大内宗家から分家した一族

多々良氏一族は、一門繁栄し多くの分家を輩出していきました。所領を名字の地としている方々が多いですが、中には奥さまや母上さまの名字を名乗った人もおられます。滅亡後のあり方も、それぞれに違います。なにぶんにも大世帯ですので、どうやってまとめたらいいのか悩ましいです。基本は『新撰大内氏系図』に基づいていますが、漏れ・欠けや、最新の研究で誤りが指摘されている部分などもあります。できる限り反映させたいですが、到底無理ですので、特に指摘がない限りにおいては、上記系図が基本です。
宇野氏
十四代当主・貞長の子・清致を祖とする一族です。
右田氏
十五代貞成の次男・盛長を祖とする一族です。
右田氏からさらに分家したのが、陶氏と来原氏です。
鷲頭氏
十六代当主・盛房の次男・盛安を祖とする一族です。
鷲頭長弘
鷲頭家といったらこのお方。
問田氏
始祖は長房。十六代盛房の子で、十七代弘盛の弟です。つまり。鷲頭祖と問田祖は兄弟にあたります。
問田家の分家「野田氏」
江木氏
十九代弘成の子で、二十代弘貞の兄弟・弘房を祖とする一族です。
黒川氏
十九代・弘成の子にして、二十代・弘貞の兄弟である貞保を祖とする一族です。
「国難」前後、大内氏と婚姻関係にあり、絆が深かった宗像氏の人が黒川姓を名乗っています。宗家から分家した男系の一類とは中身が別なので、注意が必要です。⇒ 関連記事:宗像大宮司家
末武氏
二十代弘貞の子・弘藤(二十一代弘家の兄弟)を祖とする一族です。
矢田氏
二十代弘家の子・成賢を祖とする一族です。史料が少なく、実態がわからない方々ですが、毛利家に仕えてからのことは調べやすいでしょう。
冷泉氏
弘世の子・弘正を始祖とする一族です。詳細は以下の記事をご覧ください。
冷泉隆豊
冷泉と言ったらこのお方、ということで、お一人分独立しています。
参照文献:『大内氏実録』、『大内氏史研究』、『萩藩諸系図』、『大内文化研究要覧』ほか
パンドラの箱を開けてしまった……。
なんの箱?
開けてはいけない箱だよ。分家の人すべてなんて、どうやって調べるの?
毛利家に仕えた者だけに絞れば容易くなるぞ。
そうだな。山といたら悲しいからね。