山口県県山口市宮の原の嘉川八幡宮とは?
山口市嘉川にある八幡宮です。由緒は総本社の宇佐八幡宮を勧請したというシンプルなものですが、奈良時代まで遡りますので、たいへん歴史のある神社さまとなります。なお、嘉川の地に鎮座しているゆえ、嘉川八幡宮とお呼びしますが、正式には「八幡宮」でして、鳥居、社殿の扁額などもすべて「八幡宮」となっています。
大内氏とのゆかりは領国内の由緒ある神社さまでしたら、必ずございますが、現地案内看板に明記されていることとしては、永正年間に、大内義隆が社殿を再建した、ということです。現在の社殿は江戸時代初期に再興されたものとなります。
随身像が山口市の指定文化財となっています。
嘉川八幡宮・基本情報
ご鎮座地 〒754-0897 山口市嘉川宮の原 2282
御祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
配祀神 大年の神ほか十柱
社殿 本殿、弊殿、拝殿、楼門
主な建物 鳥居、灯籠、狛犬、手水舎、社務所、神庫ほか
主な祭典 例祭(九月十五日)
特殊神事 上卿社参式
(参照:『山口県神社誌』)
嘉川八幡宮・歴史
奈良時代の天平三年(751)に、宇佐八幡宮から勧請されたのが起源です。元は嘉川の高根ノ岳に鎮座していたそうです。平安時代(延久年間)には、大江匡房が篤く信仰したために、大江八幡と呼ばれていました。現在地に遷ったのは、鎌倉時代の正和年間(1315年頃)に火災に遭ったためです。室町時代、永正年間に大内義隆が社殿を再建しました。現在の社殿は、慶安五年(1652)に再興されたもの、楼門は元禄期(1694年)の再建です。
なお、神社の正式名称は「八幡宮」で、嘉川八幡宮は「通称」です。ですので、鳥居や社殿の扁額もすべて「八幡宮」としか書いていません。
(参照:文化財説明看板、『山口県神社誌』)
嘉川八幡宮・みどころ
『神社誌』によれば、随身像と獅子頭が社宝ということです。このうち、随身像は、弘治二年に製作されたものであり、山口市指定の有形文化財です。
おたび所
御旅所の鳥居と大灯籠です。鳥居のど真ん中にキャラ画像が入ってしまっていますが、地元の方のお住まいの写り込みを隠すための配慮です。ご理解くださいませ。見出しを「おたび所」としたのは、神社さまにあったご案内看板によります。
朱の鳥居
鮮やかな朱の鳥居がとても綺麗です。石鳥居が多い中、けっこう珍しい気がしますね。
社殿
社殿は江戸時代初期の再建物です。しかし、当たり前ですが、江戸時代といえばかなりの歳月を経ているということになります。そして、拝殿と楼門がドッキングした、県内ではお馴染みのお姿ですね。どっしりとした重厚感を感じるのは、長らく信仰されてきたという証です。
で、例によって、脇からも拝見いたします。
若宮社石祠
左手前に、「若宮社(石祠)」というネームプレートが立っています。このようにしてくださっていると、何がお祀りされているのかわかり、たいへんにありがたいのです。
日清戦争戦勝記念碑
こういうのを載せていると、外交問題に発展しないだろうか……。いや、神社さまには意外とコレ多いんだよね、じつは。とかあれこれ考えるならやめておけばいいのですが、案内看板にも載っていたので載せておきます。見ただけでは何の「記念碑」なのか分らなくなっているところが、ご配慮なんでしょうか。かなり新しく見えますので、再建物かな、と思ったりして。
随身像
さて、社宝にして、山口市指定文化財となっている随身像ですが、当然のことながら、そのお姿は一般には拝めません。ですけど、神社さまのみどころをコンパクトにわかりやすく書いてくださってある案内図が設置されておりまして、そこに写真が載っております。この案内図は、嘉川自治連合会の皆さまが製作なさったもので、嘉川の著名な寺社仏閣にはたいてい設置されていると思われます(※すべての史跡に必ず設置されているかどうかは未確認です)。
現物をこの目でみなくては絶対に嫌だ、というこだわりがない方は、こちらの案内図にご紹介されているお写真を拝見すればじゅうぶんと思います(看板では随身『倚』像となっておりますが、座ってるからでしょうね)。
これらの随身像は、クスノキの一本造りで、弘治二年に山口在住の氏頼という仏師が製作したものであることが、内部に墨書されていたそうです(参照:文化財説明看板)。年代モノであることと、地元の方が製作した作品であることの二点がたいへん貴重であるといいます。
嘉川八幡宮(山口市嘉川宮の原)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒754-0897 山口市嘉川宮の原 2282
アクセス
残念ながら、鉄道最寄り駅から歩くことはかなり難しそうです。今回はタクシーを使っております。バスなどの公共交通機関を使っていく方法もあるはずですが、望み薄です。「嘉川」とついている駅から行くのが一番近いんだろうと考えるのが普通ですが、地図を見ている限りでは、新山口駅からも同じくらいに見えてしまうほど遠いです。お泊まりは山口や湯田温泉が多いと思われる観光客の皆さまが、ここまで来るにはどうすべきかあれこれ悩むよりは、素直に観光タクシー(貸切り)が善き哉と思う次第です。
参考文献:現地案内看板、『山口県神社誌』
嘉川八幡宮(山口市嘉川宮の原)について:まとめ & 感想
嘉川八幡宮(山口市嘉川宮の原)・まとめ
- 正式には「八幡宮」といい、「嘉川八幡宮」は通称である
- 奈良時代に総本社の宇佐八幡宮から勧請されたのが起源
- 平安時代に、大江匡房に深く信仰されていたため、「大江八幡」と呼ばれていた
- 元は同じ嘉川の高根ノ岳にあったが、鎌倉時代に火災に遭った際、現在地に遷された
- 永正年間に、大内義隆が社殿を再建している
- 現在の社殿は江戸初期に再興されたもの。楼門は元禄期の再建という
- 木造の随身像二体が山口市の指定文化財となっている。これらの像は弘治二年に、山口の氏頼という仏師が製作したものであることが、内部の墨書から明らかで、古くから伝えられてきたものである点、地元の仏師の手になるものである点が重要とされる
境内には寄進された灯籠が大量にあり、地元の皆さまの深い信仰がうかがえます。いきなりお名前が「八幡宮」となっていて、あれ? 全国にどんだけあるかわからない八幡宮と区別がつかないじゃん、と思いましたが、シンプルに「八幡宮」とだけ名乗っておられる神社さまもそう言えば少ないのかな……と、悩んでしまいました。当然ながら、嘉川にある八幡宮なので、嘉川八幡宮とお呼びしているわけですが、そういう意味では、全国の ○○ 八幡宮って、ご鎮座地を冠したお名前のところが多いですので、あるいは、それらの八幡宮さまも、ひょっとしたら、正式名称は八幡宮だったりして。
これだけ回っていると、もはや同じ名前の神社がいくつも存在する(何カ所もご参詣した)ということは分かって来ましたので、それらの神社さまが、すべて地名を冠せず全く同じ ○○ 神社となっていることを考えたら、むしろ単に「八幡宮」となっていることのほうが自然とも思えます。そう言えば、なにゆえに、八幡宮に関しては皆、 ○○ 八幡宮となっていて、同じ名前のところがここにも……ってならないのでしょうか。たとえば、日吉神社など、すでに三箇所参詣しましたし、ほかだって、いくつもの熊野神社、いくつもの厳島神社があるわけです。八幡宮だけは、なんできちんと名前で差別化しているところが多いんでしょうか!?
気になり出すと止まらないので、夜も眠れそうにない……。
こんな方におすすめ
- 長い歴史をもつ、由緒ある神社が好きな方(奈良時代から存在)
- 八幡宮を信仰している方
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
八幡宮は武家の神さまだよね。全国にどのくらいあるんだろう。きっと数え切れないよな。
恐らくは、夥しい数に上るであろうな。しかし、我らにゆかり深いのは石清水八幡宮と鶴岡八幡宮だ。
どっちも俺には関係ないよ。何なんだ、時々出てくる嫌味な奴……。
だろ? 無視すりゃいいのよ、無視。源氏の氏神とか平家の氏神とか、どーでもいいじゃん。そんなもんより、地元の八幡宮が一番大事なわけ。あれ、平家の氏神ってどこなの? まさか厳島神社だったりして。
朱塗りの鳥居が、厳島神社の大鳥居に見えるよ。やっぱり朱色が大好き……。