人物説明

江木氏 元寇の時活躍・大内氏時代の記録が乏しい

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江木氏概説

江木氏は十九代弘成の子で、二十代弘貞の兄弟・弘房を祖とする一族です。弘房という名前の人は多々良氏全体に数名おりますので、注意が必要です。『新撰大内氏系図』を拝見する限りでは、系図は途中で断絶しています。史料がないためか、実際に一時期途切れていたのか、何の手がかりもありません。しかし、後に毛利家に仕えた事実は分かっていますので、途切れたのは系図上だけのことのようです。

元寇の時、活躍した記録が残る

『萩藩諸家系図』を拝見しておりましたら、江木氏の方そのほか、一門の人々が活躍したという記録が引用されていました。出所は江木家に伝わる文書のようですが、『諸家系図』は『大内氏史研究』から引用なさっておられたので、直接引用元にあたります(本来ならば、江木家の文書にあたるべきですが、無理なので仕方ありません。『萩藩諸家系図』ですら『大内氏史研究』を経由しているので、許されるでしょう)。

萩藩譜録江木次郎衛門家譜に「弘安四年大元国の兵数百艘の船に乗って日本を撃たんとす、太宰府に著す。九州諸将戦負け、大内介弘定(貞)厚東弥太郎武仲を先鋒とし、陶八郎弘貞右田八郎太郎重俊を率いて赤間関を渡り小倉に陣す。菊池肥後守武連大友豊後守太宰大弐と牒し合せて戦う弘定大いに利を得給い異賊早速征伐の旨江木六郎弘房を以て京都六波羅に注進あり云々」とある。 人名にも錯誤があって、史料としての価値は甚だ低いが、江木弘房は大内弘貞の弟で、その家にそんな古伝があったものであろうと思われるのである。
出典:『大内氏史研究』

なるほど、ちょこっとだけ江木弘房の名前が出ております。『萩藩諸家系図』では、弘房が兄・弘貞に従って出陣したように書いてありますが、上記引用では単に注進した人であることしかわかりません。ただの伝達係だったとも思えませんから、従軍して目にしたことありのままを伝えたと考えるのが妥当でしょうか。

残念なことに、『萩藩諸家系図』にはこれ以上のことは何も書かれておらず、毛利家に仕えた経緯も不明です。

『新撰大内氏系図』全コメント

『系図』には、わずかにこれだけの情報しかありません。

家督の動いた順番は以下の通りです。

弘房―弘国―有弘―弘兼―弘春
            弘秋―弘方

弘兼には弘春、弘秋という二人の子があった模様で(あくまで系図上)、兄弟順番に家督が動いたものか不明ながら、弘秋の下に弘方が続いており、以降は断絶しています。

弘房 江木祖、江木六郎、法名円妙
弘国 五郎、法名如実
有弘 太郎
弘兼 千若丸
弘春 千寿丸、五郎
弘秋 六郎
弘方 或弘兼、左近大夫、和泉守

『萩藩諸家系図』による補足

弘国の子として、有弘以外に、弘厚(大外記、五郎)と弘晴を追加。
弘有の子として、弘兼のほかに女子(問田右衛門尉 名前不知 妻)一名を追加。
弘方に業績として「天文四年鏡山軍有功」を追加。

問題はその後です。『新撰大内氏系図』は弘方で途切れているわけですが、その子らとして、「名乗不知」の「某」三名が追加されています。しかし、家督はこれらの子らにいかなかったものか、弘方のつぎには「某」―「某」―元直と続きます。

元直以降は明らかに、毛利家臣となってからの系図です。しかし、肝心の毛利家に仕えることになったと思しき人物が「某」です。この間に何があったのかが、最も知りたいところですが、残念です。

なお、毛利家仕官後の系図はそれなり充実しています。

有名人(大内氏時代の人限定)

『大内氏実録』には伝がなく、『大内氏史研究』にも、上述の引用と江木氏が分家したことについて以外、何の言及もありません。『萩藩諸家系図』も、元寇で活躍したらしきこと以外、何も書かれていません。はっきりと分かっていることは、唯一、毛利家家臣となって存続したという点だけです。どなたの代に毛利家臣になったのかすら不明です。

毛利元就から「元」の字をいただいたと思しき、元直はすでに毛利家に属していたと思われますが、それ以前が「某」となっており、何も伝わっていません。

『大内氏実録』に、唯一以下の記録がございました。早々に毛利家に帰順した中に、松原満氏という人がいました。その人物の弟・安貞という人が、折敷畑の戦いの時、

「折敷畑の役、江木筑前守と槍を合す。分捕の功あり感状を賜ふ。」(『実録』)

とあるのです。かくも早い時期に毛利家に鞍替えしていた松原という人にもびっくりですが、家中でも意見は割れたようでして、陶家臣・江良に属した人もいたのです。あるいは、どちらに転んでもいいように話し合いの上、敢えて別々の道を進んだものかもしれません。

さて、ここに出てくる「江良筑前守」なる人が、誰にあたるのかは全く不明です。「某」となっているいずれかの方であろうと考えられますが。このときにはまだ、毛利家臣になってはいなかったことが分かります。

残念ながら、有名人として特記すべき方は、現在のところ見当たりません。将来、どこかにまとまった記述が見つかれば書き加えたいと思います。現状はここまででお許しください。

参照文献:『萩藩諸家系図』、『新撰大内氏系図』、『大内氏実録』、『大内氏史研究』

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五郎

毛利家に仕官して続いて行った人たちなら、記録は残っていそうなのにね。

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鶴千代

折敷畑の時点では、叛乱者一味に与していた。褒められた業績ではないゆえ、元直殿以前は名前も秘匿にしたのかもしれない。

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ミル

これまでの流れからいくと、大いにあり得ることだけど、普通考えたら毛利家臣になる直前期の人のほうが新しいのに何もわからないなんて、あんまりだよね。そもそも、この記録が毛利家に提出されたのはいつのことなんだろうね? 時が経つと記録が曖昧になるのは分かるから。

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五郎

だって、それより古い先祖についてははっきりしているじゃないか。意図的なものを感じるね。慌てて消したのでは? そもそも、大内氏時代に活躍していたら、色々な本に言及があるはず。特に何もしなかった人たちじゃないの?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

それを言ったら気の毒だよ。宗家のために尽していたことは確実と思うよ。戦死したとか、大事にならなければ、記録は残らないだけで。あまり目立たない奥ゆかしい方々だったのではないかな。

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大内宗家から分家した一族

「大内」以外の名字の地を名乗って分家していった多々良氏の人たち。滅亡後毛利家に仕え今に続く人、宗家と運命をともにした人色々。

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人物説明

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