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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2024/7/13
かつての大内氏直轄領・安芸東西条(現在は東広島市)にある真言宗寺院。安芸国における宗教的支配の中心として重要視していたと思われる。大内氏時代の伽藍などは残っていないが、大内菱だらけの「本堂内須弥壇及び厨子」が国指定重要文化財になっている。
2024/8/26
大内弘世の代、来日した明国の使者・趙秩が山口を訪れた。弘世の招きで山口に滞在した趙秩は、依頼により山口の麗しい風景を詠み込んだ歌(漢詩)十首を制作した。これが「山口十境詩」といわれる作品。現在山口市内のゆかりの地すべてに、詩碑と説明板がある。
2024/1/19
山口市上竪小路にある浄土真宗寺院。毛利輝元の頃までは、真言宗の祈禱を行なうところとして、とても栄えていた。その後、浄土真宗に改宗されて現在に至る。『大内文化要覧』で大内氏関連寺院となっており、大内政弘が一の坂に移築した寺院であるという。
2024/1/19
山口市大内矢田にある浄土真宗寺院。創建は江戸時代のことで、開山は元々氷上山に弟子入りして法印権大僧都となった智淵房慶乗。浄土真宗への改宗は、毛利輝元夫人・清光院の意向で、かつては拝領の阿弥陀如来もあった。境内に大内弘家の供養塔がある。
2024/11/25
元は古熊の地、大内弘幸墓所の付近が「旧地」とされる。弘幸菩提寺・永興寺が前身のようだが、寺地の変遷、寺号の改名等事情は複雑。
2024/1/19
応永の乱で戦死した兄・義弘の跡を継いだ大内盛見は、兄の子が成長したら家督を継がせようと考えていた。そこで、将来家督争いを起こすのを恐れて我が子を水遊びの最中に川に落としてしまう。その子・豊久丸の亡骸が流れ着いた場所に供養のために建立した寺院。
2024/11/26
大内義長が、キリスト教布教を許可して与えた「大道寺」の跡地とされる場所。元の教会は焼失してしまい、その場所はわからなくなっていたが、明治時代にビリヨン神父がこの場所であると突き止め、公園化された。サビエル記念碑、ビリヨン神父の像等がある。
2024/1/23
大内氏の本貫地にあった寺院。滅亡後は衰頽し、地元の人々の手によって再興された寺院も災害で荒廃。さらに再建されて現在に及ぶが、往時の面影はまったくない。興隆寺二月会にも負けない本堂供養会が行なわれたこと、五重塔まであったことなど今はすべて夢幻。
2024/1/23
元仁平寺の鎮守・山王社。本堂を再建した際、その社頭で大内弘幸・弘世父子の本堂供養会で法楽舞が行なわれたことで有名。大内氏とのゆかりが深い神社である。明治時代になって、日吉神社と改名された。台風被害で境内に移築されてきた愛宕社も弘世代勧請という。
2024/1/23
大内氏始祖・琳聖太子が上陸したという伝説が残る「艫綱の森」。太子はここで村人に製陶の技術を教えたという。上陸した場所とされる場所には祠が造られ、寄舟大明神として祀られていた。道路工事のために、現在地に遷された。跡地にも石碑がある。