ミル@周防山口館

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厳島神社(山口市宮島町)・社殿

関連史跡案内

厳島神社(山口市宮島町)

2024/8/25

大内盛見が安芸国の総本社から勧請したのが起源。応永十三年(1406)のこととされる。以来、明治維新直前期まで、ずっと現在の山口県庁の辺りに鎮座。しかし、毛利家が政庁を山口に移した際に、現在地に移転。社殿の規模も縮小されてしまったという。

恒富八幡宮・入口

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恒富八幡宮(山口市黒川)

2024/1/19

境内神社となっている「高倉荒神社」は、大内氏の始祖・琳聖が、来朝する際に守護神としていた神を祀ったのが起源らしい。大内茂村が創建したとも伝わる。明治の寺社整理で恒富八幡宮の境内に移転した。平成時代に火災で焼失したので、現在の社殿は再建物。

日吉神社(平川)・石段

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日吉神社(山口市平井)

2024/1/19

市内にいくつもある日吉神社のひとつ。近江国日吉社から勧請されたということ以外、何も伝わっていない。江戸時代に、火災によって現在地に移転、再建された。参道石段から右手のほうに、古墳時代の遺跡があり、「日吉神社横穴古墳群」と呼ばれている。

中郷八幡宮・拝殿

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中郷八幡宮(山口市小郡)

2024/1/19

大内氏が宇佐八幡宮から勧請したのが起源。竹田番匠作とされる立派な社殿があったが、明治時代の火災によって失われてしまった。現在の社殿は再建物だが、境内には山口県指定史跡の中郷貝塚や、同じく県指定自然記念物となっている中郷樹林などもある。

正八幡宮・入口

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正八幡宮(山口市秋穂西)

2024/1/19

嵯峨天皇の時代に宇佐八幡宮から勧請されたのが起源。応永年間の火災以来再建されなかったが、応仁元年に大内政弘が再建。元亀五年、大内義興が現在地に移転再建。現在の建物は江戸時代の再建物だが、国の重要文化財に指定されている。

北方八幡宮・入口

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北方八幡宮(山口市阿知須)

2024/1/19

奈良時代に厚東武綱が宇佐八幡宮を勧請したのが起源。大内弘貞が南北に分社。弘家代にもそれぞれを移転。弘家代の移転が現在地で、南のほうは、宇部市に南方神社として鎮座している。火災などによる再建が繰り返され、地元の方々に守られて現在に至る。

嘉川八幡宮・拝殿

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嘉川八幡宮(山口市嘉川)

2024/1/19

奈良時代に、宇佐八幡宮から勧請された。平安時代には大江匡房に崇敬されたため、「大江八幡」と呼ばれた。元は高根ノ岳に鎮座していたが、鎌倉時代の火災により、現在地へ移転。現在の社殿は江戸時代初期に再興されたもの。随身像が山口市指定の文化財。

中領八幡宮・入口

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中領八幡宮(山口市小郡)

2024/1/19

総本社・宇佐八幡宮から勧請された。南北朝期に大内氏の祈願所となり、その滅亡後は毛利氏の祈願所となるなど、支配者の庇護を受け、大切にされた。大内持世の菩提寺・澄清寺の鐘が伝わっており、戦時中の供出も免れて、山口市指定文化財となっている。

本圀寺・入口

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本圀寺(山口市道場門前)

2024/1/19

大内弘世が大覚僧正を招いて建立した西国最初の日蓮宗寺院。第四世・日了上人の時、本門法華宗の祖・日隆大聖人の要請で、京都・本能寺、尼崎・本覚寺の末寺となった。宗祇や細川幽斎のような著名人も宿舎とした。第十二世の上人・可易(号)は連歌で著名。

臨海院・建物全景

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臨海院(山口市黒川)

2024/1/19

浄阿弥という僧侶が「お告げ」により石像を発見。庵を結んで念仏していたところ、大内氏の耳に入り、祈願所「太平山・平安寺」とされた。滅亡後は衰頽し廃寺に。一時期毛利家臣の菩提寺となったりもしたが、現在は東京の回向院末寺を引寺して再興されている。