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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2025/3/17
三十一代・義隆の息子。陶ら家臣の叛乱により、義隆が命を落とした際、なおも逃亡しようと試みたが失敗。叛乱者に見つかって殺されたとされる。母親は小槻氏。死亡時わずかに七歳。
2025/2/28
二十九代・政弘の三男とされる。父が帰依していた保寿寺の以参周省に師事。幼い頃から優れた漢詩文を作った逸話が知られている。のち、師匠を継いで保寿寺の住職となり、兄・義興と大内氏を支えた。
2025/2/6
政弘の子。息子を国衙領目代とすることで、国衙のコントロールを図ろうと目論む父の意図により僧籍にあったが、還俗。家督を奪おうという企みが発覚して逃亡。大友氏を頼る。
2025/2/6
義興の兄弟・髙弘は家督を奪おうという企みが発覚したため、九州に逃れ大友氏を頼っていた。その息子にあたると考えられている。大友毛利の合戦中に山口に侵攻。一瞬で鎮圧された。
2025/2/3
藤原姓。大内氏配下に属して活躍したが、後に尼子氏にも属した。頭崎城主・興貞は父の弘保と不和で、そのために大内氏の攻撃を受けた。のち、義隆の「お気に入り」隆保が家督に。
2025/2/1
義弘弟・満弘の遺児。父は義弘と内紛を起こしたが、幕府の介入で和睦するも、九州で戦死。盛見対弘茂、持世対持盛の家督争いで常に負けた側を応援。最期は逃亡して京都で自殺。
2025/1/31
清和天皇の末裔という方々。周防国との関わりは先祖が配流されたから? 大内水軍に属して活躍したことがわかっているものの具体的事蹟は系図からはわからず。毛利家に仕えて存続。
2025/1/29
義弘の子。叔父・盛見は家督継承者は亡兄・義弘の子と決めていたが、持世・持盛の兄弟どちらを当主に、と明確にしないまま戦死。幕府が決めた家督を持世から奪おうとして、敗死。
2025/1/27
『意見封事十二箇条』の三善清行、鎌倉幕府の問注所執事となった京下りの輩三善康信などの末裔で太田と名乗った子孫。周防玖珂郡椙杜荘に移住し、大内氏配下に。後毛利家臣。
2025/2/1
応仁の乱で上洛し、強大な軍事力で他を圧倒。帰国後は領国経営に専念。分国内の秩序を安定させ、山口には西の京と呼ばれるほどの雅な文化が花開いた。武家歌人としても著名。