下関

みもすそ川公園・砲台レプリカ
みもすそ川公園・砲台レプリカ

下関に行きたい! 観光のポイント

下関はレトロクラシックな大都会。じつは、人口も県庁所在地・山口よりずっと多い。地理的に近いせいもあってか、何となく対岸九州の大都会・福岡をイメージしてしまう。

山口県といったら明治維新というイメージが全国区のようだが、ここは確かにそんな雰囲気。いわゆるハイカラな洋館というものを見かけた。

楽しみ方はイロイロだが、五つのポイントに絞ってみた。ぜひとも下関観光の参考にして欲しい。

下関の楽しみ方五選
  1. 源平合戦関連史跡
  2. 明治維新関連史跡
  3. 巌流島
  4. グルメ&ショッピング
  5. 家族や恋人と愉しむ夜景スポット

源平合戦関連史跡

あまりにも有名な源平合戦だが、平家が滅んだ壇ノ浦が下関付近。対岸の門司とあわせて、源氏、および平家の史跡がある。壇ノ浦を周回する感覚で散策を楽しむのがオススメ。

主な観光資源
  • みもすそ川公園:いわゆる「壇ノ浦」付近に源平合戦モニュメントなどを配置
  • 赤間神宮:安徳天皇の陵墓や平家一門の墓がある

赤間神宮は下関にご鎮座しているが、対岸・門司には源氏ゆかりの神社がある。山口、福岡二県にまたがる旅となるが、併せて観光するのがおススメ。じつは、関門海峡はとっても狭く、下関から門司は目と鼻の先だ。

源義経と平知盛像
みもすそ川公園・源義経と平知盛の像

どこからどこまでが「壇ノ浦」なんだろうか? と、実はよく分からなかったりするが、みもすそ川公園を歩いていれば、そこら辺一帯という感じなのではないかと。『平家物語』の世界に胸躍る人々にとっては、文句なしの訪問候補となること疑いなし。問題は、特に何かの史跡が残っているわけではなく、あるのは後世の方々がお造りになったモニュメントの類があるだけという点。ただ、このような方々の場合、「かつてここがその舞台であった」ということこそが重要なので、何もないことは気にならなかったりする。大切なのは平安の昔に思いを馳せること。その世界に魅了されて止まない人にとっては、何もないところでも、様々なシーンが勝手に脳裏に浮かんでくるのが常である。

残念ながら、下関側には平家贔屓の人にとっては悲しい史跡しかなく、源氏側の人にとっては何もない。でも、関門海峡を渡って門司と行き来することは、下関の旅における醍醐味のひとつでもあるから、時間に余裕をもって福岡に向かおう。

赤間神宮・平家一門の墓
赤間神宮・平家一門の墓

壇ノ浦に沈んでしまわれた平家一門の人々が、実際に赤間神宮に埋葬されているはずがない。残念ながら、墓所は完全に供養塔でしかない。けれども、安徳天皇だけは陵墓に埋葬されておられる。

巌流島

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な巌流島に行きたい方も下関から。不覚にも今に至るまで知らなかった。マニアには垂涎の場所であろう。

そもそも、なんでこの二人が決闘(?)したのかも、まったく興味がないので不明。しかし、その対決の場所が下関であったとはびっくりである……。観光協会的には大々的に宣伝しておられるので、かなりの観光需要があるものと思われる。世の中には、剣豪たちの物語に魅了される方は少なくないですので。

下関でこの島に行く時間は1秒もなかったので、岩国の吉香公園にあった佐々木小次郎の像を貼っておきます。下関とは関係なくて誤解を招きそうですが。恐らく、現地にも似たようなものがあるでしょう。

吉香公園・佐々木小次郎の像
新介

ところで、みやもとむさしって誰? どこの者かな?

於児丸

さぁ……。我らとは生きた時代が違いますから。「剣豪」、とあります。イマドキの民で知らない人はいないようですね。

『山口県の歴史散歩』というご本で、「巌流島」の写真を確認(199ページ)。観光資源としての項目はなく、コラムという扱いだった。そもそも。この島、「船島」というらしい。でもって、吉川英治の小説『宮本武蔵』に描かれたことと、以降それを原作とした映画やテレビドラマで取り上げられることによって人気スポットと化していった模様。つまりは、史実かどうかなど無視で、物語の舞台をこの目で見たいという方々のための場所である、というのが真相。それもまた浪漫。

で、肝心の島だが……島というよりは、埋め立て地……。「明治時代以降の埋め立てにより約五倍の面積に拡張されており」(同書)……。ということは、元のサイズは、「え!?」って狭いことになる。しかし、これだけ、観光資源として宣伝されていることと、剣豪の物語を愛する人々の情熱が尽きないことから、定期船まで出る賑わいとか。羨ましい限りである。

明治維新関連史跡

維新関連施設は県内随所にあるので、全部回るのはたいへんだろう。下関だけでも気が遠くなる。今回は市内のベテランタクシードライバーさんにお任せした。ご教授くださった貴重なお話の数々を総合すると……。

下関イチオシでファンも多いのは高杉晋作氏関連で、日和山公園では陶磁器製の像が街を見下ろしているし、なんと、桜山神社という彼を祀る神社まである。ここには桜山招魂場という維新の志士を供養するところもあって、吉田松陰氏と並んで高杉氏の石碑が立っている。元々松陰先生の人気はいつの時代にも衰えることがないから、二人合わせてお参りできるここは、夢のようなスポットと言えるかもしれない。

高杉晋作像
日和山公園:高杉晋作像
桜山神社・拝殿(2)
桜山神社・拝殿
新介

じゃあ、たかすぎしんさくさんってどんな方なの?

於児丸

明治維新の英雄とか。イマドキの民で知らない人はいないようです。

新介

みんな知っているのに、僕たちには存じ上げない人だらけだね……。

於児丸

分からなければ勉強すればいいのです。新介さまの決め台詞ではありませんか。今ここで、覚えてしまいましょう。

新介

そうだね。

グルメ&ショッピング

下関といったら「ふぐ」。地元の方々には、それだけではありません、としかられそうだが、承知の上です。グルメにはたまらないだろう。

それを見越して、現地にはふぐ料理はもちろんのこと、食通をうならせるすごい料理店が山とある。
それだけではなく、ちょっとしたコーヒーショップなども、これまたレトロクラシック。

下関と門司、さらに次に述べるビュースポットをセットにして、展望台だの、ショッピングセンターだの、ちょっとしたアミューズメントパークの様相を呈しているのだ。

可愛いふぐのストラップがお土産となっていて、ふぐは食べるだけではないことを知った。あまりの人気ぶりに空港はじめ、県内至る所に(?)ふぐの像が設置されていた。

ふぐの置物
日清講和記念会館にあった「ふくの置物」

ちなみに、これは知っている人が多いと思われるネタだが、下関ではフグを「ふく」と呼ぶ。=「福」。「どこかフグ料理美味しいトコないですか?」という問いは観光客丸出し。でも、このような、ネタも時の流れに従ってなので、今は地元の方も普通にフグと言っていたりするのかについては、リサーチ不足。

家族や恋人と愉しむ夜景スポット

夜景の美しい街、下関。火の山からも日和山からも市内を一望できるが、やはり火の山公園へ向かおう。展望台からももちろん、町中が見渡せるが、こちらは21時で閉まってしまうので、ラブラブタイムの方も閉館前までに辿り着こう。

火の山公園・展望
火の山公園:展望
新介

す、すごい橋だ……。これを使えば、九州探題の救出に向かうのにも船はいらなくなるね。

於児丸

関門橋というようです。イマドキの民は戦なんかしないから、そういう使い方はしないでしょうね。

下関といったら、赤間関として大内氏の歴史に何度も出てきた。正直、その知識しかなかったのだが、あまりの繁栄ぶりに驚いた。

まあこれも、当然の歴史の流れといえる。亀や鶴の時代から、九州への玄関口としてすでに開かれていたのだから、今も時代の最先端を行くのは当然のことだろう。赤間関から九州、大宰府、博多。そして、朝鮮半島へ。今のように飛行機で一っ飛びではなかった時代、人々は遙かなる海の向こうに、どんなに広く大きな夢を抱いたことであろうか。

なお、下関という地名の由来はかなり古く、昔は赤間関と呼ばれていたのだろうと勝手に思い込んでいたが違っていた。その頃から下関という呼び名もあり、下関というからには上関という地名もあったのである。では、上関は今何処?

周防灘三海関
  • 赤間関(現、下関)
  • 中関(現、防府)
  • 上関(元竈戸関)

竈戸関は平安末期までの呼び名で、室町以降は「上関」と呼ばれたようですが、赤間関と並んで「竈戸関」て呼ばれてた記憶あるような。
参照:『山口県の歴史散歩』

下関市は観光にも力を入れていて、その無料パンフレットのボリュームと、公式観光サイトの充実ぶりと言ったらすさまじいものがある。

イマドキ、紙のガイドブックを購入して旅行に行く人はあまりおられないのかも知れないが、もし、購入を考えている方がいたら、ちょっと待った!!

市の観光政策課に連絡をして、パンフレットを郵送してもらうか、飛行場などで無料配布しているものをもらいましょう。数十ページにおよぶちょっとしたムック本レベルで、恐らくは購入予定の「山口県観光ガイド」の類で、下関市にはたった数ページしか(それでも多いほうだ)割いていないものとは比べ物にならない。※202003現在の情報となります。

オススメ&参考サイト:「下関市公式観光サイト」https://shimonoseki.travel/、『山口県の歴史散歩』

ミル

ミルの初やまぐちは、実は下関の旅から始まったんです。さらに、空港降りたらまずは大寧寺に向かうという……。今からは信じられないほど、日程もタイトでした。下関ー山口ー防府ー徳山ー(岩国)ー宮島ー実家(高知)を五泊六日でというものです。こんなことでは、到底隅々まで回れるはずがありません。以来、旅は四泊五日、一点集中型と決めています。そんなわけで、下関についてもほとんど何も見ることができていないのです。このページは削除してしまおうと思いましたが、何かの記念においておくことにしました。

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