毛利庭園(防府市多々良)

山口県防府市の毛利庭園とは?
かつての毛利家の邸宅を庭園とあわせてそのまま公開したものです。明治時代の建築とはなりますが、当時の旧藩主のお屋敷をまるごと体験できる貴重な場所です。
併設されている博物館では、代々伝わる貴重な品々を見ることもできます。大内文化の遺産もたくさんあるはずです。
開館日や見学可能時間帯などを確認してからご訪問ください。さまざまな特別展示が行なわれていることがありますので、興味がある時に予定を合わせるのもいいと思います。
毛利庭園・基本情報
所在地 〒747-0023 防府市多々良1-15-1
開館時間 午前9時から17時(202307現在)
※12月22日~12月31日(同上)
入館料(大人) 庭園 400円、博物館 700円、博物館+庭園共通券 1000円
※特別展(国宝)などが開催されている際には、入館料が1000円、共通券も1200円となる(同上)
参照:ホームページ
※入館料や開館時間は変更されている可能性もありますので、必ず事前に問い合わせをしてください。
毛利庭園・みどころ
旧藩主の庭園だの、邸宅だのというものはこんなものだったのか、ということを見てみたい一般庶民のために存在するところ。博物館でも、そういう偉い人はどんなものを所有していたか、ということを見ることができます。
※大内氏の家宝が毛利家のものとなってしまっています。感情的にこの点が耐えられない場合はそもそも訪問しないことをおすすめします。
※博物館や毛利邸内部は撮影禁止(毛利邸は『禁止』とは言われなかったし、その旨の注意書きもありませんでしたが)ゆえ、外部から見える部分の適当な写真しかご紹介できないです。
「旧毛利家本邸」重要文化財碑

このような石碑があるということは、邸宅そのものが非常に貴重であるということ。どうやら「国指定」重要文化財でした。典拠は以下です。ついでに説明もお任せします。
旧毛利家本邸
ふりがな : きゅうもうりけほんてい
棟名 : 本館
棟名ふりがな : ほんかん
員数 : 1棟
種別 : 近代/住居
時代 : 大正
年代 : 大正5年
西暦 : 1916
構造及び形式等 : 木造、建築面積1002.80㎡、一部2階建、入母屋造及び寄棟造、西面唐破風造車寄・北面渡廊下附属、桟瓦葺・銅板葺及び鉄板葺
創建及び沿革 :
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項 :
指定番号 : 02579
国宝・重文区分 : 重要文化財
重文指定年月日 : 2011.11.29(平成23.11.29)
重文指定基準1 : (一)意匠的に優秀なもの
所在都道府県 : 山口県
所在地 : 山口県防府市多々良一丁目15番地1号
所有者名 : 公益財団法人毛利報公会
所有者種別 : 法人
旧毛利家本邸 本館(玄関)
解説文:旧毛利家本邸は、旧長州藩主の毛利家が大正5年に建設したもので、防府平野に張り出した多々良山の南麓に所在し、南側に庭園、北側に本館ほか複数の棟からなる住宅を配置する。
本館は、客間や居間、詰所など機能ごとに分けた各棟を、中庭を囲んでロの字に並べた構成になる。このうち客間は、檜柾目の木材や飾金具、金粉を用いた壁紙など贅を尽くした意匠で仕上げる。本館の北側には家政空間をになう各建物が機能的に配置される。
旧毛利家本邸は、旧長州藩主によって近代に建設された、全体に伝統的な和風意匠を用いた住宅建築である。大規模で複雑な構成の建築を、上質な材料や高度な木造技術による贅沢な意匠でまとめるとともに、コンクリート造や鉄骨造、機能的な配置計画など近代的な建築手法を取り入れており、近代における和風住宅の精華を示すものとして重要である。出典:国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/00004550
なお、こちらは「本館」の説明文ですが、ほかにも「本門」「門番所」「女中部屋」……と大量に登録されています。
毛利元就幟旗

ほったらかしてましたが、来園したのはもう何年も前のことです。なので、最近吉田郡山城跡でみた入城 500 年などの、メモリアルな年ではないですよね。お隣・広島県で毛利元就看板を見てもなんら違和感ないのですが、県内で見かけると、違和感が半端ない。まあ、ここは子孫の邸宅だからしかたなかろうということで。
博物館入口

邸宅全体が博物館のようなものですが、その入口はコチラです。いわゆる「毛利博物館」というものでして、邸宅内にあるのです。
邸宅

邸宅の一コマです。明治時代に旧萩藩藩主毛利家の邸宅として建てられたお屋敷です。現在は旧藩主の皆さま方はこちらにお住まいになっておられず、一般庶民の見学用に、開放してしてくださっているのです。
絵画堂(看板)

どーでもいいけど、工事中で中に入れなかった……。見れるはずのものが見れないのならば、入館料は減額すべきでは? あるいは、あのドンカチやってる中で見れたの? まさかね。重代の家宝とやらが損なわれたら大変です。
祖霊社


名前から察するに先祖代々の霊を祀っている建物と思われます(多分)。
庭園

庭園ではなく、邸宅の庭部分かもしれません。興味がないので、適当に見たことと、季節も悪かったため、何かが綺麗に咲いているという時期ではなかったかと。
多分、完全にスルーした模様ですが、庭園の美しさは折り紙付きで、四季折々の風景を楽しめるそうです。
毛利氏庭園
ふりがな : もうりしていえん
種別1 : 名勝
告示番号 : 57
特別区分 : 特別以外
指定年月日 : 1996.03.29(平成8.03.29)
指定基準 : 一.公園、庭園
所在都道府県 : 山口県
所在地(市区町村) : 防府市多々良
詳細解説: 毛利氏庭園は、山口県防府市中心市街地の東に接する史跡周防国衙跡や周防国分寺境内の北方、多々良山山麓に位置する。
この地には、もと水田の上流部としての溜池や小さな集落があったが、明治25年頃から旧長州藩主毛利家の新しい本邸の場として選ばれ、建設準備が始まった。しかし、折からの日清・日露の役のために遅延し、大正元年になってやっと着工をみ、同5年に本邸と庭園の完成をみたのである。 旧山陽道から北へ、両側に松並木を配した長い進入路を行くと城門風の表門に至る。門の東は土塀、続いて石垣が南の境として巡らされ、さらに外側に濠を設けて城郭風の趣を呈している。濠周囲には桜並木を配して景趣を盛り上げている。
表門を入りゆるやかな通路を進むと、右側に梛川[なぎがわ]渓流が流れ、楓を主体とした植栽が渓谷庭園ともいうべき景観を造り上げている。通路の左側の山裾には、土手と数千株のつつじを配植して渓流側とは対照的な趣を展開している。渓流の中間に架けられた石橋を渡り、ゆるやかに登ると、庭門(中雀門)を右に見て本邸表玄関に至る。また、通路をそのまま進めば、旧明治天皇行在所である梛邸前を迂回して本邸表玄関に至る。
本邸は、3,300平方メートル余の規模をもち、江戸時代の御殿造りの様式を取り入れた近代和風建築である。木曽檜などの良材をふんだんに用いながらも外観としては華美を避け、落ち着いた意匠を示している。また、書院に茶の湯の機能を備えるなど風雅を感じさせる工夫も凝らされているが、この時代にありがちな洋風を極力避け、旧大名家の格式・格調を守る姿勢が感じられる建築である。また、中心の書院だけでなく、家族室、浴室、食堂、諸事務室、土蔵、ボイラー棟、洗濯棟、発電機棟など生活の場がそのまま残されているのは他所に例がなく、貴重な文化財である。本邸の実質的な設計・監督は、東京で多くの実績をもつ原竹三郎が担当し、詳細な史料を残している。また、作庭は、東京仙花園出身の佐久間金太郎が全権を依頼されて指揮にあたったものである。
庭園は、本邸の2階建書院の南正面に広がる大池泉廻遊式である。面積は約55,000平方メートルであり、その内池泉は約5,500平方メートルを占める。書院の前に大振りの庭石と松樹等を配しながら、その前方で大きく一段下がったところで、東からの渓谷で導かれた水を、高さ3・5メートルの巨石の滝石組で落とし、段落ちで小さな北池に注いでいる。この滝石組の両側の護岸は大きな立石を堅固に組み上げており豪華さを誇っている。北池と南に拡がる大きな南池は東西、特に東側に、高く急峻な岬を廻り込むように大きく拡がり、西側の池尻を含めて伸びやかに展開している。屋敷地の東北部で山から取り込んだ流れは、一方が西へ向かい、先の滝組に導かれ、一方は、林間に曲折する渓流やせせらぎとなって南池の東部に入る。2ヶ所から入った水は池泉のなかを循環して南西隅の池尻へと集水されていく。池尻近くの池畔には石浜を造り、汀に庭趣を添えている。ここより再び流れを形成し土塀の外の濠へ流れでる。
池泉周辺には、自然地形を活かしながら、石組、植栽、芝生、東屋、燈籠などを適所に配し、廻遊式庭園の典型を具現している。
庭園の西北部には、この時代の庭園の特徴である、園遊会を主目的にした大芝生広場を設けている。
また、本邸の各部屋に付随して、それぞれ平庭が造られている。いずれも石組、植栽ともに雄大な造りである。
庭園植栽は、松を主体に250種類以上を数え、庭石は、当地産出の花崗岩類の山石、川石が中心である。
この庭園は、選地の優秀性もさることながら、江戸時代を経て伝統ある旧大名家本邸の庭園としての風格を伝えることを第一義とし、加えて近代の活力を屋敷地、建築、庭園全体に導入し見事に表現したことに最大の価値をもつものとして高く評価される。
さらに、設計・施工にかかわる史料を極めて豊富に伝えており、学術的な価値も高く評価される。
よって、名勝に指定しその保存を図るものである。出典:国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/2447
毛利庭園(防府市多々良)の所在地・行き方について
所在地 & MAP
所在地 〒747-0023 防府市多々良1-15-1
※Googlemap に載っていた住所です。
アクセス
ホームページによれば、防府駅から「車で8分」という公式アナウンスです。これしか書いていないため、公共交通機関はないのかもしれません。
参照:毛利庭園、自治体ホームページ、国指定文化財等データベース(文化庁)
毛利庭園(防府市多々良)について:まとめ & 感想
- 旧長州藩主・毛利家の邸宅、庭園を一般公開したもの
- 邸宅の一部を博物館として、毛利家重代の家宝などを公開している
- 明治時代のいわゆる旧藩主たちの邸宅や庭園のありさまを見たい人にとって有難い
大内氏のものだった貴重な品々が、毛利家のものとなってしまっています。そんな場所を心地良く見学できるはずがありません。考えるだけで辛いです。
タクシーの運転手さんに罪はありませんが、「大内氏ゆかりの地」として防府を訪問したことは先にお伝えしたはずです。なにゆえに、ここに連れて行かれたのか、未だに理解に苦しみます。
大内氏ゆかりの品を見ることができる(むろん、常に公開されているわけではないので、企画展の内容を確認すべきです)という点では、それを見るために行くという選択肢もありですが、感情的にそれは無理です。見なくてもいいので、この場所には近寄らない道を選びます。
せっかくの貴重な大名庭園と邸宅も、いい加減に入って出ただけですので、拝観料が完全に無駄となりました。そう考えると、目茶苦茶高いです!!!! しかも、やっていた企画展が、雛人形でして、いったいなんのためにこんなところに行く必要があったんだろうか、とマジ理解に苦しみます。明治時代の元大名庭園や邸宅などに1ミリの興味もないですので、たとえ、毛利家のそれではなかったとしても、自らは絶対に足を運ばない場所です。
こののち、タクシーでの観光はやめました。やる場合は、行く場所をリストアップしてから行きます(つーか、この時もリストアップはしていたはずで、『周防国衙跡』とか連れて行ってくれずに、なぜかこっちに行ってる。運転手さんは本当に良い方で、ようやくどういう観光客か理解できたのちには、心から謝ってくださいました。そんな必要ないのに……)。
防府に来たら、普通に必ず訪れるべき貴重な観光資源です。しかし、完全に入館者を選ぶ場所です。
目的によって、評価はわかれると思いますので、平均値を取っています。歴史に興味がある人や、やっている企画展の内容によっては、掘り出し物を見ることができて、十二分に楽しめるでしょう。庭園、邸宅を楽しむことができる点も貴重です。
俺たちを滅ぼした家の博物館など、興味ないから適当に通り過ぎた。頼んでもいないのに、連れて行かれて迷惑だった。そもそもなんで滅ぼされちゃったんだ? 俺、とうてい信じられない……。
(……)。
新介さま。毛利庭園の次の企画展は何でしょうね? ホームページで確認しましょう!
そうだね。楽しみだよ! 僕たちの遺産を大切に管理してくださっていることに、感謝しています。
……。四季折々の美しさを堪能できる庭園は、防府市自慢の観光資源。維新後の元大名家邸宅の姿を垣間見ることができるのもここだけだ。感情的になっている暇などない。毛利家の偉大さをこの目で確認しよう。
【履歴】20250722 テーマ変更によるレイアウト調整、国指定文化財等データベースへのリンク、参考文献追加