで、あまりに大量の馬を奉納されても、神社の側も牧草地やるわけじゃないから世話がたいへんなんだろう、って思っていました。ガイドさん曰く、神様に奉げるということは、つまり、埋めてしまったりとか、そういう気の毒なことだと。知らなかった……。

今八幡宮(山口市上宇野令)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP

ご鎮座地 〒753-0091 山口市上宇野令 828−1
最寄り駅 上山口駅から徒歩10分、自衛隊前バス停から徒歩1分

アクセス

公式アナウンスとしては、最寄り駅は上山口駅です。地図を見ると確かに、上山口駅から真っ直ぐ一直線の道が続いており、迷うこともなさそうです(正しい道を歩いているのかどうか、念のためナビゲーションで確認をお願いします)。徒歩 10 分ということです。

他県からの観光客の場合、宿泊地がどこなのか、ということが問題となります。山口や湯田温泉に宿泊している方は、わざわざ駅まで向かってそこから電車に乗り……というような手順を踏まねばならないからです。電車の本数は限られているため、場合によっては大幅な時間ロスとなります。それならば、歩いてしまったほうが面倒ではないし、ついでに山口の町歩きを楽しむことができてお得です(山口宿泊の場合)。

ただし、時間配分についての考え方も、体力も人それぞれなので、交通費をかけることには何の負担も感じないし、歩くのが好きではない方は、上山口駅からも 10 分歩かねばなりませんから、惜しげもなくタクシー等を使ってください。付近には野田神社 & 豊栄神社ほか、観光資源は多々あるので、とりあえず今八幡宮がメインなのでということならば、ここまで連れて来てもらい、その後は周辺の他の観光スポットを見ながらお帰りになるのも手です。

参考文献:今八幡宮様HP、『山口県神社誌』、文化庁様 HP、山口市様 HP、山口県様 HP、説明看板、『日本書紀』Kindle 版、『日本の神様読み解き事典』

今八幡宮(山口市上宇野令)について:まとめ & 感想

今八幡宮(山口市上宇野令)・まとめ

  1. 創建時期はかなり古いと思われるが、確たる史料がない。十九代・弘成の娘「今八幡」の名前がこの神社にゆかりのものであり、この時代にはすでに存在していたのではないか、と推定されている。だとすれば、鎌倉時代のことである
  2. 大内政弘期に、朝倉八幡宮が今八幡宮に合祀され、「山口総鎮守」と定められた
  3. つづく、義興期の文亀三年(1503)に社殿の改築が行なわれた
  4. 社殿は楼門・拝殿・本殿からなり、山口地方独特のものである
  5. 現在の社殿は、義興期に改築されたものが継承されており、国の重要文化財に指定されている
  6. 合祀される前の祭神・宇治皇子についてはよくわからないが(書いている人がです)、応神天皇の皇子だと思われる。現在は、応神天皇が合祀されたことにより、典型的な八幡宮

今八幡宮から大内氏館跡などがある付近まで目茶苦茶近いですと言ったら、嘘でしょ? とお思いになる方が多いかも。町歩きのし過ぎで、もはや感覚的に辿り着く次元になっているため、あの道をこう行って、つぎはこの道を……というような順路を意識することがなくなっています。究極、到着すればいいやん? と思いつつ歩いています。山口の町歩きはそのくらい楽しいです。なので、常に歩け歩けとおすすめしていますが、平然と 45 分とかフツーの人間なので、あまり参考にはなりません。

ただし、フツーに 45 分も道によります。近現代的区画整理が繰り返された結果、わけがわからなくなっているところだと 45 分もぶっ通しで歩くことは危険です。まるで違う方向に行ってしまっている可能性が高いからです。引返すのにまた 45 分とかもう、絶望的です。逆に、昔ながらの町並みでも迷路のように細い路地が入り組んでいたりすると、やはり道を誤ります。この場合も出発点まで戻るのは骨です。その点、真っ直ぐな田舎道とか、山口のように道区画がきちんとした通りは最高です。田舎道は歩けども歩けども同じ景色の連続だと飽きてきますが、山口は観光資源が山ほどあるおかげで、どこに寄り道しても大丈夫です。ゆえに、今八幡宮も徒歩圏内です。

この神社さまのみどころは当然、楼門・拝殿・本殿となりますが、これが凌雲寺さま時代から続くものとか、朝倉八幡宮と合祀したのは法泉寺さまとか、ゆかりが濃厚すぎて倒れそうになります。山口市内はそれこそゆかりの寺社だらけで、一つ一つは埋もれがちとなりますが、今八幡宮さまを忘れては絶対にダメです。山口大神宮さまとか大好きだけど、社殿は伊勢神宮から勧請されているだけに定期的に造り替えるわけで、創建当時のものではありません。寺院さまの場合は、別の人の菩提寺にされてしまったり、酷いケースだと毛利輝元さんの代に壊されて、建築資材にされてしまっております。そうでなくとも、移築されて元の場所にそのままご鎮座されてはおられない神社さまも多いです。そんな中で今八幡宮さまはまことに稀有な存在です。

こんな方におすすめ

  • 神社巡りが好きなすべての方に
  • 国指定重要文化財のような貴重な建築物が見たい方に

オススメ度


これほどの重要文化財をこの目で見ることが可能な神社さまも稀有です。信仰の対象としてお参りする場合、建築物の創建年代などはまったく重要なことではありません。けれども、観光客として、由緒ある建築物を見学したい、となると、とたんに事情は変ります。現代まで守り伝えられた貴重な文化遺産を拝見したい方にとっては、たいへんに貴重な神社さまです。
※むろん、神社さまは基本、参詣するための場所、信仰の対象ですから、賽銭箱素通りで建築物だけを確認するようなことはやめましょう。
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

先代さまが改築なさったそのままとか、とても貴重だね。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

そうだね。ほかの神社や寺院もすべてこうならよかったのにね。

※この記事は 20230413 に加筆修正されました。

五郎イメージ画像(背景あり)
五郎とミルの部屋

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
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