関連史跡案内

保福寺(山口県周南市須々万)

保福寺・幟旗

山口県周南市須々万の保福寺とは?

かつて飛龍八幡宮の社坊のひとつ・林慶庵だった寺院です。元は臨済宗で漢陽寺の末寺でしたが、文禄年間に龍文寺第二十二世・高岩秀天大和尚が開山して、曹洞宗に改められます。寛永年間には、保禅寺と改称され、現在地に移転。その後、明治時代に福聚寺と合併し、名前が保福寺となりました。

毛利家の防長経略で有名な、須々万沼城跡付近にあり、「沼城城主の菩提寺」として知られています。裏手には、城主の墓もございます。

保福寺・基本情報

所在地 〒745-0121 周南市須々万奥肝要 470
山号・寺号・本尊 慈光山・保福寺
宗派 曹洞宗
(参照:現地案内看板、寺号碑ほか)

保福寺・歴史

創建年代不明のふたつの寺院を合併

こちらの寺院さまについては、『山口県寺院沿革史』に記述が見つけられなかったので、『都濃郡誌』を参照して、関連する記述を探しました。須々万村項目の寺社紹介に、以下のような内容が書かれておりました。

「本寺は字肝要にある。はじめは字兼元にあって、慈光山林慶庵といった。その建立年代は明らかではない。第十世・祖園林作蔵司の代までは、臨済宗である鹿野村の漢陽寺末寺で、平僧地だった。東山天皇の代、文禄年間に、長穂村龍文寺第二十二世・高岩秀天大和尚が開山して、曹洞宗に改めた。後に、寛永年間、第二世・月岑祖漂和尚の時、寺号を保禅寺と改め現在地に移転した。本寺は元飛龍八幡宮の社坊であったと伝えられている。明治六年、字西和奈古にあった福聚寺を合併して保福寺と改称した。福聚寺は建立年代不明ながら、開山・鉄嶺珠鷹和尚が亡くなったのが、正保二年十月十四日というので、建立時期はそれより早いはずである。本尊は聖観世音であり、聖徳太子の作と伝える。寺宝として毛利元就が八幡宮に献納した大内氏より伝えられた大般若経および勝屋右馬之亟が寄附した(大内氏の)守護神として百済から伝来した十六善神の像を所蔵している」
(原文文語文)

これと同様の内容は、寺院さまの御由緒看板に記されております(後述)。元飛龍八幡宮の社坊であったということから、同八幡宮と一緒にご訪問するのがよいのですが、残念ながら八幡宮のほうは未参詣です。次回の宿題とさせてください。

『都濃郡誌』によれば、現在周南市の文化財に指定されている毛利元就寄進の経文と勝屋貴為寄進の絵画とは、ともに大内氏ゆかりの品と読めますが、現在の案内看板にはそれについては書いておらず、いずれも寄進者本人ゆかりの品のように読めます。寄進したのは彼らですので、まったく正しい記述なのですが。

保福寺沿革

慈光山林慶庵(字兼元):鹿野村の漢陽寺末寺、臨済宗、平僧地
文禄年間(1592年~1596年):曹洞宗に改宗
寛永年間:(1624年~1644年):保禅寺と改名、現在地に移転
※飛龍八幡宮の社坊だった
明治六年(1873):福聚寺(字西和奈古)と合併、保福寺と改称

沼城跡城主の菩提寺

昨今の城跡巡りブームによるものか、保福寺さまの入口付近には「沼城城主の菩提寺」と書かれた幟旗が踊っておりました。沼城跡地については、別に項目を立てたいと思っておりますので、ここでは多くを語れませんが、寺院の裏手には確かに城主の墓碑がございます。

毛利元就の防長経略で、唯一といっていいほど、頑強な抵抗があったのが沼城です(城として)。それ以前にも、杉隆泰の鞍懸山城でも毛利勢との合戦は行なわれましたが、あっけなく落城しています。ほかの行く先々の城は抵抗どころか、寝返り、降伏だらけで戦闘らしきものがあったのは、大内義長と腹心の内藤隆世が逃げた先の城くらいです。

そんな中で、沼城は名前の通り沼に囲まれた天然の要塞を成す堅固な城として、毛利軍が落城させるのに苦労した城として有名です。往時を偲ぶものは、ほぼないですが、城跡碑や城主だった山崎伊豆守の墓があります。墓碑は保福寺さまにあるわけですが、合併したり、改名したりしておりますので、山崎氏と寺院さまのゆかりはよくわかりません(書いている人が知らないだけです)。

沼城について調べる時に、より詳しいことがわかるかも知れませんので、分かったことはその際に書き加えます。

保福寺・みどころ

ふたつの寺院さまが合併していることから、それぞれの寺院さまの歴史を伝えておられます。毛利元就ゆかりの文化財があるほか、沼城の戦いで著名な沼城城主の墓碑があります。

山門

保福寺・山門

いつ頃建てられたか不明ながら、木造部分を拝見するとそれなりの年代モノであると感じさせます。

本堂

保福寺・本堂

立派なご本堂です。

「慈光山保福寺
保福寺は、保禅寺と福聚寺が明治六年に合併して成立しました。 保禅寺は、創建年代不明ですが、はじめ兼元にあって慈光山林慶庵と称しました。その後現在地に移り寺号を保禅寺と改めま した。 飛龍八幡宮の元文二(一七三七)年の棟札によると宮坊林慶庵とあり、同社の社坊であったことが分かります。
福聚寺は、寛永年間(十七世紀前半) に龍文寺十八世鉄岑珠鷹が、和奈古に開いた寺院とされています。
保福寺所蔵の絹本着色釈迦十六善神図は、文亀三 (一五〇三) 年に勝屋貴為が須々万八幡宮(後・飛龍八幡宮)に寄進した画幅で、十六体の護法善神が精緻な筆遣いで描かれています。
また、紙本墨書大般若波羅密多経は毛利元就が八幡宮に献納したものと伝えられています。
ともに昭和五十二年に市指定文化財 (絵画、典籍)に指定されました。」
(御由緒案内看板説明文)

沼城城主の墓

保福寺・沼城城主の墓

これが、沼城城主の墓なのですが、明らかに新しく建立してくださったものです。少し前に寺院さまを訪れた友人によれば、このほかに当時の石塔があるそうでして、見落としました。

保福寺(周南市須々万)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒745-0121 周南市須々万奥肝要 470
※Googlemap にあった住所です。

アクセス

敢えて大きなMAPを載せたのにはわけがございまして、これはもう、歩いては行けません。鉄道の駅から歩くことは絶望的です。バスが通っているとのことですので、公共交通機関を使った行き方も可能ではあります。しかし、飛龍八幡宮などの付近の観光資源もまとめてご参詣しようと思う方は、タクシー利用がいいかと思われます。ちなみに執筆者はよくしてくださる広島の大恩人のお車に便乗させていただき、岩国から行きました。

参照文献:『都濃郡誌』、現地案内看板

保福寺(周南市須々万)について:まとめ & 感想

保福寺(周南市須々万)・まとめ

  1. もとは、慈光山林慶庵といい、字兼元にあり、鹿野村の漢陽寺末寺(臨済宗、平僧地)であった
  2. 文禄年間(1592年~1596年)、龍文寺第二十二世・高岩秀天大和尚が開山して、曹洞宗に改宗
  3. 寛永年間(1624年~1644年)、第二世・月岑祖漂和尚の時、寺号を保禅寺と改め現在地に移転
  4. 寺院は元々、飛龍八幡宮(元須々万八幡宮)の社坊であったと伝えられており、そのことは、八幡宮の棟札からも確認されている
  5. 明治六年、字西和奈古にあった福聚寺を合併して保福寺と改称、現在に至る
  6. 合併された福聚寺は、寛永年間(十七世紀前半) に龍文寺十八世・鉄岑珠鷹が、和奈古に開いた寺院とされる
  7. 毛利家の防長経略に際して、頑強に抵抗した沼城跡は寺院付近にあり、城主だった山崎伊豆守の墓がある
  8. 毛利元就が飛龍八幡宮に寄進した経典などが、文化財指定を受けている

沼城跡に行ったら寺院さまがございました。というのが実情です。恐らくは、沼城目がけて訪れる人が多いものと見え、寺院さまには「沼城城主の菩提寺」ということをアピールした幟旗が立っておりました。お車を貸してくださった郷土史の先生(他県がご専門)に、無理をしてお連れいただいたので、お待たせするわけにはいかず。わずかしか時間が取れなかったため、城跡も寺院さまもほとんど見ることができませんでした。

城主の墓についてですが、こちらに掲載したものしかお参りできていません。恐らくは往時のものは経年劣化で崩れてしまい、新しく建立してくださったものであろうとここ止まりで終了。しかしです、墓碑そのほかの史跡・遺構はほかにもございまして、寺院さまからはやや離れています。数年以内前に参詣した友人から写真を見せてもらいましたので、間違いありません。城主自刃の地という場所があることは確実です(Googlemap にも出ております)。墓碑については、皆さん新しいもののほうをご存じなかったので、あるいは本当に造り直した可能性もゼロではありません。しかし、曖昧なことは書けませんので、寺院さまが管理されているお墓としては、写真のものがそうである、とだけ言えます。

ここは極めて重要な場所ですので、岩国城に行った帰り道に立ち寄りましたーというような適当な参詣は、本来ならば許されません。いつか日を改めて再訪したいと思います。

こんな方におすすめ

  • 寺社巡りが好きな方
  • 著名人の墓碑にお参りするのが好きな方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)コチラ

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

城跡のついでにご参詣したみたいで、なんだか無礼な感じがするなぁ。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

城跡マニアの人たちも、寺院さまを目印にやって来ているよ(多分)。きちんと参詣すれば、問題はないと思ふ。

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

元就公の沼城攻略の話を無視するつもりか!?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

いや、そうではなく、それは、城跡のところでやるから。

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

城跡だけで項目立てられるのか? この日は雨が酷くて、ほとんどまともな観光ができなかったんだよね。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

涙雨ですよ、君。

五郎イメージ画像(背景あり)
五郎とミルの部屋

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

続きを見る

  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン)

ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※

-関連史跡案内