イマドキやまぐち

吉香公園(岩国市横山)

吉香公園・看板

山口県岩国市横山の吉香公園とは?

吉川家の居館跡や家臣たちの屋敷跡を整備した公園で、「日本の歴史公園100選」にも選ばれた風情ある公園で、季節によって異なる花々や見事な大噴水などを楽しめます。Googlemap などで調べると、いちおう公園の敷地はこの範囲内というように区切られておりますが、城下町そのものが、そっくり歴史公園のようなものなので、どこからどこまでが吉香公園と決めつける必要もなさそうです。

自治体さまホームページなどのご紹介でも公園内外にみどころが大量にあるという解説です。ココが公園敷地内ということはあまり意識せずともいいのかもしれません。

吉香公園・基本情報

所在地 〒741-0081 岩国市横山2丁目6−51
※Googlemap にあった住所です。

吉香公園・概観

Googlemap で確認すると、緑色になっているところが公園の敷地なのかな、と思います。そうであるならば、主なみどころとしては、中央の噴水を除けば、以下のようなところです。

岩国シロヘビの館、旧目加田住宅、吉香鵜の里といった施設。吉川広家公の像、宇野千代先生の碑等々。ほかには、休憩所やベンチ、公園管理事務所などがございます。

しかし、吉香公園のお隣にある吉香神社も、もとご当主さまの居館跡地に建てられており、同じく公園化されています。また、周辺にはほかにも、花菖蒲園、岩国徴古館、吉川史料館など数え切れないほどのみどころがあります。

そんなところから、公園単体というよりも、周辺も含めてまるっと観光してしまうのが定番です。時間がいくらあっても足りませんね。

吉香公園・みどころ

シロヘビの館と旧目加田家住宅以外は、公園外の施設をご紹介しております。

シロヘビの館

吉香公園・シロヘビの館

国の天然記念物となっている「岩国のシロヘビ」を見ることができる博物館です。ヘビは苦手……と通り過ぎようとしているそこのあなた。ヘビはヘビでもシロヘビは神さまのお使いとして、とても大切にされている生き物です。おまけに、福運金運のご利益があるときいたら、ヘビは苦手と言っている場合ではありません。中へどうぞ。

旧目加田家住宅

吉香公園・旧目加田家住宅入口

吉香公園・旧目加田住宅

「国指定重要文化財 旧目加田家住宅
指定年月日 昭和15年2月5日
目加田家は近江国愛知郡の出身で、天正年間に吉川元春に召しえられ、吉川広家が 慶長五年(1600間)関ヶ原戦いの後、 出雲の富田から岩国に移封された時に広家に従ってこの地に移り住んだ。江戸時代中頃の屋敷割図によると、既に現在地に位基を構えており、文政の頃には御用人役を勤めて知行百七十石取りであったことが御家中系図に記録されている。この住宅は18世紀後半の建築と指定され、中級武家の住宅としては全国でも数少ない遺構の一つとして、昭和49年2月5日重要文化財に指定された。
建物は入母屋造り、桟瓦葺きで、土間側面を除いて三方に庇を巡らし、南西に面して建つ。間取りは正面に式台付きの玄関間を設け、向かって右に中間部屋、左に表座敷2間を配している。中間部屋の裏は土間で平常の出入り口とし、続いて中の間、台所、板の間等を設け、表座敷の背後には中廊下をはさんで裏座敷3間を配し、裏座敷上部には屋根裏部屋が設けてある。 屋がある。総体的に木割が細かく、松を主材として簡素ではあるが隅々まで端正な構えをみせている。なお、筋葺きに用いられている特殊な形の桟瓦は「両袖瓦」と呼ばれ、この城下町西岩国地区に集中してみられる地方色として注目される。
建築後、およそ200年を経て建物は全体に緩みをきたしたほか、数回に及ぶ床下浸水による腐朽に加え、蟻害も広範囲に及んでいたため、昭和52年10月から解体修理工事を起し、同53年12月に竣工した。修復に当たっては、できるだけ古材の再用に務め、やむを得ず取り替えを必要としたものは同種材をもって補足し、形式、工法等は従来の技法を踏襲して、当初の姿に復活した。
平成31年1月
岩国市教育委員会」
(看板説明文)

岩国城の歌碑

吉香公園・岩国城歌碑

なんと、岩国城には歌も作られており、曲もついているようです。聴いてみたいな。

佐々木小次郎の像

吉香公園・佐々木小次郎の像

なにゆえに、このようなところに佐々木小次郎の像があるのだろう? という疑問にはとなりの石碑が答えてくれていたのですが、写真はピンぼけていて読めず、かなり前に見た話なので、忘れてしまいました。

吉川経家弔魂碑

吉香公園・吉川経家弔魂碑

「吉川経家弔魂碑
天下統一を目指す織田信長は、天正八年(1580)六月、羽柴秀吉をつかわして鳥取城攻めを開始した。鳥取城主山名豊国は、城内の多数の意見を無視して秀吉に降伏し、城外に脱出した。豊国の家臣達は吉川元春に城将の派遣を要請し、元春は石見国温泉津福光城主吉川経家に命じて城督とした。天正九年三月、経家が入城し域内を調査したところ、貯蔵された食料がわずか三カ月分位しかなく、食料の補給を図ったが、城内に搬入しようとする輸送船は、すべて秀吉軍に捕獲された。
時日が経過するに従って餓死する者が続出し、その惨状は言語に絶した。開域の条件とし て、城兵全員の救助を誓約し十月二十五日「天下を争う織田、毛利両家の二つの御弓矢の場で切腹する自分を名誉に思う」という遺書をしたため、城内広間において三十五才の命を断った。その子孫は岩国藩に仕え、藩政に貢献した。
その英魂を弔うため、昭和十四年弔魂碑が建立され、礎石に鳥取城の石十二個が使用されている。なおこの場所は、江戸時代にその吉川氏の屋敷のあった所である。」
(看板説明文)

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

結局、毛利は織田ってのにやられてしまったのか。「名誉に思う」ってカッコいいけど、やはり亡くならないで欲しかった。三十五歳なんて、若すぎるじゃないか。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

(君も三十五歳だったんだよ……)織田なんてのは、君が尊敬する吉川元春公とは比較にならないどうでもいい人物だ。それを証拠に最後は家臣の叛乱で倒されてしまった。倒した人は明智さんと言う人だけど、その人を悪く言う人は誰もいないよ。ワルモノの大将が死んだので、その子分の手に天下が転がり込んだんだ。

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

「天下人」などと名乗ることになった連中には、誰一人として、元就公のような仁徳者はいなかった。欲のないお方ゆえにか、天下など取るなと言い残されたが。毛利家の天下を見てみたかったな……。さすれば、その後の悪政もなく、参勤交代だの、一国一城の制だのいうヘンテコなこともなかっただろう。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

広島と山口が天下の中心となるのを見てみたかった。東京なんて、東すぎるよ。

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

下の神社はこの方をお祀りしたものかな? お城のみんなを守ってくれてありがとう。イマドキの民もあなたの優しさを忘れていないよ。

吉香公園・吉川経家弔魂碑(2)

自らの命惜しさゆえにか、城内の人々の意見を無視して、悪魔の手先に降伏した山名姓鳥取城主にもびっくりするけど、取り残された彼らの願いを聞き入れ、経家さんを送り込んだ吉川元春さんは立派すぎる。一発逆転してワルモノを追い払い、城を守り抜いて欲しかったけど、時代の流れには抗えず、この後も子分による執拗な嫌がらせは続き、毛利家は結局、羽柴という人物(織田は殺されてたので)の風下に屈することになってしまいます。

天下を取れること=仁徳者ではないことは、歴史が証明しています。そんなことも、今はもう、遙かに昔のことになりましたが。多くの犠牲者を出しつつ、今ひとつの人物の手で天下は統一された模様ですが、その後しばらく平和な時代が続いたことが唯一の救いでしょうか。

ただし、この「子分」については、外国を侵略するなど、天下を統一してもなお、悪事は続きました。

香川家長屋門

吉香公園・香川家長屋門

至るところに、城下町の面影を偲ぶ歴史的建造物が点在することも、岩国の大きな魅力の一つ。これもそんな中の一つです。それらの美しい城下町・岩国を形作っている建築物群には「景観重要建造物」のプレートがついています。この門も立派なそのうちの一つです。

「山口県指定文化財
一 建造物 香川家長屋門一棟
一 指定年月日 昭和四十一年六月十日、山口県有形文化財
一 管理团体岩国市
說明
香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で今から二百七十年余前香川正恒が建造したもので建築面積 一二三、一四平方メートル江戸時代の武家門造の典型として成下町岩国をしのぶ好個の資料であります。
香川家は初め芸州(広島県)八木城主で古川広家が岩国に移封された当時から家老に取り立てられた名門であり、かの歴史的に有名な陰徳太平記は正恒の父正矩苦心の作で正恒の弟景継が大成したものであり ます。その他に香川家からは為政者あるいは歌人の優れた人物が輩出しています。この長屋門は昭和三十年一月二十五日山口県指定文化財顕彰規定により指定されていましたがその後昭和四十年山口県文化財保護条例が制定されて同四十一年六月十日山口県有形文化財の指定を受けました。
なお、この建造物は当主香川晃氏から昭和三十年十月二十五日、岩国市に寄贈されております。 
岩国市教育委員会」
(看板説明文)

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

元持ち主の人が町に寄贈するって、いい話だね。でも、香川さんって、どこかできいたことがある名前なんだけど。誰だっけ?

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

忘れたのか? 『陰徳太平記』をお書きになったのは、香川家の人だ。

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

あ、確かにその本、きいたことある。でも、何だっけ?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

思い出さなくていいから、先へ行こう。

吉香花菖蒲園

吉香公園・吉香花菖蒲園

花咲く頃ではなかったので、看板だけです。桜あり、菖蒲あり、満開の季節に訪れたら、どれほど綺麗なことでしょうか。そういう頃は、旅行代金が高騰するので来ることができません。

吉川史料館

吉香公園・吉川資料館

「吉川史料館
KIKKAWA HISTORICAL MUSEUM
当館は、旧岩国藩主吉川家の隠居所であった「昌明館」跡地に、 公益財団法人吉川報效会が平成7年11月に建設した「登録博物館」 です。収蔵品はすべて吉川家伝わる文化遺産で、これらの貴重な史料を散逸することなく永久保存し、多くの皆様にご鑑賞いただくことを目的として運営しています。
平安時代から約840年の歴史を持つ古川家に伝来した国宝1点、 重要文化財約2,500点、重要美術品8点を含む約7,000点の歴史資料、美術工芸品を 年3~4回の展示替えにより紹介しています。(1回40~50点展示)
淡路の白砂利を敷き詰め、黒みかげ石の石舞台を配置した庭園は世阿弥の「風姿花伝」をイメージして作られ、ガラス張りのロビー からは城山の自然林と岩国城を借景とした四季折々の自然をお楽しみ いただけます。」
(看板説明文)

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

廿日市の先生ときたら、なんど説明しても、吉川元春さんが『太平記』を書写したものしか思い浮かばないんだけど、ココに来たら絶対にみたいのは外祖父さまが集めた『吾妻鏡』なんだよ。

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

そうなの!? 外祖父さまは陶家一のイケメンな上に博識。でもって武勇伝もある。文字通り祖父さまと一二を争う歴代第一のお方だよね。あ、父上も中に混ぜていいかな。へへ。

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

祖父さま、鶴千代も立派にお勤めする身分となりました。

右田弘詮イメージ画像
兵庫頭

うんうん。そなたも苦労したからなぁ。今は立派になって、祖父も嬉しく思う。

五郎吹き出し用イメージ画像(怒る)
五郎

え!? 何、外祖父さまがなんでお前の祖父さまなんだよ?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

言いそびれていてごめんね。君の母上(外祖父さまの娘)と鶴ちゃんの父上(外祖父さまの息子)は兄妹なんだよ。

右田弘詮イメージ画像
兵庫頭

従兄弟どうし、仲良くしなさい。

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

嫌です!

五郎吹き出し用イメージ画像(怒る)
五郎

俺より先に言うな!

よりにもよって、この日の展示品は「吉川家と和歌」。素養のないミルたちにはさっぱりだった。現在『吉川本吾妻鏡』として世に知られている『吾妻鏡』の写本は、じつは、右田弘詮さまが蒐集、書写されたものです。近現代となり、古文書研究が盛んとなった折、『吾妻鏡』も当然、重要な研究対象となりました。しかし、散逸している部分が多かったり、本によって記述が異なっていたりして、研究者たちの作業は困難を極めました。

当時、何種類かの『吾妻鏡』の写本が伝えられていることが知られていましたが、未だ「吉川本」を手に取る人はいなかったのです。後に、その存在が明らかとなると、研究者たちがあーでもない、こーでもないと議論が錯綜していた部分がすっきりと解決しました。なぜなら、「吉川本」はそれほど、完璧で優れた版本だったゆえにです。

そして「吉川本」とついているからといって、吉川家で研究され、書写されたものではけっしてないことを、どうか心の片隅に置いておいていただきたいのです。「吉川本」吾妻鏡はじつは「右田(陶)本」吾妻鏡なんです。かつて、大内家に伝えられていた数々の至宝が今は毛利博物館のものとなってしまったもの悲しさは如何ともしがたいのですが、なにゆえに、この吾妻鏡だけは、吉川家に伝えられているのかが謎です。しかし、これまた不思議なことに、本家ではなく、吉川家に伝えられてくれていたことを嬉しく思うのです。

「吉川本」吾妻鏡は常設展示品です。しかし、巻数が多いため、展示されているのは数ページ分だけです。つまり、ほかの展示品を入れ替える際に、巻やページをあらためるんですね。なので、すべてのページをこの目で見たいと思うなら、展示品が変る度に、生きている限り通い続ける必要があります。寿命が尽きるまでにすべてのページが展示される幸運はないでしょう。でも、所詮その場でスラスラとは読めないのですから、ガラスケース越しでも現物を拝めただけで感激の嵐です。

昌明館

吉香公園・昌明館

岩国市指定文化財
昌明館付属屋及び門
指定年月日 平成七年十月十一日
所有者 財団法人吉川報效会
寛政五年(一七九三)岩国藩第七代吉川経倫公の隠居所として建築された昌明館に付属する建物の一部である。
昌明館は、享和三年(一八〇三)経倫公死去後、第八代経忠夫人の喬松院の居所とされ、その後明治四年(一八七一) 藩置県の時、岩国県庁が置かれ、以後一時、子孫の方が入居されていたが、後に解体された。
残された長屋二樓、門一棟については 十八世紀末頃の建築様式をよく留めており、文化財に指定された。
平成七年十一月一日
岩国市教育委員会」

吉香公園・昌明院庭園から岩国城を望む

史料館の案内文にあるように、庭園から望む岩国城が素敵です。この日はあいにくの雨降りだったのですが、そのおかげで、靄がかかって、何とも幻想的な雰囲気となりました。

吉川徴古館

吉香公園・吉川徴古館

吉川史料館とこちらの徴古館とどこが違うのか。恐らくは、こちらは古文書などを扱っておられるのだと思います。観光に来て、古文書読みに入るのもなんですし、中には入りませんでした。

吉香公園(山口県岩国市横山)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 山口県岩国市横山2丁目6−51

※Googlemap にあった住所です。

アクセス

岩国城、錦帯橋と同じく、岩国、新岩国からバス、またはタクシーを使います。「吉香公園」がどこなのかは、分りづらいかも知れません。看板も小さいですし。ですが、至る所に、案内標識がついていますし、迷うことはないと思います。存在地よりも、どの範囲までが公園なのか、というほうがわかりづらいです。

参考文献:現地案内看板

吉香公園(岩国市横山)について:まとめ & 感想

吉香公園(岩国市横山)・まとめ

  1. 吉川家の居館、家臣の屋敷跡などを歴史公園として整備した市民の憩いの広場
  2. 日本の歴史公園100選にも選ばれている
  3. 中央の大噴水が有名。様々な花に彩られ、開花の季節には美しい光景を満喫できる
  4. 内部にある主な施設は、シロヘビの館と旧目加田家住宅
  5. 向かいにある吉香神社も同じく歴史公園として整備されており、もはや、町中すべてが歴史公園化しているので、吉香公園はどこ? と真剣に探さずとも、隅々町歩きしていたら自然に通っている。むしろ、この公園だけですべてが終了するわけではないので、周辺にも気を配る必要がある
  6. 付近にある「香川家長屋跡」「吉川史料館」などは必見

じつは、シロヘビの館に入っていないため、吉香公園を満喫したとは言えません。また、大噴水も放水していなかったので、その存在に気付きませんでした。上の案内文にある吉川史料館や、吉川経家弔魂碑などはほとんど地図上の公園の敷地内と思しき場所の外側にあります。

正直、どこからどこまでが吉香公園の敷地なのかという問題は、Googlemap だけで判断していますので、誤りがあるかも知れません。しかし、自治体さまホームページなどでも、吉香神社の境内周辺は吉香公園同様に公園化されている、というご説明でして、だとすると、神社の歴史公園と吉香公園は別物。史料館その他の施設も公園外部にあるという認識が正しい気がしています。

それならば、吉香公園だけで一つの項目を立てるのはかなり困難であることから、そこら中の史跡をすべて詰め込んでしまいました。なので、吉香公園というより、その周辺も含めた史跡群のご案内となっています。

近世日本の〇〇藩とやらが、全国にいくつあったのかはわかりませんが、その土地の風土や気風、加えて当主の家の雰囲気などによってその風景は千差万別だろうと想像するのです。昨今、そのような昔語りはもう古くなってしまい、どこも同じく観光地になっているかもしれません。でも、どこかに、その町独特の香りが残されているように思います。本家の居城があった萩は隣の津和野(なぜか常にひとまとめにされる)と並んで、美しい城下町の風情が残る町として人気の観光スポットになっています。恐らく、岩国よりも規模も大きいのだろうと想像します。でも、この町の雰囲気がとても好きです。ここには、本家とは違う、吉川家の香りが満ちていると思うのです。どなたが名付けたか存じ上げませんが、「吉香公園」という名前の響きが、とてもしっくりくるなぁ、と思いました。

こんな方におすすめ

  • いわゆるかつての城下町の風情とやらが好きです
  • 有名な歴史公園を回って楽しんでします

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

多分、吉香公園だけで記事を書くためには、「四季折々の」花々とやらを観察しまくらないとだめなんだね。俺たち、噴水すら見てないもん。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

いいじゃん。ミルたち花より団子だし。旅行代金気にしながらの貧乏旅だから、桜や紅葉の写真はどこにもないよ。そんなことより、外祖父さまの吾妻鏡が見れただけでもう最高♡

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

「祖父さま」だ

ミル吹き出し用イメージ画像(怒る)
ミル

同じお人ですので

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

お前、ずいぶんと毛利家贔屓だけど、本当に俺の身内なのか? もしかしたら、俺も大人になったら、毛利家の家臣になって生き残ってたりしたのかな? だったら、せめて吉川家の家臣がいいな……。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

(君に限ってはそれ、絶対にないから……)

鶴千代イメージ画像
藩政期・明治維新・現代の観光資源

大内氏について語るというメインテーマとは外れる県内の主要観光資源についてご紹介している記事の目次ページです。当然のことながら、毛利氏に関するところが多いので、広島県内の訪問済み箇所も混じっています。

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