漢陽寺(周南市鹿野上)

山口県周南市鹿野上の漢陽寺とは?
応安七年(1374)、大内弘世が鹿苑庵という庵を結んだのが起源とされます。大内盛見によって建立され、開祖は用堂明機禅師です。大内氏代々の祈願所として栄えました。
重森三玲氏によって造園された七つの日本庭園が有名で、ここ一か所だけで、日本庭園のいろはを学び尽くすことができるほどです。
漢陽寺・基本情報
住所 〒745-0302 周南市鹿野上 2872
山号・寺号 鹿苑山・漢陽寺
宗派 臨済宗南禅寺派(南禅寺別格地)
拝観時間 9:00〜16:00
拝観料 400円(中学生以下無料)
公式サイト http://kanyouji.or.jp/
※拝観時間、拝観料は 202003 当時のものです。最新情報は公式サイトでご確認くださるよう、お願い申し上げます。
漢陽寺・歴史
応安七年(1374)、大内盛見によって建立、開祖は用堂明機禅師とされています。しかし、『山口県の歴史散歩』の指摘によれば、寺院が創建されたとされる年には、盛見はまだ出生していません。このところ、少し伝承的要素が強いのかも知れません。恐らくは年代が誤って伝えられらものかと(個人的な意見です)。
前身は、盛見の父・弘世が建てた鹿苑庵と呼ばれる庵で、康暦二年(1380)、十刹に昇格しています。恐らくは、盛見代に、弘世期の庵を立派な堂宇に再建したのでしょう。寺院は、「南禅寺別格地」として、極めて格式の高い名刹でした。代々、大内氏の祈願所として大いに繁栄したといいます。しかし、大内氏滅亡後は衰退の一途を辿り、現在は、美しい庭園の数か数々が人々を魅了する寺院として著名です。
漢陽寺・みどころ
寺院内には、昭和時代を代表する作庭家・重森三玲氏の手になる日本庭園が七種類あります。重盛氏は、八年かけてこれらの庭園を整備なさったそうです。
- 曲水の庭(本堂前庭) 平安
- 地蔵遊化の庭(中庭) 平安
- 蓬莱山池庭(書院裏) 鎌倉
- 九山八海の庭(書院東部) 鎌倉
- 曹源一滴の庭 桃山
- 玉澗式枯山水庭(山門前) 桃山
- 瀟湘八景の庭(非公開) 現代
- 祖師西来の庭
参照:寺院様HP、『山口県の歴史散歩』
格庭園の時代や様式は、それぞれ異なるので、ここだけでそれぞれの時代の庭の特徴を知ることが出来るのが特徴です。
残念ながら、庭園の鑑賞は有料となります。これだけ見ることができるなら惜しくない金額と思うか、どうでもいいと思うかは、人それぞれです。ちなみに、特に何も言わないでいると、周南市に来たらここへ案内されてしまいますので、庭園に関心がない方は、事前にその旨伝えて置いたおうがよろしいです。
山門

鏡ヶ池

入るとすぐに奥ゆかしい池が。ただし、これらは重森氏作庭のものではありません。
法堂

大書院・聴流殿

庭園と同じく重森氏の設計になる書院。名前の由来は「川が流れる音が聴こえる」から。
本堂

ここは「入り口」で、左手のほうにチラ見えているのが本堂のほんの一部(だと思われます)。
無料だとここまでです。平成二年落成ですが、、創建当時の様子をきちんと復元したものとなります。
曹源一滴の庭

桃山時代様式。何を隠そう、ここだけは無料で拝めます……。
潮音洞

潮音洞といういかにも麗しいネーミングとは裏腹に、実態は「漢概用水道」のことです。漢概事業としては重要なものとなります。ちなみに近代の史跡です。
漢陽寺(周南市鹿野上)の所在地・行き方について
所在地 & MAP
所在地 〒745-0302 周南市鹿野上 2872
※Googlemap にあった住所です。
アクセス
公式アナウンスによれば、最寄り駅は徳山駅、鹿野バス停から徒歩約 10 分とあります。これは、徳山駅からバスに乗った場合の所要時間であって、地図を見ればわかる通り、周囲に駅など見えません。
バス停からと言われても、通りすがりの観光客が、見知らぬ街でバスに乗るのはちょっと気が引けます(気にならない方は大丈夫です)。周南市の史跡は、そもそも「車で 45 分」などと平然と書かれていることがあります。現地のガイドさんにご案内をお願いするのも細かく地区ごとに分かれており、史跡 A から史跡 B をおひとりのガイドさんにお任せできる保証はない上、ガイドさん自身のお車に乗る、観光客のレンタカーに乗っていただく、のようなことは NG(これは、場所にもよりけりですが、たいていの自治体はダメです)であるため、もはや呆然となるだけです。そのくらい周南市という市が広すぎるのです。
漢陽寺ほど著名な観光地ならご存じないタクシーの運転手さんもおられぬでしょうし、ココだけで周南市の観光が終わりになる方もおられないと思われるので、貸し切りタクシー推奨です。地元の地理に明るい運転手さんに出逢えることを祈りましょう(漢陽寺以外のマイナーな場所も行くでしょうから)。
参考文献:『山口県の歴史散歩』、寺院さまHPほか。
漢陽寺(周南市鹿野上)について:まとめ & 感想
- 大内弘世が鹿苑庵と呼ばれる庵を建てたのが始まり
- 盛見代に用堂明機禅師を開山として、改築再建されたらしい。
- 南禅寺別格地として、極めて格式高い名刹だった
- 大内氏代々の祈願所して、大いに繁栄したが、滅亡とともに衰退した
- 現在は、著名な作庭家・重森三玲氏の手になる美しい日本式庭園の数々が有名
- 周南市に訪れたら必ず案内されるほど、有名な寺院の一つとして人気が高い
跡地を楽しむための場所に、美しい日本庭園の教科書ができている、そんな感じです。『山口県寺院沿革史』のこの寺院さまの項目が膨大であったため、読解が頓挫しております。簡単に予習だけしておくと、そもそもは弘世時代から続く由緒ある信仰の場です。そこに息子である盛見が大寺院を建立した、そんな感じです。そして、頭が割れそうな禅宗の僧侶たちと交流したあれこれ、ゆかりの僧侶についてのあれこれと難解な漢字だらけの世界が展開します。
周南市にありながら、陶の城に分類されていないのは、どう考えても弘世・盛見父子(間に義弘が挟まるが、あまり関係なさげ)ゆかりの寺院であること、市町村合併で巨大化した周南市において、どこからどこまでが陶の城の範囲なのか、イマイチわからないこと、などによります。
残念ながら、何一つ残っておりません(多分)。見どころは、現代の芸術家ともいうべき重森さんの日本庭園であり、本堂も平成時代の再建物。書院までも重森さんの手になるものです。室町時代の史跡を見ているというよりは、現代の偉大な庭園作家の作品を見ている感覚です。
しかも、ココがかなり重要ですが、拝観料がかかります。こういうことを書くと皆さんお笑いになるのですが、お金を払ってまでも日本庭園を鑑賞したいか、それほどの審美眼があるか、ということが重要なのです。七つある庭園のうち、なぜか一つだけはタダで見れますので、それを見て判断しても遅くないし、そもそも、日本庭園に関心がないか、見てもわからない人には、解説してくださる先生が必要で、そのためには郷土史の先生などのお力を借りる必要があります。周南市にはコネがないですし、お金もありませんので、正直来るべきところを間違えました。
ただし、弘世さんと盛見さんのゆかりの地を巡る方にとっては「聖地」みたいなものですから、お金を払うのも苦にはならないでしょう。たとえそれが、再建物であったとしても、本堂を見ないことにはおさまらないでしょうから。本堂を見るには拝観料が必要なのです。むろん、わずかな金額で、五つの素晴らしい庭園が鑑賞できるのですから、大特価です。けど、庭みてもわかりませんし、せめて室町時代云々のならば入るけど……なのでやめました。だから、本堂の写真がないのですよ。
俺たち、どっちの「おすすめ」にもあてはまらないね。今回ばかりはお金云々でなく、引き返したミルが正解。
いやぁ、ネタのためなら、入るべきだったんじゃね? ま、有料の庭園は写真撮影も禁止だろうし(知んないけど)、HP 見りゃ写真はあるだろ? 俺、見てもさっぱりだけど。それよか、「おすすめ」にあてはまるかどうかより、やっぱ金の問題じゃない?
ああああ、あの池はただの池だったけど、タダで見れる庭園の写真、ちゃんと撮れてた。
俺が雅に育たなかったのって、こういう世話係のせいかも。
新介さま、僕たち無料です。早く入りましょう!
イマドキの庭園の傑作がこんなにたくさんみれるなんて、すごいことだね。
おや? 中学生以下はタダじゃん。俺と妙な妖怪(←妖精という概念がない)は無理だけど、お前、あいつらと一緒にタダで入れたはずだぜ?
いいよ、どうせ見てもわからないから。
だな。
【更新履歴】20250722 加筆修正、参考文献追加