大内庭園・雑録

何かしら大内氏にかかわる記事ではあるものの、どこに分類したら良いのかわからない記事を集めました。要するに「未分類」の記事です。「未分類」も沢山集まれば「未分類」ではなくなりますが、現状ボリュームがたりません。
雑多記事リンクカード集
『陶弘護肖像賛』
龍豊寺(周南市)で見つかった陶氏当主の肖像画。室町時代当時の武士の姿を今に伝えるものとして貴重なだけでなく、その画賛に書かれた文章もきわめて史料的価値が高い。研究者の先生方も出典としてこの「画賛」を引用元に使っているほど。通りすがりのアマチュアもちらっと中身を知っておけばラッキー。
大内家氏寺と歴代当主の菩提寺
歴代当主ごとに存在していた大内家菩提寺。お家の滅亡でその多くは廃絶したり、所在地や宗派、建物の姿を変えてしまった。残っているものも、今に続くものも、どのくらいあるのか数えてみたら?
大内家先祖伝説制作秘話
大内氏先祖伝説を語り継ぐ庭園の住人たち。分散していた殴り書きをざっと一つにまとめてみた。個々の当主さま方の記事の事蹟欄や通史中の出来事との重複は避けられないものの、削除することはできない大切な記事。中身には満足していないので、最終的には伝説の詳細にスポットをあてて大鉈を振るいたい。
亀童丸&鶴寿丸
ちょっと前まで、ここには亀童丸と鶴寿丸が住んでいた。亀は成長して新介になり、鶴もどこかに行方をくらませたが、彼らの名前の由来を書いた記事は残った。大内家と陶家の当主。代々続く、永遠のカップリングの命名秘話。※最初期の頃に書かれたまま、リライトされていないため、修正しないと恥ずかしいです。
新介の母・今小路殿
※リライト中
家系図の話
家系図の問題をどこかにまとめておかないと、「自分の知っている順番と違う」「情報が古いのでは?」というクレームが止まないため、念のため「このサイトでの」方針のようなものを明らかに。個別の分家研究者や系図専門家のご意見はもっと詳しいかも知れないですが、あくまでここは、『大内氏実録』と『新撰大内氏系図』の世界観です。
大内氏守護領国分布図
目茶苦茶簡略化された大内家分国支配地図。取り敢えずこれで OK です。真面目にペラ記事にしかなりませんので、メインサイトから退出させました。
系図に名前あるけど「詳細不明」の先祖たちまとめ
琳聖太子は別格ながら、史料に出て来る盛房さん以前の人たち、よくわかんない……。という気の毒な人たちを拾い上げる。誰しもご先祖なければ今の私なし、です。要するに、情報が少なすぎて、一人で一項目を作れない方々をまとめました。
築山大明神とは?
孝行息子によって神格化された大内教弘の神号。その信仰は歴代当主にとどまらず、家臣たちの間にもおよんだ。滅亡後、毛利家によっても祭祀が執り行われたとか行なわれなかったとか。いずれにしろ、現在は存在しない「神さま」である。
大内氏系図における「六代欠落」の問題について
大内氏の系図には、始祖から八代までの間に、六代分の空白がある。もはや、名前すら調べられそうにない絶望的な人々なのに、寺社縁起や物語の類にはきちんと名前が載っている。名前がわからないだけで、存在はしたのか、あるいはそもそもいなかったのか。今となってはどうすることもできないが、無視できないほどリアルに存在をアピールしている寺社縁起なども存在している(龍福寺には肖像画や位牌まである)。
陶氏系図あれこれ
宗家の系図も不完全だけれど、分家も事情は同じ。陶氏部分だけを取り出して、その件について考えてみました。すべての分家でこれくらい研究が進めば、将来より完璧な総合系図ができるかもしれません。とはいえ、その陶氏の系図すらやはり、不完全なのでした……。
山口十境詩とは?
弘世期に明の文人・趙秩が依頼により、山口の景勝地について麗しい漢詩を詠んだ。現在に伝えられるそれらの漢詩が詠まれた場所に、趙秩の詩を刻した石碑と記念プレートが立っている。いわば「山口十景」ともいうべき麗しい光景が広がっていたと思われる。それらすべてをコンプリート!