みもすそ川公園(下関市みもすそ川町)

みもすそ川公園

平安時代末期、平清盛の子孫である平家一門と源頼朝や木曾義仲などを擁する源氏勢力が決起。反平家の怨嗟の声高まる中、いわゆる源平合戦(参考書的には『治承・寿永の乱』)へと突入。都落ちした平家一門は、次第に敗色濃厚となり、西国の果てまで追いやられます。雌雄を決した最後の合戦の舞台が、壇ノ浦でした。

みもすそ川公園は「壇ノ浦古戦場址」碑や、平知盛と源義経の像などを配置した公園です。位置的には、「壇ノ浦」にあるのは当然で、関門海峡に面し、関門橋はもちろん、対岸の九州も望むことができます。

みもすそ川公園(下関市みもすそ川町)とは?

山口県下関市みもすそ川町にある公園です。関門海峡に望み、いわゆる源平合戦のクライマックス、「壇ノ浦の戦い」の舞台となった、壇ノ浦付近に位置しています。二位の尼辞世の句に出てくる「みもすそ川」がまさにここです。

源平合戦の浪漫に浸りたい方々のために、壇ノ浦古戦場址碑、平知盛と源義経の像などが配置されています。平安時代を偲ぶことはまったく不可能な現代的な公園ですが、目を閉じれば心は往時に飛んでいくはずです。潮風に吹かれながら、源平の英雄に心を馳せる、そんな場所です。

みもすそ川公園・基本情報

所在地 〒751-0813 下関市みもすそ川町1−1
いわゆる「壇ノ浦」付近にある都市公園、源平合戦ゆかりのモニュメントなどがある

みもすそ川公園・概観

源平合戦関連史跡(?)としての「壇ノ浦古戦場址」というのがだいたいこの辺りみたいでして、源義経と平知盛の銅像が立っています。大がかりな海戦ですから、どこがそう、とは確定できないでしょうが、関門海峡を望む絶妙な位置に「壇ノ浦古戦場址碑」が置かれています。

なお、源義経と平知盛の像が、ファンの心を揺さぶります。ただし、両者が直接対決したという資料(≠史料)を目にしたことがなく、SNS でお世話になっている源平合戦研究家の知人に尋ねてみましたところ、爆笑の渦でしばらくおきあがることができませんでした……。当方、呆然となりました。

知人の解説によれば、源義経と平知盛という両陣営のエースが一騎打ちしたという史実はないとのことです。語り物だけではなく、各種の歴史書(古文書、一次史料含む)を多数調査しておられるのですが、今に至るまで、そのような事実があったという記述は見たことがないと。「語り物」系の本については、信憑性に問題があるため事実とは思わない上で楽しんでおられます。史料が第一、読み本は二の次となるので、もしかしたら、彼がまだ読んでいない書物の中に、そのような記述があるのかもしれませんが(まずないと思われます)。

つまり、この銅像は、地元の方々、ファンの方々による、こんなシーンがあったなら、という思いをかたちにした、象徴的なものだと思う、と。

確かに、執筆者的にも、「能登殿最期」で平教経さまから源義経が「逃げた」ところしか記憶にありません。平知盛は最後に御座船の掃除をして「見るべき程のことは見つ」と沈んでしまった人としか。そもそも『平家物語』はフィクションですし、さまざまな異本もありますので、どこかにそのようなシーンもあるのかもしれません。ですが、ここは源平合戦のプロがそうおっしゃるので間違いないと思います。

ちなみに、『平家物語』には、安徳天皇を抱いて壇ノ浦に入水した二位尼こと平時子の「浪の下にも都のさぶらふぞ」という有名な台詞がございます(巻十一『先帝身投』)が、何種類もある版本のうち「延慶本」では、「今そしるみもすそ川の流には浪の下にも都ありとは」となっています。

この「みもすそ川」が公園の名前の由来と思われますが、ちょうど、古戦場址碑近くに欄干があるそうです(参照:『山口県の歴史散歩』)川で身投げはできませんので、ちょうどその河口から進んだところが、入水の場所となりましょうか。

なお、時代が飛びますが、下関戦争の時、砲台が置かれていたことから模造品の砲台が設置されています。旅行ガイドブックによりますと、お金を入れると音が鳴るとかなんとか。試しておりませんので不明です。このあたりになると、もはや近現代史ですので、関心ない人には不明な世界です。

みもすそ川公園・みどころ

源義経と平知盛の像

源義経の像

時間の関係で、車窓からの撮影となりましたので、やや小さめです。ただし、解説プレートが見えておりますので、方角は間違っていません。この向きから拝見するのです。ちょうど、関門橋と関門海峡が視界に収まる絶妙な配置です。

ミル

源平合戦について極めているわけではないけど、ミルたちが読んでいる『平家物語』に銅像の二人が一騎打ちするシーンはなかったよ。これは別に、一騎打ちシーンというわけではないのかもしれない。次回はぜひ調べたい。

於児丸

大切なのは源氏の大勝利に終わったと言うこと。平家側なんて誰を銅像化したっていいんじゃないの?

五郎

お前、あまりに無礼だろう? 地元の方の思いが込められた銅像に誰でもいいなんて、適当なことを言うな。源氏は赤間神宮拝観禁止にするからな。門司のほうの神社に行けよ。

於児丸

すみません……。

下関戦争砲台レプリカ

みもすそ川公園・砲台レプリカ

ずらーっと並んでいて壮観です。近世史、明治維新に興味ある方ならば興奮するでしょうね。

みもすそ川公園(下関市みもすそ川町)の所在地 & 行き方について

所在地&MAP

所在地 〒751-0813 下関市みもすそ川町1−1

アクセス

下関駅からタクシーを使いました。下関駅からバスがでていますので、公共交通機関でも行くことは可能です。目安として、最寄りバス停まで、駅から12分という公式アナウンスです。

参考文献:『平家物語 全訳本』、『山口県の歴史散歩』、自治体ホームページ

みもすそ川公園(下関市みもすそ川町)について:まとめ & 感想

みもすそ川公園(下関市みもすそ川町)・まとめ
  1. 源平合戦の古戦場跡「壇ノ浦」にある公園
  2. 壇ノ浦古戦場址碑があるので、壇ノ浦っていっても広すぎて……と困る人も満足できる
  3. 源平両軍のエース源義経と平知盛が一騎打ちをしているという夢のようなシーンを銅像にしている
  4. 関門海峡を望む絶妙な位置にあるため、対岸の九州、関門橋を間近にみることができる
  5. 明治維新期に設置された砲台のレプリカが設置されており、近現代史に関心を持つ層にもアピールしている
こんな方におすすめ
  • 源平合戦の浪漫にメロメロ
  • 近現代史に関心あり

オススメ度:(基準についてはコチラ

3

時間の関係で、行きたい所に行けない……。何度この悲しみに胸を貫かれたかわかりません。執筆者が下関で行きたかったところの一つが壇ノ浦でした。でも、正直、どこからどこまで壇ノ浦とかわかりませんよね。だいたいこのあたりだろうってことくらいしか。そういう「なんとなくよくわからないし、どうしたら?」を一発で解決してくれるために存在するのがこの公園なのだと思います。なにせ「壇ノ浦古戦場址」って石碑があるんですから! ん? その石碑の写真がないと? そうです。だから「時間の関係で行きたい所に行けない」と書いたのです。

じつは、当時今よりさらに勉強が進んでいませんでしたので、単に下関ときいたら大内氏ゆかりの〇〇がだーーっと出てくるというような状況にはありませんでした。でも、初やまぐちで最初にめざしたのが大寧寺という謎すぎる展開でしたから、宇部空港から向かったのは山口市内ではなくして、長門湯本でした。で、そこに行くには下関を経由。長府に行き、長門湯本に行き、下関に一泊して翌日は下関のエッセンスみたいなところを時間が許す限り観光というタイトすぎる上に目茶苦茶なスケジュール。本来、大寧寺から下関のホテルに着いたら荷物を置いて火の山公園の夜景を撮影に行く予定でした。

「が」大寧寺の石段から足を踏み外し(今から思えば完全に捻挫くらいしてたはずの痛み。ケチ故になんとか旅を続行)、スマートフォンは液晶割れとなり、翌日立ち寄った赤間神宮での写真撮影はすべておかしくなりました。これは間違いなく、大寧寺に行ったことによる「祟り」です。普段からとある人物をこきおろしていたために、罰が当たったに違いないと考えています。はぁ。同じく、こきおろしてはいないものの、毛利家が大内氏を滅ぼしたと考えている友人が、吉田郡山城に行ったところ、快晴だったのにいきなり雷雨となり、見学どころではなくなったとか。幸い、毛利元就公のご仁徳を唱え続けている執筆者は、吉田郡山城は無事に見学できましたが、大寧寺は……。

それはいいとして、翌日、「下関来たら絶対ここというところにお連れください。時間はお昼までしかありません。なお、住吉神社と赤間神宮、壇ノ浦はこのあたりというところだけは外さないでください」とお願いした結果がこれです。ベテランのタクシー運転手さまのこれ以上ない時間配分で、帰宅後、下関市観光協会のサイトを見ていたら「これら全部写真ある……」となりました。でも、それは、高杉晋作さんゆかりの地に限って言えば、という前提つきでした。「いや、その方、何をなさったお方なのか、名前しか知らないんです」なんてご無礼なことは申せません。でも、それらをスキップすれば、少なくとも源平合戦古戦場址碑の撮影は叶ったはずなんです……。自らが「壇ノ浦はこのあたり」でいいです、などとお願いしているのですから、それすらも、ちゃんと叶えられていることは、ここにある二枚の写真が物語っている通りです。

むろん、運転手さまを責める気持ちは1ミリもなく、むしろ感謝の思いしかありません。あんな短時間ですべて網羅できるなんて、普通は無理です。それと同時に、旅というものは、けっして「時間に縛られてはならない」という教訓を知ることができました。以来、自らの旅は一点集中型へと変化したのです。

五郎

源平合戦とか俺とは無関係だから、通りすがりになってるよ。ミルがなんとなく淡々としてるのは、平教経がひいきなのに、銅像がないから。俺もこの人が一番好きだよ。

鶴千代

明治維新関連史跡だな、ここは。源平合戦など古すぎてわからないだろう。毎度のことながら、お前たちの学習能力の低さにはあきれかえるな。「下関戦争」? 攘夷戦、四国連合艦隊との戦いを詳しく説明すれば、このページのボリュームはマシに……。

ミル

教経さま……。いずれ潜水技能を身につけて、海底深く眠るあなた様に会いに行きたい……。

新介

ここ「大内庭園」だよね? 源平合戦の頃の、ご先祖さまの活躍とか、そういう解説はないの? 平家の話とか必要? ご先祖は源氏に味方したのでは? それに、じょういって何のこと?

於児丸

新介さま、大内氏ご先祖の活躍もあり、我らの先祖が大勝利を収めたのがここ、壇ノ浦なのです。その意味では、関連史跡ですよ。解説が目茶苦茶なのは大問題ですから、源氏サイドから書き直させていただきますね。そうすれば……。

五郎

お前も「空気読めない」人種の典型な。俺たちもう、書かないから、好きにしていいよ。廿日市に拠点移すから。

【履歴】20250727 テーマ変更によるレイアウト調整、加筆&修正、参考文献明記

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