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亀山公園(山口市亀山)

亀山公園・案内看板
亀山公園案内看板前にて

山口県山口市の亀山公園とは?

亀山の地は、かつて長山といわれており、大内盛見の碧山別墅はここにあったと考えられています。のちに毛利秀元がこの場所に城を築こうとして工事を始めていましたが、関ヶ原の合戦に敗北したことで秀元は長府に移り、城は未完成のままとなりました。

明治時代、維新で活躍した人々を支えた藩主の徳を称えるために山頂に毛利家当主の方々の銅像が建てられました。これらの銅像は、戦時中に供出されてしまい、現在は見ることができません。

現在は山頂広場に毛利敬親公の騎馬像が再建され、市民の憩いの広場として整備されています。

亀山公園・基本情報

所在地 〒753-0089 山口市亀山町8

亀山公園・歴史

大内盛見の別荘があった長山

大内氏二十八代当主・盛見は、碧山別墅なる別荘を持っており、そこで禅僧たち初め多くの文化人たちと交流したことが知られています。盛見後に別荘を破却したなどの話は聞きませんし、そんな必要もないですから、それ以後の歴代当主の時代にも、この別荘が用いられていたことは間違いないでしょう。

しかし、大内氏の滅亡とともに、別荘も主を失いやがては消滅していったものと思われます。それゆえに、研究者の先生方が、盛見の別荘はどこにあったのだろうか? ということをあれこれと研究なさり、その結果、現在の亀山の地がそれであろう、という結論に至りました。

なお、この亀山ですが、昔は長山と呼ばれていたそうです。ですので、長山に別荘があり、それを碧山別墅といった、ということですね。

戦国時代には城があった?

大内氏が滅亡した後、この地を治めたのは毛利氏の方々でした。当主・輝元の従弟にあたる秀元という人が、この亀山(当時長山)に城を築こうと工事を始めます。慶長四年(1599)のことです。

1599年という年号に目が行ってしまいますが、恐らくほとんどの方が暗記している関ヶ原の戦い1600年のちょうど前の年ですね。日本全国(かどうか知らんけど)が東西に分れて天下分け目とかいう大戦争をしたわけです。何の因果か、毛利氏は負けたほうの西軍に属しておりました。勝てば官軍負けたら悲劇ですので、せっかく大内氏をぶっ倒して手に入れた周防長門を初め本国安芸国も含めた大勢力だったのに、領地は没収されて周防長門だけになってしまいました。

輝元さんは、本国広島に立派な近世天守閣の輝く広島城を建てていたのにもかかわらず、追い出されてしまいます。周防長門、つまりだいたい現在の山口県にあたる面積ですから、広大ですが、もとはもっと広かったわけなので、相当な大打撃です。で、そんな時期に、せっせとこの亀山の地に城を建てていた秀元さんはどうなったか? といいますと、戦後処理あれこれの結果、長府に移りました。

長山で建築中だった城はまだ完成していなかったため、そのままとなりました。ですので、ここに城を建てようとしていたという史実はあっても、城は未完成に終わったため、長山城なる史跡などはありません。築城じたいは始めておられたので、発掘調査などすれば何かの痕跡があるかもしれませんが。

亀山公園山頂広場

明治時代、維新の際に果たした元長州藩の功績を後世に伝えるために毛利敬親公の銅像を建てようという話が持ち上がります。「忠正公(毛利敬親)御由緒会」という方々が発起人となり、その像をこの長山の地に建てることとなりました。明治二十二年(1889)のことです。

案内看板の説明文によりますと、「敬親公のかつての居館や墓所に近く、山口のまちを見渡せる亀山の山頂を山口県の形に見立て」たそうでして、敬親公だけではなく、ほかの毛利家のお殿様たちの銅像もあわせて建立されることになりました。建築資金には十万人を越える地元の人々からの寄付金が充てられたといいます。

明治二十五年(1892) 十一月から製作が始まり、八年後の明治三十三年(1900) 四月に完成。除幕式となりました。さらに、毛利元徳公の銅像も加わり、こちらは明治三十九年(1906) 十月に完成しました。

こうして、長山の山頂には、毛利家のお殿様たちの銅像が建ち並び、現在も「亀山公園山頂広場」として、人々の憩いの場となっています。

しかし、現在山頂広場に行っても、そこには毛利敬親公の銅像しかありません。戦争中に銅像はすべて供出されてしまったためです。現在ある敬親公の銅像は、山口市制施行五十周年記念として、昭和五十五年(1980)に再建されたものとなります。

平成三十年、明治維新百五十年記念事業として、山頂広場は再整備され、現在に至ります。

亀山公園・みどころ

文字通りの公園として機能する広場があるほか、美術館、図書館などの学芸施設も含めて亀山公園となっています。案内図に書かれている施設すべてが、公園なのであって、単に亀山にあるものだけではなく周辺にある道路、施設等を含めて亀山公園という認識かと思われます。

どこに分類したらよいのかわからなかったパークロードも亀山公園の一部分です。

パークロード

亀山公園・パークロード

歩いていて、とっても気持ちがいい通りです。案内看板にもありましたが、道の両側には文化施設が、たくさんあり、なんとも学術的な趣です。自治体さまの施設(お役所)などもございます。

亀山公園・パークロード(2)

県立博物館

亀山公園・県立博物館

サビエル記念聖堂

サビエル記念聖堂

サビエル記念公園も、亀山公園を構成する要素なんですね。⇒ 関連記事:サビエル記念聖堂

亀山公園山頂広場

亀山公園山頂広場・毛利敬親公像

山頂広場にある、毛利敬親公の銅像です。かつてはこのほかにも五体の銅像があったというのですから、とても壮観だったと思われます。現在は敬親公のものだけとなり、しかも再建物ということですので、残念です。銅像は供出されてしまいましたが、かつて像がたっていた台座は残されています。

亀山公園山頂広場・かつての銅像の台座

このように、元台座には灯籠が建っていたりします。かつてのすべての銅像のお姿は、現地の案内看板にすべて、当時の写真が掲載されています。

亀山公園山頂広場・案内看板

ちょっとこの写真からは見づらいですが、現地に行けば、一つ一つの写真を確認することができます。

亀山公園( 山口市亀山町)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒753-0089 山口市亀山町8

アクセス

山口駅から真っ直ぐ歩いて行くとパークロードまで繋がっています。道を挟んで左右が亀山公園ですが、もっとも有名な山頂広場やサビエル記念聖堂は進行方向左手のほうとなります。

参考文献:現地案内看板

亀山公園(山口市亀山町)について:まとめ & 感想

亀山公園(山口市亀山町)・まとめ

  1. 山口市の政治と文化の中心ともいうべき場所にある憩いの広場。付近には博物館や図書館、市役所などの施設がまとまっている
  2. 中心となるのは「亀山公園山頂広場」だが、ほかにも噴水広場やふれあい広場などがある
  3. 亀山は昔は長山といい、かつて大内盛見の碧山別墅がこの地にあったと考えられている
  4. 戦国時代に、毛利秀元はこの地に城を築こうとしたが、関ヶ原の合戦に敗北したことにより、築城工事は完結しなかった
  5. 明治時代となり、明治維新で活躍した毛利氏の功績を称えるため、山頂に銅像を建てるという計画がもちあがった
  6. 毛利敬親だけではなく、ほかの支藩の当主たちの銅像も建てられ、山頂広場は多くの銅像が建ち並ぶ場所となった
  7. 戦時中、これらの銅像はすべて供出されてしまい、失われてしまった
  8. 現在、敬親の銅像だけが再建されて、山頂広場から現在の山口の人々を見守っている

大内盛見さんは、禅僧たちとの交流が盛んで、漢字だらけでわけわからないお方です。この時代、禅僧との交流はどの家のご当主さまでも普通のことでしたが、文武の家である大内氏、しかも仏教に篤く帰依した盛見さんとなれば……考えると頭が割れそうになります。そのような交流が行なわれ、歴代当主(といっても盛見さん以降)が別荘地として過ごしたのが「長山」という場所だったそうです。これすなわち現在の亀山でして、現在も奥ゆかしい趣のある山ですので、なるほどなぁと思うわけです。

しかし、大内氏の滅亡とともに、それらの別荘地はどうなってしまったのか。特にそのことについて書いてある文章を見たことがありませんが(書いている人が気付いていないだけです)、管理者がいなくなれば当然、自然に消滅してしまいますよね。毛利秀元さんが、この地にお城を建てようとしたときに別荘の跡地のような痕跡が残っていたのかどうかは不明です。無事にお城が建っていたならば、ここは長山城跡ってことになっていたかもしれません。ですけど、仮に完成していたとしても、関ヶ原での敗北のせいで、城は破却の運命を辿ったかと思われます(よく知らんけど、一国一城とかあったような気が)。

明治維新で、関ヶ原の仇を取った毛利氏の人々は、亀山の山頂に当主様方の銅像を建てました。すべてそのまま残っていたら、どんなにか壮観だったかと思われるのですが、戦時中の供出とやらで失われてしまいました。なんとも惜しいことです。敬親公の銅像だけは再建されたものを見ることができますが、ほかの当主さまたちについては、写真が残されているだけです。写真は現地の案内看板で見ることができるのですが、写真だけというのは悲しいですよね。しかも、台座のみ残っているというのもなんとも言えない気分です。すべての銅像を再建することはできなかったのでしょうか。とはいえ、銅像が建てられた明治時代も遙かに昔のこととなりました。現在は支藩のお殿様が誰それとかご存じない方がほとんどかと思います(わかりません)。

山頂広場にはちょっぴり悲しい歴史がありますが、公園全体としてみたとき、とても美しい公園です。亀山も奥ゆかしい風情ですので、かつてここに大内氏の別荘地があった、というのも頷けてしまいます。パークロードがなんとも言えない綺麗な道でして、歩いていて心洗われる気分です。道の両脇には図書館や博物館などの学芸施設がたくさんあり、こんな公園ほかにあるかなぁという感想です(あったらごめんなさい)。

こんな方におすすめ

  • 明治維新に関心があります(山頂広場)
  • 博物館、美術館などを巡るのが好きです

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

俺、パークロード大好き。もう何回歩いたかわからないよ。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

そうだねぇ。ここを通らないと五重塔とか山口大神宮とかにも行けないもんね(定宿からのロケーションがそうなってます)。

於児丸笑顔イメージ画像
於児丸

新介さま、博物館や美術館、図書館など、学べる施設が大量にありますよ!

新介通常イメージ画像
新介

そうだね。一つ一つ順番に見ていこう♪

五郎イメージ画像(背景あり)
五郎とミルの部屋

大内氏を紹介するサイト「周防山口館」で一番の人気キャラ(本人談)五郎とその世話係・ミルが、山口市内と広島県の大内氏ゆかりの場所を回った旅日記集大成。要するに、それぞれの関連記事へのリンク集、つまりは目次ページです。

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鶴千代イメージ画像
藩政期・明治維新・現代の観光資源

大内氏について語るというメインテーマとは外れる県内の主要観光資源についてご紹介している記事の目次ページです。当然のことながら、毛利氏に関するところが多いので、広島県内の訪問済み箇所も混じっています。

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  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン)

ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
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