義興の母・鳥居大路氏と今小路氏

今小路イメージ画像

大内義興の母についての問題

大内氏歴代当主の妻、および生母といった女性たちについての問題は極めて不確かです。『大内氏実録』の巻十五「列伝一 妻妾」なる項目に、数名の記述がまとめられておりますが、ほとんどが義隆期の人たちです。加えて、『新撰大内氏系図』の但書に「妻・○○」として奥方が記されているケースもございますが、すべての当主ではありません。一夫多妻制だった時代、奥方がお一人だけだったのは極めて稀なケースと思われ、すべてを網羅することは困難です。そのためか、生母が誰なのかわからない当主だらけとなっているのが、現状です。

加えて、父の正妻と生母の問題などまで考え始めると、「母上さまは誰?」という問題の答えを見つけるのは、ほとんどの当主について不可能なのではなかろうかと感じるほどです。

今回は、三十代・義興の生母についての問題について考えてみたいと思います。

まずは、義興の父は政弘であるという事実があります。では、政弘の妻は誰か? となると「わかりません」。少なくとも、『実録』と『系図』には記述がありません。では、何の手がかりもないのかといえば、そんなことはなく、きちんとご研究があります。以下は、米原正義先生の『戦国武士と文芸の研究』からまとめたものです。

政弘妻について

政弘が応仁の乱で長期に渡り在京していたことは周知の如くです。そして、十年余の長きに渡り、傍らに一人の女性もいなかったと考えるのは不自然です。跡継息子・義興の出生は、ギリギリですが、政弘の帰国前とされており、だとしたら、京都に奥方がいなければ、息子が生まれるはずもありません。では、在京中、政弘の妻の座に収まったのはどのような人たちだったのかと言えば、以下のような女性たちが知られています。

政弘室・今小路

二条家分出・今小路氏
従三位左中将成冬の娘と比定

この女性については、『実隆公記』に「抑大内母儀今小路送消息、先年遣状返信也、丁香一函恵之、秘蔵々々」(永正十月十五日条)と記述があります。

米原先生は、今小路と政弘の婚姻を、「足利義政による懐柔策」と書いておられます。要するに、政弘は応仁の乱で上洛中に結婚したのです。

義興母・鳥居大路氏

今小路氏=政弘妻としても、それが必ずしも義興母とは限らないのは普通に考えられます。そして、他の史料に「大内権介母ハ加茂鳥大路氏之母也、母ハ則賀茂竹内之女子、一条殿二祇候之女房也、権介ウハ也、畠山大夫之子二成、能登守護也、大内左京大夫政弘ハ畠山大夫之聟也、畠山大夫之母ハ賀茂竹内也、凡縁者也、竹内之女子鳥大路之女房二成テ生メル子ヲ、畠山トリテ子ニシテ、大内二ヤリタル女房ハ権介之母儀也、」(『大乗院雑事記』延徳四年六月条)とあるのです。

これ読んでも頭が割れるだけですよね。まずは、大内権介=義興を指しており、その母が「加茂鳥大路の娘(原文の母は娘の誤りかとあります)」である、ということです。これが本当だとして考えていきます。ということは、つまり、加茂鳥大路さんと賀茂竹内の娘との間に産まれたのが、「加茂鳥大路の娘」であり、能登守護・畠山大夫はこの人を養女にした。でもって、この畠山大夫の母上も賀茂竹内だった(ややこしすぎる)。畠山大夫の養女となった「加茂鳥大路の娘」が政弘の妻となったので、政弘は畠山大夫の聟である、とそういうことです。

ここで要らない情報は、畠山大夫の母も賀茂竹内であるという件で、畠山大夫に比定される人物が、義忠であった場合、その父・満慶の妻は賀茂社の娘なので、満慶・賀茂氏の子息・義忠という構図は成立。もしも義統だった場合であれば、満慶―義忠―義統なので、賀茂社との婚姻が繰り返されたことになります。

能登畠山家が応仁の乱で西軍に与していたことは周知の通りで、それが縁となっての政弘との婚姻であったかも知れません。

さて、『大乗院雑事記』の記事は、義興が、この母とともに、延徳四年に長谷寺や興福寺を見物したことが記されているといいます。

結局、義興生母は誰なのか?

究極、答えは「わからない」というほかないと思います。鳥居大路氏が生母とするご意見は多いです。『萩藩諸家系図』で有名な田村哲夫先生も、義興母は鳥居大路氏となさっておられるそうです。また、米原先生も、『大乗院雑事記』の記事が正しいのであれば、今小路氏ではなく、鳥居大路氏ということになると書いておられます。そのいっぽうで、先の、『実隆公記』も「無視するわけにはゆくまい」と記しておられます。

理由は、『実隆公記』のくだんの記事が記されたのは、足利義稙の復職騒ぎで、義興が上洛中だった時に記されたものであるからです。ですので、政弘には今小路氏、鳥居大路氏という二人の奥方がおり、そのいずれかが義興の母であることは疑いないが、いずれが生母であるのかについては、後の研究を待ちたいとなさっておられます。

その後、決定打となるご研究が出たと聞いたことはないですから、この問題はこれ以上はどうしようもないと言えます。タイムマシン案件です。

今小路氏のほうが政弘正妻であるのなら、生母が鳥居大路氏であったとしても、義興母とされるのは普通にありそうです。ただ、それについても明確に記したものがあるわけではないですので(あれば、先生方が悩む必要はないはずです)、推測の域を出ません。

なにゆえに、大内氏の系図類が、奥方や生母についてかくもいい加減なのか理解に苦しみますが(それなのに最後のだけは明確に分かっているという点も)、記録が散逸してしまった可能性も捨てきれません。残念です。個人的見解にはなりますが、楽しく寺社巡りをともにしたという点から、生母は鳥居大路氏なのかなと感じました。早くに亡くなられたのか、長寿を全うされたかすら不明ですが、義稙上洛時には亡くなっていて、今小路氏が母がわりになっておられたのかも知れませんよね(個人的見解です)。

ちなみにですが、米原先生のこの考察は、注釈部分にありました。義隆の公家趣味は先祖代々からの流れみたいな話で締めくくられておりました。ただし、本人の生母はただの家臣の娘ですからね。なんともです。要するに義興妻にも公家の娘がいたかどうかなど一切分からないのです。すべて内藤弘矩娘の子女(娘だらけですが……)と考えるのは難しいですけれど、ほかに女性の名前、載っていないですからね。

五郎

『実録』っていい加減な本なんだな……。

ミル

というよりも、史料が少なすぎたんだろうね。史料に対する扱いも昔と今ではかなり違うと思うし。多分だけどね。なんか最近の研究でわけわからないこと書いている先生がおられたけど、意味分かんないから載せてないよ。

【更新履歴】20260204 義興の母・今小路を大幅にリライト

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